概 要

 

 2010年10月に名古屋でCOP10が開催されて以降、里山(SATOYAMA)という単語が、「人と自然の共生地」として世界中に認識されはじめている。里山とは、人間と自然が、人間の行う農林水産業を通して共に影響を与え合い成立している地域である。そのため、里山には非常に多くの野生生物・植物が生育し、高い生物多様性が維持されている。また本県の里山地域では、種数の多さに加えて多数の絶滅危惧種を含む希少植物種の生育が確認されている。かつて人間が生活を営むために長い間行ってきた農林水産業が結果的に里山の管理に繋がり、里山の高い生物多様性の形成・維持に貢献してきた。
しかし高度経済成長期以降、産業構造の変遷により人々の生活様式が変化し、燃料革命や水道の普及、農業の機械化、圃場基盤整備、農作物の輸入自由化や農業従事者の高齢化などの多くの原因により、従来人々の生活に不可欠であった里山は価値を失い、荒廃化が進んだ。里山環境の悪化に伴い、そこに生息する動植物は絶滅の危機に晒されるようになった。
 特に日本は固有の植物が多く、2007年に環境省によってまとめられたレッドリストには2,018種と多くの維管束植物が掲載されている。生物多様性の減少は、自然資源の恩恵を受ける人間の生存基盤に大きな影響を及ぼすことが明らかになり、1992年の国連環境開発会議以降、生物多様性を保全するための国際的な枠組の制定や環境保全活動が全世界的に広まった。日本でも種の保存法や生物多様性基本法などの環境関連法が整備され、環境保全への取り組みを強化しつつある。しかし2010年度版の環境白書では、2002年の生物多様性条約第6回締約国会議で世界が合意した2010年目標を、日本は達成できなかったと評価され日本の生物多様性の損失の傾向は留まっていないと結論づけられた。
 このような状況の中で、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が2010年に名古屋で開催された。このCOP10において日本は、SATOYAMAイニシアティブと呼ばれる生物多様性保全政策を提案した。このイニシアティブは、日本の里地里山における伝統的な自然と人間の共生関係を世界に広め、国内外の各地域の自然共生の現状を踏まえて持続的な自然資源の利用・管理を世界各国で推進していくものである。この政策の実現のためにも、里山における種多様性の現状とその維持機構を解明することが不可欠である。
 また本県は自然環境が多様であり、高い生物種多様性の維持と分布上重要な種の保全において、極めて学術的および政策的価値が高いと考えられる地域が多数存在するものの、生物相や景観保全のための法令や制度が存在しないために盗掘や乱獲に対する法的な規制を行えず、絶滅危惧種・希少種が危機にさらされている現状が伺える。
 このような里山と生物多様性の現状を踏まえて、本研究では群馬県の里地・里山地域における絶滅危惧種・希少植物種を含む植物種多様性の現状とその形成・衰退要因、保全方法を解明することを目的とし、群馬県内と近県のいくつかの里山地域において植物相調査を行った。また生育地間の植物相の違いと原因を解明するために、各調査地から採取した絶滅危惧種・希少種の種子を用いて発芽実験を行った。特に里山に生育する植物のなかでも、絶滅過程における繁殖特性や生物間相互作用を解明するモデル植物である     においては、複数の生育地で開花株数、花柱構成比、結実率調査を行った。またフジバカマの生育する複数地点で土壌を採取し、植物の生長に大きな影響を与える土壌中の窒素濃度とリン濃度を測定した。
 植物相調査の結果、里地・里山地域では非常に多くの在来植物の生育が確認された。その中には絶滅危惧種も多数含まれ、良好な里地・里山環境が存続していることが明らかになった。
 西榛名地域は、本研究で調査した地域の中でも最も植物種多様性が高く、多様な立地環境と伝統的な山間地農耕によって多様な生物の生育が実現されているものと考えられる。
 板倉ウエットランド地域では、本県では非常に少なくなっているマツモと、本県で2001年にレッドデータブックで絶滅とされたトチカガミの生育が確認された。今後これら希少種の保全を効果的に行うためには、要注意外来種、特定外来種に指定されている外来植物の駆除を行うことも重要となる。当地域は日本各地で失われつつある湿地が多く、また地域住民や行政機関の理解が比較的高いため、今後もこれら関係者の協働活動によって多くの湿性植物の生育が維持されることが期待される。
 館林地区の多々良沼では、確認された在来種数が2010年調査時の3種から13種へと大きく増加した。このうち5種が絶滅危惧種・希少種であり、外来植物種が確認されなかったことから、当地は引き続き良好な自然環境を保っていると推察される。
 太田市では、特に水田雑草を初めとする湿地性の絶滅危惧種・希少種が多く見られた。また農薬に弱い水田雑草の生育が確認されたことから、当地の水田は農薬の使用量が少ないと考えられ、このことが水田や付近の河川で多数の貴重種含む在来種が生育している要因と考えられる。
 栃木県南部では、在来種12種中6種が、国や各県指定の絶滅危惧種・希少種であることが明らかになった。栃木県では「生物多様性とちぎ戦略」や真岡市の市環境基本計画の策定、県内の小中学校での絶滅危惧種の保全活動など、行政機関と地域住民が一体となって生物多様性の保全に取り組んでいる。今後は行政指針の具体的な数値化や地域住民への保全活動のアプローチなどが重要な課題となる。

 

 

 

 

 

 

                             
 現在、里山地域において当地のように、伝統的農耕によって多様な植物相が成立し、多くの絶滅危惧種・希少種が生育している場所は、全国的に見ても極めて稀である。里山は原生的な自然と異なり、人の手が加わることで初めて形成される二次的な自然であるため、里山保全に求められることは、里山の管理・保全に携わる主体を拡大していくことにある。今後は現存する里地・里山地域の生態系の保全活動を継続的に行うだけでなく、条例や指針の整備が早急に求められる。また、環境保全活動は科学的知見が必要であると同時に、地域社会との関わりが重要となる。生物多様性の保全は一定の地域毎に行われるものであるため、地域住民や環境団体の協力が必要不可欠になる。絶滅危惧種・希少種を中心とした在来種が生育できるような環境の保全・再生は、言い換えれば、自然資源を消費するだけではない、持続的な生活を可能にする社会環境の構築である。今後里山の保全において、各地域の住民や環境団体の活動と、学術的知見を持つ専門家、行政団体の連携を行うことで生態系を保全するための社会基盤を整備し、また質の高い情報を共有することで、保全活動をより効率的にしていくことが今後の課題になると考えられる。


 

 

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