はじめに

 

生物多様性とその現状

地球上の生物は、およそ40億年の進化の歴史の中でさまざまな環境に適応してきた。進化の結果として、未知の生物も含めると、現在3000万種とも推定される多様な生物が存在している(環境省 2010)。こうした多様な生物の存在を表す「生物多様性」とは、あらゆる生物種の多さだけでなく、それらによって成り立っている生態系の豊かさやバランスが保たれている状態を言い、さらに、生物が過去から未来へと伝える遺伝子の多様さまでを広めた概念である(COP10 HP 2011) 。
生物多様性は、3つの尺度で計測・評価される。第一は生態系の多様性、第二は種の多様性、第三は遺伝の多様性である。
「生態系の多様性」は、地球上に自然林や里山林・人工林などの森林、湿原、河川、サンゴ礁などのさまざまな環境が存在することである。すべての生物はこれらの多様な環境に適応することで多様に分化してきたことから、生態系の多様性は「種の多様性」の源であるといえる。
「種の多様性」は、生息している生物の種数である。地球上において科学的に解明されている生物種は約175万種、未知のものも含めると3000万種いるとも推定されている。各地域の生態系は、すべてにおいて多数の生物種で構成されていて、種数が少ないと崩壊する危険性が高い。
「遺伝子の多様性」は、同じ種であっても様々な遺伝的な特性を持つ個体が多数存在することである。多様な環境に対応するためには、同じ種であっても乾燥に強い個体、暑さに強い個体、病気に強い個体など、様々な遺伝的な特性をもつ個体が存在し、また個体間で、生息する地域で体の形や行動などの特徴に少しずつ違いのあることで、種の存続可能性が高まる(COP10 HP 2009)。
世界中の多くの地域が「生物多様性ホットスポット」とされている。生物多様性ホットスポットとは、「地球規模での生物多様性が高いにもかかわらず、破壊の危機に瀕している地域」のことであり、1,500種以上の固有植物種を有するがその70%以上が本来の生息地を喪失している地域を指す(日比・千葉 2008)。ホットスポットの地域の総面積は地球上の陸地面積のわずか2.3%だが、ここに全世界の50%の維管束植物種と42%の陸上脊椎動物種が生存している。現在世界中で34の地域がホットスポットの条件を満たしていて、日本もその1つであり、多くの絶滅危惧種・希少種を抱えている国であるといえる。
生物多様性によって駆動している生態系の諸機能を、近年では「生態系サービス」と称することもある。古くから「自然の恵み」と呼ばれて人類が享受し続けてきたものであるが、生態系の有する経済的価値の評価と、環境保全の経済的意義を明確にするために国連の主導で定義されたものである。
2001年から2005年にかけて、国連のアナン事務総長の呼びかけによりミレニアム生態系評価が実施された。ミレニアム生態系評価の目的は、生態系の変化が人間の福利に及ぼす影響を評価することであり、生態系の保全と持続的な利用を進め、人間の福利への生態系の貢献をより高めるためにとるべき行動は何かを科学的に示すことであった。ここでは、生態系サービスは私たち人間が生態系から得る便益として定義され、大分して食料・水・木材・繊維のような供給サービス、気候・洪水・疾病・廃棄物・水質に影響する調整サービス、レクリエーションや審美的・精神的な恩恵を与える文化的サービス、そして栄養塩循環・土壌形成・光合成のような基盤サービスの4種類がある。
ミレニアム生態系評価の結果、過去50年間にわたり人類は歴史上かつてない速さで大規模に生態系を改変し、地球上の生命の多様性に対して莫大かつ概して不可逆的な喪失をもたらしたことが明らかになった(MEA 2007)。またミレニアム生態系評価では、2050年の将来像を、生態系管理のアプローチやグローバル化の進行の違いにより複数示しているが、予防的な取り組みや順応的管理の実施、社会的経済的格差の是正などを行っていくことで、地球全体の生態系の劣化を回復させることは可能とされている(環境省2009)。
生物多様性は、システムの安定化を含む生態系のさまざまな機能を担い、それを通じてあらゆる「生態系サービス」の源泉となっている(鷲谷2007)。そのため失われた生態系を修復して持続可能性を確保することは21世紀の人類の最優先課題であり、「生物多様性の保存と持続的な利用」「健全な生態系の維持」を目標として生態系修復の取り組みがすでに世界各地で開始されている(鷲谷2003)。
しかし近年、経済成長に伴う人間の開発行為の負荷などの原因により、多くの生物種の絶滅がおき、生態系のバランスが崩れつつある。現在、地球の生物多様性は地球生命史上最も早いスピードで失われており、その絶滅のスピードは自然界で起こる絶滅の1,000倍ともいわれている。2011年1月に国際自然保護連合(IUCN)が発表したIUCNレッドリストによると、評価対象の59,508種のうち19,265種が絶滅危惧種とされ、前年よりも914種増加している(IUCN HP)。

日本における生物多様性と絶滅危惧種の現状

日本は、ほぼ同じ緯度の北半球温帯地域(ヨーロッパや北アメリカ東部など)に比べ、植物の種数が豊かなことで世界的に知られている(矢原 2003)。日本は、異なる気候の地域が連なり、また島国として大陸から隔離されることによって、長年にわたって独自の豊かな植生を育んできた。
しかし、残念なことに、日本の野生植物の多くに絶滅の危機が迫っている。環境省が2000年に発表した植物レッドデータブックには、25種類が「絶滅」、1655種類が「絶滅危惧」としてリストされた。これらをあわせると、日本の野生植物の約24%に達する(矢原 2003)。
レッドデータブックとは、種内・種間・生態系の各レベルの多様性を含む生物多様性の保全という枠組みのなかで、種レベルで保全すべきものを、生息地と個体数の減少という生物学的な基準に基づいてリストアップしたものである。したがって、保全すべき種は希少性のみに視点を置いたものではなく、生物多様性保全という大きな目標のために、絶滅が危惧されるという尺度で選定されている(星山 2011)。
IUCNの働きかけにより、世界各国で「絶滅のおそれのある生物リスト」の作成が行われ、継続的調査研究によって毎年改訂されている(IUCN HP参照)。このリストは「レッドリスト」と称され、レッドリストに掲載された生物の分類・生態学的特徴と絶滅危険度の現状を取りまとめた刊行物は「レッドデータブック」と称されている(矢原 2003)。レッドデータブックの語源は、1966年に国際自然保護連合(IUCN)が最初に刊行し、緊急性をアピールするため、表紙を赤色にしたことによる(星山 2011)。
日本初のレッドデータブックは1989年に日本自然保護協会と世界野生生物保護基金日本支部によって作成された。現在、国レベルの作成は環境省が行っている(星山 2011)。環境省によると、生物保全のためには、絶滅の恐れのある種を的確に把握し一般への理解を広める必要があることから、レッドリスト(日本の絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト)を作成・公表するとともに、これをもとにしたレッドデータブック(レッドリスト掲載種の生息・生育状況を解説した資料)を刊行している(環境省 2011)。1994年から更に詳細な調査が行われ、1997年にレッドリストが改訂され、それを改訂する形で2000年には環境庁版の新しい植物レッドデータブック「改訂・日本の絶滅のおそれのある野生生物—レッドデータブック 植物Ⅰ(維管束植物)」が出版された(矢原 2003)。
IUCNが公表している国際基準では、threatened(絶滅危惧)と定義される状態が、CR(critically endangered), EN(endangered), VU(vulnerable)の3クラスに分類されている。環境省では、これら3つのカテゴリーに対して、それぞれ絶滅危惧ⅠA類、絶滅危惧ⅠB類、絶滅危惧Ⅱ類という用語を用いている。このほか、既に絶滅した生物にはEX(extinct, 絶滅), EW(extinct in the wild, 野生絶滅, 動物園や植物園で残っている状態)というカテゴリーが使われる。また、近い将来絶滅危惧の基準を満たすと予想される生物には、NT(near threatened, 準絶滅危惧)というカテゴリーが使われる。準絶滅危惧にも該当しない生物は、LC(least concern, 環境省では対応するクラスを設けてない)とされる。また、情報が乏しくて、いずれのカテゴリーにも該当するか評価できない場合には、DD(data deficient, 情報不足)とされる(日本生態学会 2003)。
 レッドリストやレッドデータブックは各都道府県でも作成されていて、それぞれ独自の基準を設け地域の動植物の絶滅の危機の度合いを評価している。群馬県では、県内の絶滅のおそれのある野生植物の一覧(群馬県の植物レッドリスト)をまとめ、2000年2月に公表した。また、レッドリスト掲載の個々の種について、特徴や評価の理由、分布状況などの情報を加えた「群馬の絶滅のおそれのある野生生物(植物編)」(群馬県レッドデータブック植物編)を作成し、2001年1月に発行した(群馬県HP参照)。
群馬県レッドリストでは、県内で既に絶滅した種を「絶滅」、県内では絶滅の危険性が増大している種を「絶滅危惧Ⅰ類」、県内では当面絶滅のおそれはないが、個体数が著しく減少している種を「絶滅危惧Ⅱ類」、県内では個体数が少なく、分布の限られている種を「準絶滅危惧」、群馬の地域的な特性として、元々個体数が少なく分布が限られている種を「希少」、県内では評価するだけの情報が不足している種を「情報不足」とする6段階の評価を行っている。群馬県レッドリストでは植物について絶滅55種、絶滅危惧Ⅰ類157種、絶滅危惧Ⅱ類26種、準絶滅危惧種11種、希少104種、情報不足29種の合計382種が記載されている。平成21年度より、この群馬県版レッドリストの改訂作業が開始され、2012年度現在、この群馬県レッドデータブックの改訂作業が進行中である(石川 私信)。
このような生態系の危機に対し、日本では1993年12月に発効した「生物の多様性に関する条約(生物多様性条約)」及び2008年6月に施行された生物多様性条約基本法に基づく初めての国家戦略となる「生物多様性国家戦略2010」を2010年3月16日に閣議決定し、生物多様性の危機の原因について言及している。
第一の危機は「オーバーユース」と称され、人間活動ないし開発が間接的にもたらす種の減少、絶滅、あるいは生態系の破壊、分断、劣化を通じた、生息・生育空間の縮小、消失である。これらの影響については、隣地や農地から都市的土地利用への転換面積や沿岸域の埋め立て面積の増加は、高度経済成長期やバブル経済期と比べると近年比較的少なくなっているが、影響は続いている。
第二の危機は「アンダーユース」と称され、生活様式・産業構造の変化、人口減少など社会経済の変化に伴い、自然に対する人間の働きかけが縮小撤退することによる里地里山などの環境の質の変化、種の減少ないし生息・生育状況の変化である。これらの問題に対しては、現在の社会経済状況の下で、対象地域の自然的・社会的特性に応じた、より効果的な保全・管理の仕組み作りを進めていく必要がある。既に各地で取り組みは始まっているが、個々の地域における点的な取り組みにとどまっており、画的・全国的な取り組みまでには至っていない。
第三の危機は、外来種や化学物質など人為的に持ち込まれたものによる生態系の攪乱である。野生生物の本来の移動能力を超えて、人為によって意図的・非意図的に国内の他の地域から導入された外来種が、地域固有の生物相や生態系に対する大きな脅威となっている。外来種が捕食、食害、病害、競争、交雑、生殖攪乱、あるいは生態系の物理的基盤の改変などによって在来種の局所的絶滅をもたらすことは、生物多様性の保全と健全な生態系の維持を困難にしている(鷲谷 2008)。人間による選択や環境による選択を経て野生化している外来種は、競争力や繁殖力において在来種よりも強く侵略的になり、種の画一化や在来植物種の減少、あるいは絶滅を脅かす恐れがある。
こうした外来種問題に対しては、「特定外来生物による生態系などに係わる被害の防止に関する法律」(外来生物法)に基づく輸入・飼養等の規制は始まったが、既に国内に定着した外来種の防除には多大な時間と労力が必要となる(生物多様性国家戦略HP)。
そして第四の危機は、よく知られるようになった地球温暖化である。世界では各々の気候条件や地域によってそれぞれの植生が発達している。生物はもともと環境の変化に対し遺伝的な選択圧を受け、長い時間をかけて環境に適応していく順応や適応などの性質を持っている。しかし、生物の順応や適応は一般的にはかなりの数の世代数を繰り返さなければならないので、細菌や単細胞生物のような寿命の短い生物ならば進化的な変化もあり得るが、長寿命の生物では地球温暖化のような急速な温度変化で進化的な変化が起こることは考えにくいとされている(中静 2009)。北海道のアポイ岳では特殊な地質条件と共に厳しい気象条件から森林分布が制限され、独特の高山生態系が成立していたが、近年温暖化による木本植物の分布拡大により、ヒダカソウなど貴重な植物が生育する高山草原が減少していることが報告されている(大政 2003)。このように、地球温暖化は厳しい環境を利用しながら高山帯で生態系を維持する高山植物に大きな影響を与える恐れがある。また温暖化により空中湿度が低下し、湿原の乾燥化の進行による湿性植物の減少、南方系の植物であるタケ類の分布拡大による林床植物への影響などが懸念される(中静 2009)。WWFがLiving Planet Report内で試算した結果では、過去30年の間に世界のLPI(生きている地球指数:世界各地の野生生物について個体数変動を集計し、試算した指数)が世界平均で30%減少、熱帯地域の指数は60%減少という結果となり(WWFジャパン HP)、資源の消費などによる環境の圧力が急増していることが示された。これらの危機により現在も進行している急激な野生生物の減少は、生態系に大きな変化をもたらし、自然資源の恩恵を受ける人間の生存基盤にも大きな影響を及ぼすことが予測される。

生物多様性条約とCOP10名古屋会議

1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)に合わせ「気候変動に関する国際連合枠組条約」(気候変動枠組条約)、「生物の多様性に関する条約」(生物多様性条約)が採択された。後者は特定の貴重種や生態系だけでなく、地球全体として、生態系、生物種、遺伝子の3つのレベルから、多様な生物とその恵みを国際社会が協力して将来の世代に引き継ぐための国際的枠組として設けられたものである。本条約の目的は、①生物多様性の保全、②生物多様性の構成要素の持続可能な利用、③遺伝資源の利用から生ずる利益の構成で衛平な配分であるとされる(渡辺 2010)。
COP10(生物多様性条約第10回締約国会議)は、2010年10月に愛知県名古屋市の名古屋国際会議場において、「命の共生を、未来へ(Life in Harmony, into the Future)」をスローガンとして開催された(環境省 2010)。その目的は、生物多様性を保全し、その恩恵を次の世代に渡って持続的に利用するために、世界規模での規定を決め、実行していく事にある。COP10は世界各地から180の締約国と関係国際機関、NGO等のオブザーバー、報道関係者、スタッフも含め、計13,000人以上が参加し、参加者の上でも、交渉された内容についても、その歴史上、最重要クラスの生物多様性条約の締約国会議となった(環境省 2011, EIC HP参照)。
これに先立ち、「生物の多様性に関する条約のバイオセーフティに関するカルタヘナ議定書」第5回締約国会議(MOP5)が開催された。開催国である日本が議長国となり、会議の最終的な意思決定は、松本環境大臣が議長を務めた「全体会合」において行われた。全体会合の下には3つの作業部会が設置され、「作業部会Ⅰ」では「保護地域」や「森林の生物多様性」といった個別の議題について、作業部会Ⅱでは「ポスト2010年目標」や「資源動員戦略」といった横断的な議題について議論が行われた(環境省 2011)。
この会議の最も大きな成果として、生物多様性に関する新たな世界目標(ポスト2010年目標)である「愛知目標」とABSに関する「名古屋議定書」の採択が挙げられる。
愛知目標とは、COP6で採択された「生物多様性の損失速度を2010年までに減少させる」という2010年目標が達成されなかったことを受け、より実効力のある新たな目標として採択が目指されたものである(COP10 HP)。また名古屋議定書とは、遺伝資源の採取・利用と利益の公正な配分(ABS)に関する取り決めの議定書である。これは、日常に存在する医薬品をはじめとした生物の機能や形状を利用して生まれた数多くの製品について、それらの開発により得られる利益をその遺伝資源の原産国に衛平に配分するという国際ルールであり(COP10 HP)、条約発効以来議論が続けられてきた条約の3番目の目的を達成するための法的拘束力のある国際的枠組が採択されたものであり、生物多様性条約にとって新たな時代の幕開けとなった(環境省HP)。
また、日本が提案していた「国連生物多様性の10年」について、COP10において国連総会で採択するよう勧告することが決定され、2010年12月の第65回国連総会において、2011年から2020年までの10年間を、国際社会のあらゆるセクターが連携して生物多様性の問題に取り組む「国連生物多様性の10年」とする事が採択された。これら以外にも、「保護地域」や「持続可能な利用」など、今後の地球規模での生物多様性の保全と持続可能な利用を進める上で重要な合計47の決定が採択された(環境省 2011)。
以上のようにCOP10会議においては、生物多様性条約の今後の方向性が示されることとなった。またホスト国である日本の取り組みについて諸外国から高い評価を得られ、生物多様性に対する姿勢を世界各国に強くアピールする形となった。

生物多様性保全の法的・政策的取り組み

希少な野生動植物種を保全するための法律としては、1993年4月に施行された「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(種の保存法)」がある。種の保存法で定められた国内希少野生動植物は2011年時点で哺乳類5種、鳥類38種、爬虫類1種、両生類1種、汽水・淡水魚類4種、昆虫類15種、植物23種の87種となっている(環境省 2011)。
生物多様性を保全する法律としては、2008年6月に「生物多様性基本法」が施行された。生物多様性基本法は、これまでの日本になかった、野生生物や生育環境、生態系全体のつながりを含めて保全することを目的とした初めての「基本法」である。これまでの法律では、「特定外来生物法」などごく一部の生物や環境以外は保全することができなかったが、生物多様性基本法は自然保護に関する法律の上位に位置する理念法であり、各法律の施行状況を確認し、必要であればその改正や状況の改善を求めることができるものとされ、生物やその生息生育環境の保全を強化している(WWFジャパン HP)。
2010年は2002年の生物多様性条約第6回締約国会議(COP6)で合意された「生物多様性の損失速度を2010年前に顕著に減少させる」という、いわゆる2010年目標の目標年に当たる。2010年5月に環境省が公表した「生物多様性総合評価」では、2010年目標のために設定された21の個別目標のうち15の個別目標について我が国の達成状況の評価を行った。このうち達成できたのはわずかに2つであり、残りの10は達成が不十分であり、3つは達成できなかったと評価された。これらの点を踏まえ、日本の生物多様性の状況は、部分的には改善しているものの、全体としての生物多様性の損失の傾向は止まっていない状況にあると結論付けられた。
さらに2010年版の環境・循環型社会・生物多様性白書では、生物多様性条約事務局が2010年5月に公表した「地球規模生物多様性概況第3版(GBO3)」では、世界の生物多様性の評価を行った結果、2002年の生物多様性条約第6回締約国会議(COP6)で世界が合意した「生物多様性の損失速度を2010年度までに顕著に減少させる」という、いわゆる2010年目標は達成されなかったと結論づけた(環境省 2010)。ここから、各地で局所的な取り組みは行われているものの、依然全地球的な生物多様性の保全が進められてない現状が伺える。

里山とは

近年、環境問題を議論するにあたって、「里山」という言葉が多く聞かれるようになった。2010年10月には名古屋でCOP10が開催されたことから、里山が「人と自然の共生地」として世界中に認識されはじめている。
このように現在注目されている「里山」についての定義だが、実は複数存在する。日常生活および自給的な農業や伝統的な産業のため、地域住民が入り込み、資源として利用し攪乱することで維持されてきた、森林を中心にした景観(大住 2000)という定義がある。また日本政府が里山について考えるようになったのはつい最近で、1994年に「環境基本計画」を決めてからである。その中で、人口密度が低く森林率がそれほど高くない地域を「里地」と呼ぶとしている。さらに、「農林水産活動などさまざまなかかわりをもってきた地域で、故郷の原型として想起されたという特性がある」と規定しているものもある(犬井 2002)。里山は、狭義には薪炭林あるいは農用林のことであるが、広義には水田やため池、水路からなる「稲作水系」や畑地、果樹園などの農耕地、採草地、集落、社寺林や屋敷林、植林地などの農村の景観全体、都市周辺の残存林などを含めることも多い。この「広義の里山」を「狭義の里山」から区別して表現する用語として市民権を得たものはまだないようである(石井 2005)とされる。
第二次世界大戦以前の日本は、主に農業などの生産活動を行う里(村)と、権力と消費・交換の都、そして超越した力を持つ畏怖の対象である山、これらの3極が社会経済の基本構造をなしていたと考えられる。山には卓越した高山技術を持つ偉人集団、平家の落人や行者など、里や都の民が畏怖の念を覚える異集団が治外法権的なかたちで棲んでいた(日本里山協会HP)。日本の社会・経済体制はこの3極構造が三すくみになって持続的に営まれてきた(小松・栗本 1982)。
また里山は長期にわたって、人間の働きかけによってその環境と機能が維持されてきた。国土のおよそ4割を占める里山においては、食料や木材などの生産面での役割以外にも、水田・水路による水環境と気温調節機能、里山林による空気の浄化機能に加えて、農山村では多様な伝統文化が維持されてきた。食卓の食材の多くは里山の恵みそのものであった。また、石炭・石油の化石燃料が主役となる前は、薪炭が主なエネルギー供給源であり、木材資源として建築資材や生活の道具として有効利用されてきた。このように、里山はまさに多面的・公益的機能を発揮してきたのである(中村・嘉田 2010)。山地が広い面積を占める割に平野は少なく、しかも地形が複雑に入り組んだ日本列島では、生活に欠かせない多様な生物資源を与えてくれる里地は、経済的な利益を得るためだけではなく、人々の生存を維持する生活の場であった(飯山 2001)。
これらを踏まえると、里山とは人間と自然が、人間の行う農林水産業を通して共に影響を与えあい成立している地域であり、人間が生活を営むために長い間行ってきた農林水産業が結果的に里山の管理に繋がり、里山の高い生物多様性の形成・維持に貢献してきたと考えられる。
しかし長年の自然と人間の結びつきは、近年急速に減少しつつある。里山に変化の兆しが見え始めたのは、1960〜1970年代の日本の高度経済成長期であった。名神高速道路や東海道新幹線が開通し、東京オリンピックや万国博覧会が開催され、都市が急速に郊外に向かって拡大し始めた時代である。これに先立ち、いわゆる燃料革命が起こり、燃料の主流は薪や炭に変わって石油やプロパンガスになった(石井 2005)とされる。そのため、里山から薪炭材を切り出すことも不要になり、水道の普及によってため池や小川に生活用水を依存する必要がなくなった(吉武 2000)。また、この時代には化学肥料が堆肥や刈敷、木灰に取って代わり、BHCなどの有機塩素系農薬が使われた(現在使用禁止)。農耕には牛馬にかわって耕耘機が使われるなど、機械化が進められた(石井 2005)。
このように1960〜1970年代には、里山林や採草地が本来の価値を失い、水田などの農耕地も機械化への対応のために圃場基盤整備が行われ、里山が大きく姿を変え始めた。さらに、農作物の輸入自由化や減反政策、農家の高齢化などにより、里山の多い中山間地域では、農作業の継続事態が容易ではなくなってきた(石井 2005)。
もう一つの原因として、農業の化学化が挙げられる。昭和30年代には化学肥料が急速に普及し、同じ時期に燃料革命も起こった。落ち葉や下草から作っていた堆肥の代わりに、化学肥料が使われるようになり、薪や芝などの代わりに石油などの化石燃料が使われるようになっていった。この流れにより、従来人々の生活に不可欠であった里山は、急速にその価値を失っていった(犬井 2002)。
また区画整理による市街地化、圃場整備など農業の近代化を目指す改変などによって、日本列島において地域の風土と調和し地方色豊かであった農村景観が、画一的な面白みのない景観へと変えられつつある。そこに存在しうる生態系も限られたものとなり、生息できる動物、生育できる植物も限られてくる。多様な生育場所を含む伝統的な里山を初めとする農村景観の喪失は、現在ではわが国における生物多様性損失の最も大きな現れの一つとも言える(鷲谷 1999)。

里山の生物多様性

近年の研究により、現在も昔に近い形で残っている里山地域には、非常に多くの野生生物・植物が生育し、高い生物多様性が維持されていることが明らかにされつつある。また群馬県の里山地域では、種数の多さに加えて多数の絶滅危惧種を含む希少種の生育が確認されている。(例、高橋美絵 2009、江方 2010、赤上 2011、群馬県環境森林部自然環境科HP)。
個々の生態系は里山の広がりの中に大小様々なパッチとして存在し、全体として里山の景観を構成している(石井 2005)。里山林では、毎年下刈りが行われる他、数十年に一度、伐採するという短周期・長周期の人為的攪乱が加えられる(石井 2005)。また、農業という営みはすべて、生態系の遷移を逆戻りさせたり、停止させたりすることによって成立している。農民は、田畑を耕すことにより裸地を作り、ススキの原を刈ったり焼いたりすることにより草原を維持し、雑木林を定期的に伐採することにより照葉樹林への移行を停止してきた。このような行為は、成熟した生態系への遷移を遅らせる攪乱の一つである(石井 1993)。里山は、これらのような中規模な人為的攪乱を常に受けている生態系であり、里山の環境はこれによって常に変動している。したがって、人為的攪乱の種類や強さが変われば、里山の環境は変化し、植物相を含む生物相も変化すると推察されている(佐藤 2005)。このように里山の自然は、自然の遷移と人為的な攪乱により成立したものであり、二次的な自然であるといえる。
里山の落葉樹林や草原などは薪、落葉、下草、茅を採取する際に定期的な攪乱を受け、土壌の栄養分が不足がちとなる。適度な攪乱によって起こる栄養不足のストレスは、競争力の大きい植物が優先して資源を独占することを防ぎ植物の種多様性を高める(武内他 2001)ため、生物多様性の維持に欠かせない条件である。逆に見れば、里山の植生は中規模な人為的攪乱を常に受けて成立しているので、人が何もしないで放置すれば、二次遷移が進行して、雑木林は照葉樹林のような陰樹樹林へ、草原はブッシュ(藪)化しやがて疎林へ変貌してしまうとも推察されるし、現実にこれらが起こっている地域も多い(石井 1993)。したがって、里山のような二次遷移が人為的中規模攪乱によって停止されている生態系を、その状態で維持するためには、伝統的農耕手法あるいはこれに類似の人為的な管理が不可欠であると考えられている(石井 1993)。
また里山の植生分布には、地域独自の自然環境のもと、伝統的な土地利用形態に組み込まれた必然的な合理性があり、それを支えてきたのは、いかに地域資源を有効に利用し、地域住民の生活や生産活動を持続的に支えられるかにあったといえる(深町 2002)。したがって里山は地域により大きく異なり、その地域毎に適した管理方法が異なると考えられる。
以上のように里山は人間の手が加わっているため、原生の自然とは異なる自然を持つ地域である。里山の生物多様性の高さを解明するためには、これまでの生態学・環境科学的な学術研究の成果を踏まえた上で、「人間と自然の共生関係」という、新たな始点での研究を要することになる(髙橋美絵 2009)。
里地・里山の保全・維持に関する国家的な取り組みとして、環境省では、自然資源の利活用を地域活性化も期待した地域作りとして展開するために、特別緑地保全地区などに含まれる里地里山については、土地所有者と地方公共団体などとの管理協定の締結による持続的な管理、市民への公開などを促進するとしている。田園地域の農業農村整備事業においては、地域の生態系を代表する種を「保全対象種」として示し、農家や地域住民の理解を得ながら生物多様性保全の視点を取り入れた基盤整備を推進している。また河川から水田、水路、ため池、集落などを結ぶ「水の回廊」の整備推進を行い、さらに持続性の高い農業生産方式の導入の促進に関する法律(平成11年法律第110号)に基づき、土作りと化学肥料・化学合成農薬の使用提言に一体的に取り組む農業者(エコファーマー)の育成などを推進している(環境省 2011)。
しかし現実には、里地里山の多くは人口の減少や高齢化の進行、産業構造の変化により、里山林や野草地などの利用を通じた自然資源の循環が少なくなることで、大きな環境変化を受け、里地里山における生物多様性は、質と量の両面から劣化が懸念されている(環境省自然環境局 HP)。現在でも里山には希少な生物種が数多く生育しているにもかかわらず、里山に住む人々の人口減少により管理が行き届かないために、里山の希少生物種が絶滅の脅威にさらされている。
生物多様性の保全を地域で追求する際に最も重要なことは、「固有性」、すなわち地域に固有な自然と人間の営みの多様性を重視することである(鷲谷 2007)。里山の再生においても、表層的な植生だけではなく、それを支えてきた人と森林の関わりの構造に目を向けることが重要である。伝統的な利用が途絶えた里山を、今後我々が地域社会の中で、資源、環境、文化としてどう位置づけし直し、どのような関係を再生するかということが課題とされている(大住 2000)。また里山の野生生物の中でも、管理を放棄したために個体数が激減し絶滅の危機に瀕する種とほとんど影響しない種に分けられ、繁殖システムの違いにより里山の管理放棄が種に与える影響が異なるため、影響の受けやすい種を把握し優先的に保全する必要がある。

里山林が希少植物種に与える効果

人間との生活と関わりが深い里山林では、大昔から森林資源の採取と攪乱が繰り返され、草原や芝刈地、または禿山が多く存在していた。
昔ながらの里山は、農民によって維持されてきた。里山の重要部分を占める雑木林の下草や落ち葉は堆肥や燃料にされ、樹木は20年から30年に一度伐採して薪や炭にされた。また、里山で成長する木材は建築材として、キノコ、山菜などの林産品は食料として利用された。こうして里山と人が上手く関わり合っていた(髙橋亜矢子 2006)。
里山には、薪炭材や落葉落枝の有機物肥料を採取するための薪炭林や農用林が広がっていた。薪炭林と農用林は一つの林分で両方の役目を担っていたものが多い。里山林や里山二次林といわれるのはこのような林またはその痕跡をもつ林である(藤森 2003)。薪炭林と農用林という言葉は、伝統的な農村生活における樹林の役割を表現して言葉である。薪炭林とは薪や炭を生産するための林であり、農用林は伝統的な農業に不可欠な堆肥を作るために必要な落枝・落葉や低木・下草を集めるための林である。これらの林はおもにマツ林や雑木林から成り立っている(武内 2001)。
里山の落葉樹林、マツ林、草原などは、薪、落葉、下草、芽を採取する際に定期的な攪乱を受け、また、土壌の栄養分が不足しがちとなる。実はそのような適度な攪乱や栄養不足のストレスは、植物の種多様性を高めるのに欠かせない条件である、植物体を破壊する作用として定義される攪乱、あるいは光合成物質生産を抑制する環境の作用と定義されるストレスがなければ、競争力の大きい植物が優先して資源を独占し、少数の種だけからなる植生が成立するからである(鷲谷 2001)。このように里山林は人為的に遷移が抑制されているため、林縁、ギャップ(光がよく入る空間)、草原地、湿性地、岩石地など様々な環境が存在し、それぞれの環境に適応した様々な植物が生育している。また、山麓や川岸などの湿気の多い場所に     、河原にフジバカマなど、里山には多くの希少植物種が生育している。
しかし近年、里山に対する人為的干渉の減少により、里山林の遷移の進行(森林化)などが進み、生育場所の喪失により、里山の植物の多様性が失われつつある(星山 2011)。すなわち、何もしないで放置すれば、雑木林は照葉樹林へ、人里草原もブッシュ(薮)化し疎林への遷移を始め、変貌してしまう(石井 1993)。むしろ下草刈りや干伐・枝打ち、採草といった適度な管理は、アズマネザサやネザサのような特定の林床植物の繁茂を防げるので、林床植物の多様性を高めることにつながることが多い(中静 2000)。
現在放置されている二次林は、(1)林床が笹で覆われ、美観を損ねている、(2)長年繰り返されてきた下刈りが行われなくなり、かつての薪炭林や農用林の林床に普通に見られた植生の姿が消え、生物多様性が失われつつある、(3)二次林を今後どのように活用していけばよい雨下という森林管理の目標が立っていない点の3つの点で問題視されている。今後二次林の価値は(1)都市近郊や地域の保健休養林、(2)バイオマスエネルギーや有機物肥料を供給する林、(3)広葉樹の建築、家具、内装材生産などのための育成林、(4)生物多様性などの生態系保全林の4つの点に求められる(藤森 2003)。
また里山での植林は、森林資源の平準化につながり、継続的な資源活用に資するために必要となる。裸地化した原野を植林によって緑を取り戻すことも地球環境の保全として重要なことである(星山 2011)。一方で、資源の継続性を確保する活動において、希少植物と共生ができなかった事例として、植林のために草刈りを行ったことで希少植物種が刈り取られ、その個体数を減少させたという例がある。こうした状況に至らないためにも、植林する際には植生調査を実施して植林箇所を選定する、または希少植物種を保護しながら植林を行うことが必要と考えられる(星山 2011)。
現状では、年々減少している農林業従事者にのみ里山環境の保全や管理を任せることは困難である。地域の環境保全のために、農林業以外の仕事に従事している人々や地域に住む人々に里山の問題を知ってもらい、里山環境の保全に対する意識を強めていくことが必要になる。

SATOYAMAイニシアティブ

日本政府は、COP10において、日本の里地・里山のような持続的生態系管理の思想や手法を国際的に促進していく取り組みとして、SATOYAMAイニシアティブを提唱した。SATOYAMAイニシアティブでは自然と共生的な社会のモデルとして、日本の里地里山における伝統的な自然-人間関係に注目している。このイニシアティブは、生物多様性の悪化を止め、回復の方向に転換し、生物多様性の恵みを将来にわたって人類が受けとるためには、原生的な自然の保全強化に加えて、人と自然の調和的な繁栄を再構築することが不可欠だという考え方に基づいている。「生物多様性の保全」と「持続可能な利用」という2つの目的を同時に達成するための土地や自然資源の利用・管理のあり方を考え、世界各地での実践を促進していくことを目的としている(渡辺 2010)。
SATOYAMAイニシアティブの長期目標は、自然のプロセスに沿った社会経済活動(農林水産業含む)の維持発展を通じた「自然共生社会」の実現である。生物資源を持続可能なかたちで利用・管理し、結果として生物多様性を適切に保全することにより、人間は様々な自然の恵みを将来にわたって享受できるような自然共生社会の実現を長期目標としている。その長期目標の達成に向けた道筋として、3つの行動指針を提案している。①多様な生態系サービスと価値の確保のための知恵の終結、②革新を促進するための伝統的知恵と近代科学の融合、③伝統的な地域の土地所有・管理形態を尊重した上での、新たな共同管理の在り方(「コモンズ(入会林などの共有地、または共有性のこと)」の発展的枠組)の探求などが提案されている(SATOYMAイニシアティブHP)。
また、これらの行動指針に加え(1) ランドスケープ(景観)の特徴の理解と、環境容量・自然復元力の評価、(2) 地域の伝統的生態学的知識と現代の科学知識の統合、(3) 生態系サービス最適化のための計画の策定、(4) 多様な主体による土地と自然資源の共同利用と管理への参画、(5) 地域コミュニティへの福利への貢献の5つを提案している(中村・嘉田 2010)。
人間と自然の良好な関係を構築することで、SATOYAMAイニシアティブは世界的なレベルで進行する生物多様性の損失を減速させることに貢献できると考える。
あわせて二次的自然環境での生物多様性の維持・向上、および持続可能な自然資源利用の促進といった二重の効果が期待される(SATOYMAイニシアティブ ホームページ参照)。
また、SATOYAMAイニシアティブの考え方に基づいた具体的な取り組みの推進に資するため、関係者間の情報共有や共同活動等を促進するための場として「SATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ(IPSI)」が発足した。
IPSIはSATOYAMAイニシアティブの推進に取り組むすべての団体に開かれたもので、2011年3月に開催されたIPSIの第1回定例会合においては新たに23団体がIPSIに加盟し、後もその数が増加する事が見込まれる。メンバーの拡大及びその活動の活性化に伴い、SATOYAMAイニシアティブの一層の推進が期待される(環境省 2011)。今後、長期目標・行動指針が含まれた持続可能な自然資源の利用を地球規模で実践していくために、更に多くの国々や機関との連携が必要となる。

里山生態系保全のモデル植物

里山生態系保全のモデル植物としてしばしばとりあげられる植物に、サクラソウがある。本種はサクラソウ科サクラソウ属の多年草であり、かつては北海道から九州まで、また低地から山地まで(山嶺や川岸の湿気の多い原野に特に多い)広く分布していた身近な植物であり、江戸時代には園芸植物として多くの品種が作出されている。園芸用の採集、管理放棄による植生の遷移、湿地の開発が減少の主要因である(鷲谷 2006, 星山 2011)とされるように、サクラソウは経済発展のための開発によって生育地が著しく改変されて、個体数が著しく減少した希少種の一つである。現在は環境省に準絶滅危惧(NT)、群馬県では絶滅危惧Ⅰ類に指定されている(星山 2011, 群馬県HP参照)。
サクラソウが含まれるサクラソウ科の植物は20属1000種ほど知られ、北半球にやや偏った分布を示す。サクラソウ属の植物は世界に500〜600種あるといわれ(山崎 2002)、日本には27種存在する。そのなかで環境省にレッドデータカテゴリとして指定されている種が25種となっていて(環境省HP参照)、サクラソウ属はその多くが絶滅の危機に瀕し、保全が早急に必要であることを示している。
サクラソウは花弁の色や形、花茎の長さ、花筒口などに多種多様な変異が見られ、同じ種でも生息地やパッチ毎に変化が見られる種である。これは異型花柱性という、サクラソウ科などの種子植物の25の科で独立に進化した独特のシステムによって構成される(鷲谷 1998)。異型花柱性とは、交互的雌雄離熟性(reciprocal herkogamy)および花型内不和合性(intramorph incomparibility)によって特徴付けられる植物の繁殖システムであり、二型花柱性(distyly)と三型花柱性(tristyly)の総称である。
交互的雌雄離熟性とは、花の中での柱頭と葯の配置にみられる遺伝的多型であり、二型花柱性の植物では花の中で柱頭を高い位置にもち、葯を低い位置にもつ長花柱型(ling-styled morph)と、それとは逆の柱頭と葯の位置をもつ短花柱型(short-styled morph)の二通りの花型から構成される。長花柱型はピン(pin)型、短花柱型はスラム(thrum)型とも呼ばれる。三型花柱性の植物は、花の中での位置が高い順に、柱頭・葯・葯となっている長花柱型、葯・柱頭・葯(mid-styled -morph)となっている中花柱型、葯・葯・柱頭となっている短花柱型の三通りから構成される交互的雌雄離熟性をもつ。
三型花柱性では、1つの花の中でも高さの異なる葯では生産される花粉の性質が異なっており、同じ高さの柱頭とのみ和合性(compatibility)がある。異型花柱性植物において、異なる花型間の和合性のある受粉は適法受粉(legitimate pollinarion)、そうでない受粉は非適法受粉(illegitimate pollination)とよばれる(西廣 2003)。異型花柱性は、虫媒あるいはハチドリ媒の多年生植物に限定されており、自殖回避、他殖促進のために進化したと考えられる(鷲谷 1998)。
異型花柱性について、初めて詳細な研究を行ったダーウィン(Darwin)は、異型花柱性は他殖の促進と自家受粉の回避を淘汰圧として進化した性質であるとした。異型の花間の受粉は、花の中の同じ高さにある柱頭と葯が、送粉者の体表面の同じ部位に接触することを通して促進されると考えた。これは現在も支持され、通説となっている(西廣 2003)。
とりわけサクラソウは、異型花柱性の様々な崩壊や変質も認められるサクラソウ属において、典型的な異型花柱性を残している種であり、植物の絶滅過程における繁殖特性や生物間相互作用の意義を明らかにする研究のモデルとしてだけではなく、異型花柱性という興味深い繁殖システムの進化維持機構を解明するためのモデル植物として得難い研究材料である(鷲谷 2006)。
さらにサクラソウ属の植物の特徴の一つに、「自殖(自家受粉など個体内での受粉による種子繁殖)」をする等花柱花モルフ(形態)がみつかることがある。昆虫による送粉が十分であれば、等花柱花モルフはごくまれにしかみられず、これは近交弱勢(自殖の子孫の生存力や繁殖力が他殖の子孫に比べて劣るという現象)のためと推測されている。しかし、昆虫による送粉サービスが不十分になると、昆虫に頼らなくとも種子を生産できる等花柱花個体のほうが繁殖上有利になり、集団のなかでその勢力を拡大し、極端な場合には異型花柱性そのものが失われることもあると推測されている。サクラソウ属のなかには、祖先種の異型花柱性が崩壊して等柱花だけが取り残されたと解釈できる単型種が、少なからず存在するからである(鷲谷 2006)。そして、相反する方向に花を導こうとする2つの選択圧に揉まれ続けたため、その形においても、生理的な性質においても、サクラソウの花はますます多様なものへと進化してきたとされる(鷲谷 1998)。種子を作るための配偶者を常に確保できるとは限らない移り変わりの激しい自然環境の中で、多くの植物は自殖を行い、たくさんの子孫を残せるように進化・適応していった一方で、サクラソウの異型花柱性にみられるような近親交配による近交弱勢を避け、より強い種を残すための他殖の仕組みもまた進化していったと考えられる。

水辺の植物多様性

日本は地形が急峻で多雨気候にあり、いたるところに水辺がある。とりわけ水田農業に必須である用水路、湿地やため池などの周辺では、水域から陸域にかけて連続性のある場所は移行帯(エコトーン)が構成されるため、その特異な環境から他にはみられない生物相を持つ(江方 2010)。自然あるいは人工的な水辺林自体も多様な樹木群集から成り立つ場合が多く、低頻度出現種や希少種の生存も可能にしている。この結果、水辺域は、地域の生物多様性維持に大きく貢献しているのである(鷲谷 1999)。
もともと湿地の植物であるイネを半人工の湿地とも言うべき水田で育てることで、これら生物の生息の条件は、むしろ拡大されたと考えられる。水田が湿地としての性格を残したことに加え、農業や生活のための植物資源や水資源を確保するために、樹林、草原、ため池、水路などが水田の周りに配された環境モザイクとも言える複合生態系が作られると、生物にとって多様な生息場所が提供された(鷲谷 2006)。
築造当初のため池は、生き物のほとんど暮らしていない水域であったが、長い年月の間に様々な植物や動物が移り棲み、池の環境条件に応じた多様な生物群集が成立するようになる。つまり水田やため池・用水路も里山と同様に、自然と人工が融合した二次的自然であるといえる。人為的に造られ管理されている水域では、水を抜いて池を干し、栄養分に富んだ底泥を採取して肥料として畑や水田に入れる「かい堀り」などの人為的な干渉が行われてきた。その結果、遷移の進行が阻まれ、ため池の環境と特有の植物群落が維持されてきた(江崎・田中, 1998)。
しかし、最近はため池の利用価値の低下や農業従事者の高齢化による労力不足などから、伝統的な管理が行われなくなったため池が増えている。その結果、ため池の生物群集に様々な変化が生じるようになった(江崎・田中 1998)。さらに、ヒトの生活域を流れる多くの川で岸辺に残された植生を作っているのは、今では残念なことに、そのほとんどがセイタカアワダチソウなどの帰化植物である。ヨシ原やオギ原が残されていたとしても、植物の多様性を保つために欠かせない枯れヨシ刈りや野焼きなどの管理が行われなくなった。すると、地面には枯れたヨシやオギが積もってしまい、小さな野草は春になっても芽を出すことが出来ない(鷲谷 1998)。このように開発だけでなく、人間による維持管理が行われなくなったこともまた、水辺の植物多様性の低下に繋がる原因の一つとしてあげられる。
2003年には里地里山を含む自然再生に必要な事項を定めた「自然再生推進法」が施行された。さらに2007年には、Ⅰ生物多様性を社会に浸透させる、Ⅱ地域における人と自然の関係を構築する、Ⅲ森・里・川・海のつながりを確保する、Ⅳ地球規模の視野を持って行動するといった4つの基本戦略を掲げ、約660の具体的施策、34の数値目標を織り込んだ「第3次生物多様性国家戦略」が制定された(環境省自然環境局生物多様性センター HP)。この戦略ではため池、水路、水田などの水域は多様な生き物のよりどころとして重要視し、水域の生態系の保全を進めると共に、休耕田や耕作放棄地を活用した湿地再生やビオトープ作りを進めるねらいがある。このような生物多様性の維持、回復を念頭に置いた水辺環境の基盤づくりを行う上で、水辺地域におけるアンダーユース対策と環境破壊につながる開発を防ぐ社会的基盤の整備、各地の風土的特徴を踏まえた水田の環境管理、地域特有の遺伝的多様性に対する変異のあり方の解明、専門家の意見に基づいた適切な湿原・遊水地の管理保全が重要である。
 日本の中においても群馬県は、特段に多様な立地条件を有している。気候は県北部の日本海型から、県南部の太平洋型まで多様である。また標高10数mの低地から、2500mを越える高山まで変化に富んだ地形を有し、西部から北部にかけて上毛三山と呼ばれる妙義山・浅間山・赤城山がそびえる。水系では尾瀬や玉原湿原、覚満淵などの湿原や多くの湖沼・ため池・利根川や渡良瀬川などの河川に恵まれている。また県土の約3分の2を森林が占めている一方で、関東平野の北端である県南部は、豊富な水資源を活用して広大な水田・畑作地帯となっている(石川他 2011)。また群馬県南東部にある板倉地域は、渡良瀬川、渡良瀬遊水池、利根川、谷田川及びその周辺に位置する池沼群があり、河川蛇行域の氾濫原が発達した地域で、自然堤防に挟まれた後背湿地や河跡湖がみられる。本地域は、群馬県の水郷地帯とも呼ばれ、県内で最も低い標高10m〜20mの低地帯である。このウエットランドは、生物相の豊かさ、高い生産力、そして健全な地球環境維持のための重要な生態的役割を有し、森林や海洋とならぶ重要な環境の一つであるといわれている(青木 2009)。

本研究の目的

以上のように日本とりわけ群馬県には、高い生物種多様性の維持と分布上重要な種の保全において、極めて学術的及び政策的価値が高いと考えられる地域が多数存在する(石川他 2008)。また群馬県には広大な山岳地帯が広がり、そこに成立している山地森林生態系は、生物多様性の保持機能、観光資源、および集水域としての水の保持機能が期待されている。こうした山地生態系の機能の持続的利用のためには、人間がこれら機能を低下・破壊しないように、利用と保全のバランスをとることを前提として維持管理方法を確立しなくてはならない(髙橋亜矢子 2006)。ところが、本県では生物相や景観保全のための法令や制度が存在しないため、盗掘や乱獲に対する法的な規制を行えず、絶滅危惧種・希少種が危機にさらされている現状が伺える。これらの保全のためには、1)景観や生態系保全のための法令、2)生態系保全型農業に対する振興策と助成制度、3)貴重な生物種の採取に対する罰則を伴う法令を整備するとともに、4)生態系や絶滅危惧種、外来種大型哺乳類に対するモニタリングを継続し、変化が現れた場合の迅速かつ順応的な対応を体制化する必要性がある(石川他 2008; 2009; 2011)。ここから、県内の絶滅危惧種・希少種の減少を防ぎ、生物多様性の維持・保全を行うにあたり、農業政策や環境政策など、政策分野の対応が不可欠になると考える。
以上を踏まえ、本研究では、群馬県の里山地域における絶滅危惧種・希少植物種を含む植物種多様性の現状とその形成・衰退要因、保全方法を解明することを目的とした。
生物多様性の保全、とりわけ里山の保全のような、人間による管理を前提に成立している自然環境下における保全のためには、特定箇所を複数年にわたって調査して野生生物と自然環境の経時変化及びその原因を明らかにする、いわゆる「モニタリング調査」を行う必要がある(鷲谷・鬼頭編 2007)。そこで、群馬県内において長期間にわたり里山として維持され、モニタリング調査が継続されている地域である西榛名地域、太田市、館林市、板倉ウエットランド地域、および隣接する栃木県南部を調査地とし、これらの地域において植物相調査を行って、里山地域においてどのような植物が生育し、植物種多様性がどのようにして維持されているか、現状を評価する。具体的には、この地域において絶滅危惧種・希少種の分布調査、個体数調査を行い、一部の種については花または種子を採取し(過去に採取された種子も含む)、結実率や発芽率を計測することにより、個体群の維持機構について検討した。
生物多様性保全のための保全計画の策定や環境影響の評価における現実的で効果のある案を作り実践するためには、個体群の動態やそれぞれの植物種の繁殖特性の解明や変動予測、およびそれらの原因の解明が不可欠である。さらに、水辺の絶滅危惧種で県内のビオトープでの保護育成が行われている(高橋美絵 2009; 江方 2010; 青木 2011)、フジバカマについて発芽実験と栽培実験を行い、発芽の温度依存特性と生長パターンの解明を行った。このフジバカマについての実験は、松田紗依との共同研究として行った。
これらの結果から、里山に育成する在来植物種の発芽・生長特性と生育環境条件の関係について、考察を行った。
なお保護上の理由により、本稿の一部を非公開とし、白紙としている。また盗掘防止の観点から、調査地の詳細な呼称の公表を控え、調査地に用いているコードネーム(例:金さん銀さん)を使用し、正確な位置が特定されないよう配慮した。

 


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