高山利弘 (たかやま・としひろ)教授
- 出身地: 群馬県
- 最終学歴/学位: 名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程中退/文学修士
- 研究室: 10号館506
- 所属学会: 中世文学会,日本文学協会,軍記・語り物研究会,名古屋大学国語国文学会,千葉大学文学部日本文化学会 等
- 専門分野: 日本文学, 言語文化
- 担当科目: 言語メディアA・B,社会情報学演習A,社会情報学C,日本文学を読む(学修原論),文学 等
- 個人ページ: http://www.si.gunma-u.ac.jp/~takayama/index-j.html
現在の研究テーマ
- 『源平闘諍録』研究
- 説話や伝承の解読に基づく日本文化の研究
代表的な研究業績
- 『訓読四部合戦状本平家物語』有精堂,1995.
- 『校訂延慶本平家物語(2)』汲古書院,2001.
- 『校訂延慶本平家物語(7)』汲古書院,2006.
- 『校訂延慶本平家物語(11)』汲古書院,2009(共著者:久保勇・原田敦史)
専攻分野・研究内容紹介
文学と情報
私の専門は日本文学、おもに古典が中心です。社会情報学部が設立当初は、「情報関係の学部なのになぜ文学関係の分野があるのか」と尋ねられたことも何度かありました。パソコンがどんどん高性能化する中で、当時は「情報」といえば理系のイメージが強く、「文学」という言葉とはそぐわないと思われたのでしょう。また、情報化が進みつつある中では、「情報」という言葉自体が、現在から未来を志向するというイメージが強く、どちらかといえば過去に目を向けた文学研究は、情報化という時代の流れに背を向けているように見えたのかもしれません。私自身、このような問いに対して、「文学」と「情報」を関連づけることに、迷いや難しさ、ためらいを感じてきたのも事実です。
しかし、十数年が経ち、高度情報社会とされる段階に至って、こうした状況はだいぶ変わってきたように思います。「情報」という言葉は、我々の日常生活のかなり深い部分にまで浸透しました。それによって、「情報」という言葉の持つイメージは、現在から未来を志向するだけでなく、過去も含めた人間の営みに関わる幅の広い意味を持つ言葉としてとらえられるようになったといってよいように思います。登山に例えるならば、ひたすら頂上だけを見上げて登っていた段階から、ようやく見晴らしのよい所にたどり着き、これまで登ってきた山麓を見下ろす余裕を持つことができるようになったということでしょうか。
当然のことながら、過去・現在・未来を問わず、人間はそれぞれの時代におけるさまざまな情報にかかわって生きています。こうした「情報」という言葉の幅広いとらえ方は、文学研究においても、重要な視点を提供することになったといってよいでしょう。日本文学、特に古典研究の分野においては、これまで「情報」という言葉が使われることはほとんどなかったと思います。文学の分野においては、違和感のある言葉として意識的に避けてきたといってよいのかもしれません。しかし、最近では情報に関する用語も意識的に用いられるようになりました。市販されている日本文学の専門の月刊誌が何種類かありますが、テーマや特集記事に「情報」とか「メディア」という言葉を目にする機会も増えています。「情報」が人間の営みに関わるものと認知されるようになったことによって、「文学」と「情報」とは実は近いところに位置しているということができます。
古代社会における情報の解読
私にとっての具体的な研究対象は、鎌倉・室町時代に成立した軍記文学作品です。軍記文学とは、『平家物語』に代表されるような戦乱を題材とした文学作品を指します。日本の歴史を振り返ると、時代の転換期において、いくたびかの内乱が起こり、それらの内乱を題材とした文学作品が数多く作られました。
軍記文学作品は文学作品としての枠を越えて、その時代を知る上での貴重な資料であるとともに、その背景には、記録・日記・説話・和歌・漢文学などのさまざまな文献資料や、仏教思想・伝承・人々の語りなどが存在しています。大胆な言い方をすれば、〈軍記文学とは、古代社会におけるさまざまな情報の集大成である〉といってもよいでしょう。しかも、数多くの人々の手によって書きかえられ、同じ作品であっても内容の異なるさまざまなテキスト(「異本」と称します)が生み出されました。
これまでの軍記文学研究は、内容の異なるさまざまなテキストを比較したり、作品に関わるさまざまな文献資料や伝承の解読を通して、その作品の成り立ちやその作品に関わった人々の思想を明らかにすることを目指してきました。それは同時に、作品の背後にあるさまざまな「情報」を分析し、その意味を明らかにすることでもあったわけです。たとえば、貴族の日記や文書などの歴史史料の理解と解釈は重要な基礎作業の一つです。当時何が起こったのか、そして人々はそれをどのように受け止めたのか、さらにそれがどのように物語の世界に反映されているのか ―― 過去の時代のことではありますが、今を生きる我々が直面している問題意識とさほど隔たりはありません。
古典は過去のものとされ、閉じた世界に追いやられがちですが、古典は過去という時代の中だけで完結するものではありません。つねに現代社会につながるものとしてとらえ、作品が置かれた時代の中での新たな解釈を見出すことが重要です。それが古典の古典たるゆえんといえるでしょう。情報という視点は、古典と現代とを連続したものとらえる上でたいへん有効だと思います。