沼田市玉原湿原

植物相調査

 玉原湿原内の合計28地点(図 8)において植物相調査を行った結果、生育個体数の比較的多い在来植物として38種の生育を確認した(表 3)。特に湿原の南部(地点A-H9)では33種と比較的多くの在来植物が確認された。ダケカンバやオゼタイゲキ、コバイケイソウなどの湿性を好む高山性の植物で、特に日当たりの良くところに生息するものが多く観察された。また、生育する木本植物のほとんどは落葉低木種であった。

このうちヨシとハイイヌツゲは、他の在来植物の生育を脅かす可能性があると考えられるほど広範囲に分布していた。この2種の植物は、本湿原の乾燥化に伴って侵入または拡大したものと考えられる。ハイイヌツゲは在来種であるが、過度に増加すると外来種と同じような影響をもたらす。湿原の乾燥化を表し、周りの植物にも悪影響を与えるハイイヌツゲの繁殖は歓迎されるものではない。ヨシは泥質立地であれば標高にかかわらず生育する。ヨシの繁茂は湿原環境の変質化を表すものであり、やはり好ましいとはいえない。

 この湿原の変質を問題視した沼田市は、1989年から東京農工大学・福嶋教授に依頼して実態調査を開始した。調査項目は植生調査による群落組成の解析と植生図の作成、そして1990年と1991年にかけては、湿原の水環境の実態を把握するために、地下水位を測定した。これらの結果から市は、排水路が地下水位の低下と湿地の乾燥化に大きく働き、それが植生の変質に強く関与しているものと考えた。1994年に4基の堰を設置し、ハイイヌツゲの刈り取りを行った。1999年には、木道を再配置して、周辺部に迂回させた。湿原内を流れる小さな沢を横切って設定されていた木道を撤去した結果、水の流れが拡散し、湿原内にも流れるようになった(福嶋 2005)。

 2001年から再調査が行われ、植生の種組成が変化した地点では、湿原植物を多く含む群落へと変わっていたことが明らかになった。また地下水位を測定したところ、木道撤去によって水の流入が増え、湿原の広範な地域の湿潤化が促進されていることが明らかになった(福嶋 2005)。

 この再生した湿原植物群落が維持される保証はまだない。さらに安定したものへと誘導していくためには、今後も沢からの水の管理が重要であると考えられる。

 

ハイイヌツゲ群落の分布

 本研究により、玉原湿原内の10カ所(図9, 表 4)にハイイヌツゲ群落の分布を確認し、その分布総面積は1011.5?と算出された(表 4)。ヨシの分布面積は測定できなかったが、案内板に表示されている分布域よりもはるかに広く分布していることを確認した。確認されたハイイヌツゲ群落のほとんどは木道沿いにあり、木道によって水の流れが妨げられて乾燥化すること(福嶋 2005)と対応していると考えられる。1999年に撤去された旧木道の跡地(図 8.図中)においてもハイイヌツゲは生育しているが、4年前の新岡(2001)の調査における総分布面積は2515?であり、これと比較すると大幅に減少していた。木道撤去により水の流れが復活すると、ハイイヌツゲは減少していくものと推測できる。

 ハイイヌツゲの結実期である2005年10月20に、ハイイヌツゲの結実個体の分布を調査したところ、結実個体は合計10カ所で確認された(図 10)。特に湿原入り口の木道周辺では多くの実をつけた個体が確認され、逆に湿原内では、結実個体があっても結実数は非常に少なかった。湿原内のハイイヌツゲは、結実に至る年齢・個体サイズに至っていないのか、あるいは結実が阻害される環境要因があるのかは不明である。いずれにしても、ハイイヌツゲの種子生産の中心は湿原内ではなく、湿原入り口付近であると考えられる。この湿原入り口付近で生産された種子が、木道沿いに湿原内に運ばれているのではないかと推察される。ハイイヌツゲの種子は比較的大きく重力散布型であると考えられるので、自然に任せたままでこのような移送が起こるとは考えにくい。おそらく、観光等に訪れる人間が、無意識的に湿原内へと持ち込んでしまっているのではないだろうか。だとすると、湿原内のハイイヌツゲを駆除しても、種子が依然外部から持ち込まれるため、完全な駆除が困難となってしまうのではないかと推察される。

 

ハイイヌツゲの種子発芽実験

 今回の実験条件下では、採取してきたハイイヌツゲの種子は発芽しなかった(図 13)。一般に秋に生産される種子は、散布後に冬を越して春以降に発芽する。今回は冬を経験させることなく実験を行なったため、発芽しなかったものと推察される。今後は冷湿度処理を施した後、実験を行う必要がある。

 

土壌窒素濃度

 ハイイヌツゲ群落(地点4〜6)およびヌマガヤ群落(地点1〜3)(図 11)から採取した土壌中の窒素濃度を測定したところ、全体としてアンモニア濃度が高く(3.556-7.060mg/L)、硝酸濃度(0.668-2.1821 mg/L)、亜硝酸濃度(0.110-0.188 mg/L)はこれに比べると低かった(図 12,表 5)。これは、湿地という土壌含水率の高い環境に起因したものであると考えられる。植生による違いをみると、ハイイヌツゲ群落下の土壌は、ヌマガヤ群落下の土壌と比べて硝酸濃度とアンモニア濃度が高かった。窒素は植物の生長を左右する主要な無機栄養分であるので、これらの結果は、ハイイヌツゲが侵入地において、さらに旺盛に生育する可能性を示唆している。またアンモニア態窒素比(アンモニア/硝酸・亜硝酸濃度比)は、ハイイヌツゲ群落下の土壌(4.848mg/L)の方が、ヌマガヤ群落下の土壌(6.913 mg/L)よりも低かった。このことからハイイヌツゲの侵入地は、その他植生の立地よりも乾燥化が進んでいる可能性が示唆される。

 長年にわたり玉原湿原の学術調査を行っている東京農工大学農学部の福嶋教授らによると、水分不足の継続は、多くの水分を必要とする湿原植物の生育を著しく妨げ、湿原群落を衰退させる原因となる。逆に、地下水位を高め湿潤な水分条件を維持すれば、ハイイヌツゲは自然と衰退するようである。排水路への堰設置によって、堰からオーバーフローした水が湿原内を潤し、これに対してと過湿を嫌うハイイヌツゲの弱体化がほぼ同時に起こっている(福嶋 2005)。

 

 本研究においても、こうしたハイイヌツゲの弱体化が湿原の旧木道付近では継続していることが明らかになった。一方、新たに敷設した木道周辺でハイイヌツゲの繁茂、そして結実も確認された。過湿を嫌うハイイヌツゲと湿性植物の共存は難しく、玉原湿原の本来の姿を取り戻すためには、ハイイヌツゲの除去が必要不可欠である。しかし、刈り取り除去しても、湿原周辺から種子が持ち込まれ、湿原内に乾燥した生育適地があれば、ハイイヌツゲが再生する可能性が十分あると考えられる。したがってハイイヌツゲの根元的除去のためには、湿原全体の水流を管理し、ハイイヌツゲが自ら弱体化していくような湿潤な水分条件を維持する必要があると考えられる。

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