はじめに



里山とは何か
 「里山」という地域呼称は日本では昔から用いられているが、日本以外の諸国ではこれに該当する用語は見あたらない。近年、里山が「人と自然の共生の地」として世界的に注目を集め、生物多様性・生態系保全や文化人類学上の研究対象となり、「SATOYAMA」という表記が国際的に用いられている。
 里山にはいくつかの定義が提唱されている。風景の一単位として見るならば、「関東平野のように広大な平地がひろがっているところでは、里山は平地林からなり、山間地では人里に近い山林が里山なのである」(犬井 2002)、または「狭義には薪炭林あるいは農用林のことであるが、広義には水田やため池、水路からなる「稲作水系」や畑地、果樹園などの農耕地、採草地、集落、社寺林や屋敷林、植林地などの農村の景観全体、都市周辺の残存林などを含めることも多い」(石井 2005)とされる。また人間の営みの単位として見るならば、「日常生活及び自給的な農業や伝統的な産業のため、地域住民が入り込み、資源として利用し攪乱することで維持されてきた、森林を中心にした景観」(大住 2000)という定義があるように、里山では長年、主として農業が営まれ、農民は水田、畑地、ため池、二次林、草地を形成して持続的に利用してきた。例えば、毎年冬になると農民は林床の下刈りを行い、多量の落ち葉を採取して堆肥をつくり、農業の再生産を維持してきた(犬井 2002)。山林では、薪や粗朶を採取して燃料として用い、その灰を肥料として畑地にまいた。また、食料となる山菜やキノコを採集し、家畜の飼料や敷料として下草や落ち葉を利用し、その家畜の糞もまた田畑の肥料として利用された(山本 2000)。
 しかし、1960年代の高度経済成長以来、里山の多くは劇的な衰退の一途をたどることになる。石油やプロパンガスなどの化石燃料が薪や炭にかわって定着した(石井 1993)ことによって里山から薪炭材を切り出すことも不要になり、水道の普及によってため池や小川に生活用水を依存する必要がなくなり(吉武 2000)、堆肥は化学肥料に駆逐され、農業の現場において雑木林の存在価値が失われていった(石井 1993)。
 里山の衰退は雑木林に関してだけではない。農耕機械の普及により牛馬がいなくなれば採草地は不要になり、また農業の機械化は圃場整備を必要とする(石井 1993)。一方で、耕作しにくい谷津田などの休耕化が進んだ(西原・苅部・富沢 2007)。谷津田や棚田は区画が小さい、農道がつくりにくい、農家から遠いなどの悪条件下にあるため大河川沿いに広がる平野よりも稲作を続けるのに多くの労力を必要とする(山本 2003)からである。さらには「治水」の目的で、中小の河川にまでコンクリート護岸化が進んだ(佐藤 2005)。

生物多様性と里山
 近年の研究により、現在も昔に近い形で残っている里山地域には、非常に多くの野生生物が生育し、高い生物多様性が維持されていることが明らかにされつつある。特に植物に関しては、種数の多さに加えて、多数の絶滅危惧種を含む希少種の生育が確認されている(例、群馬県自然環境調査研究会 2006;2007)。里山は人間の手が常に加わっている地域である点で、いわゆる原生の自然とは全く異なる状況下にある。したがって、このような生物多様性の高さを解明するためには、これまでの生態学・環境科学的な学術研究の成果を踏まえた上で、「人間と自然との共生関係」という、新たな視点での研究を要することになる。
 里山の植物の多様性は、里山の地形の複雑さや、そこで行われた人為的作業によって異なる。谷津田や急斜面など多様な地形を含むほど、多様な植物が生育できる環境が保証される(中静 2000)。農業という営みはすべて、生態遷移を逆戻りさせたり、停止させたりすることによって成立している。農民は、田畑を耕すことにより裸地をつくり、ススキの原を刈ったり焼いたりすることにより草原を維持し、雑木林を定期的に伐採することにより照葉樹林への移行を停止してきた(石井 1993)。しかも、毎年のように同じことが繰り返されたことで、そこで生活する生物にとって必須な生息条件を与えてきた(中島2004)。特に人によって造られた水系は、比較的攪乱されることが少なく、より安定した環境を提供してきた(土山 2001)。こうした人間と自然との共生的な営みが、里山の高い生物多様性の形成と維持に、何らかの形で貢献してきたと考えられる。
 逆に近年多くの里山で見られるように、人間による里山の管理がなされなくなって植生が変化すれば、それに依存する生物の相も当然変わってしまう(石井 1993)。このため、里山の環境に依存した生物種は次々と希少種になっていった(中島 2004)。
 日本の高度経済成長期以降は、水田そのものを消失させる開発、耕作の放棄による植生遷移の進行、圃場整備による乾田化、用水路のパイプライン化と排水路のコンクリート三面張り化、農薬や過剰な化学肥料による汚染によって、水田や水路で生活する生物の生育条件は悪化し(鷲谷2003)、このため多くの水生生物にとって重要な生育場所である、植物の豊富な浅い水辺が消失する傾向にある(西原・苅部・富沢 2007)。
 前述のように里山には絶滅危惧種が多数生育しているとされるが、それは里山に絶滅危惧種が残されているのではなく、里山自体が変化・衰退し失われつつあるため、そこに暮らしている動植物の生育場所が失われて、絶滅の危機が増大しているということである。

絶滅危惧種とその現状
 日本は狭い国土でありながら、島国でありかつ地形が複雑に発達し、降雨量もかなり豊富なことから、5500種を超える陸上植物が生育していて、世界でも有数の植物の豊富な地域として知られている。そのうち約三分の一の種は世界中で日本にしか生育していない日本固有の植物である。その中には狭い日本のさらにごく一部の地域にのみ生育しているものもある(植田 1993)。
 国際自然保護連合(IUCN)の働きかけにより、世界各国で「絶滅のおそれのある生物のリスト」の作成が行われ、継続的調査研究によって毎年改訂されている(IUCNホームページ参照)。このリストは「レッドリスト」と称され、レッドリストに掲載された生物の分類・生態学的特徴と絶滅危険度の現状をとりまとめた刊行物は「レッドデータブック」と称されている。日本においては、最初の植物レッドデータブックは1989年に発行された。1994年からさらに詳細な調査が行なわれ、1997年にレッドリストが改定され、それを改定する形で2000年には環境庁版の新しい植物レッドデータブック『改訂・日本の絶滅のおそれのある野生生物−レッドデータブック 植物I(維管束植物)』が出版された(矢原 2003)。
 レッドリストでは、過去にわが国に生息したことが確認されており、飼育・栽培下を含め、わが国ではすでに絶滅したと考えられる種を「絶滅(EX:Extinct)」、過去にわが国に生息したことが確認されており、飼育・栽培下では存続しているが、わが国において野生ではすでに絶滅したと考えられる種を「野生絶滅(EW:Extinct in the Wild)」、ごく近い将来における野生での絶滅の危険性がきわめて高いものを「絶滅危惧IA類(CR :Critically Endangered)」、IAほどではないが、近い将来における野生での絶滅の危険性が高いものを「絶滅危惧IB類(EN:Endangered)」、現在の状態をもたらした圧迫要因が引き続き作用する場合、近い将来「絶滅危惧I類」のランクに移行することが確実と考えられるものを「絶滅危惧II類(VU:Vulnerable)」、現時点での絶滅危険度は小さいが、生息条件の変化によっては「絶滅危惧」として上位ランクに移行する要因を有するものを「準絶滅危惧種(NT:Near Threatened)」、環境条件の変化によって、容易に絶滅危惧のカテゴリーに移行し得る属性を有しているが、生息状況をはじめとして、ランクを判定するに足る情報が得られていない種を「情報不足(DD:Data Deficient)」と評価している。
 最新版の日本のレッドリストは平成19年に見直しが行われたもので、記載されている維管束植物の種数は、絶滅33種、野生絶滅8種、絶滅危惧IA類523種、絶滅危惧IB類491種、絶滅危惧II類676種、準絶滅危惧種255種、情報不足32種の合計2018種である(環境省ホームページ参照)。
 レッドリストやレッドデータブックは各都道府県でも作成されている。各都道府県それぞれに独自の基準を設け、地域の動植物を評価している。群馬県では、県内の絶滅のおそれのある野生植物の一覧(群馬県の植物レッドリスト)をまとめ、平成12年2月に公表した。また、レッドリスト掲載の個々の種について、特徴や評価の理由、分布状況等の情報を加えた「群馬の絶滅の恐れのある野生生物(植物編)」(群馬県レッドデータブック植物編)を作成し、平成13年1月に発行した(群馬県庁ホームページ参照)。
 群馬県レッドリストでは、県内ですでに絶滅した種を「絶滅」、県内では絶滅の危険性が増大している種を「絶滅危惧I類」、県内では当面絶滅のおそれはないが、個体数が著しく減少している種を「絶滅危惧II類」、県内では個体数が少なく、分布の限られている種を「準絶滅危惧」、群馬の地域的な特性として、もともと個体数が少なく分布が限られている種を「希少」、県内では評価するだけの情報が不足している種を「情報不足」とする6段階の評価を行っている。群馬県レッドリストでは絶滅55種、絶滅危惧I類157種、絶滅危惧II類26種、準絶滅危惧種11種、希少104種、情報不足29種の合計382種の植物が記載されている。平成21年度より、この群馬県版レッドリストの改訂作業が開始されるが、これはこの数年間の調査研究により、特に県内の里山地域と水辺地域において、多数の絶滅危惧種の生育が明らかになってきた(群馬県自然環境調査研究会 2006;2007)からである。

生物多様性国家戦略
 1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)に合わせ「気候変動に関する国際連合枠組条約」(気候変動枠組条約)と「生物の多様性に関する条約」(生物多様性条約)が採択された。生物多様性条約はその第六条で、それぞれの国が生物多様性の保全と持続可能な利用を目的とした「国家戦略」つまり、国をあげて取り組むための方針と計画を作ることを求めている(鷲谷 2003)。これを受けて、日本では1995年に「生物多様性国家戦略」が策定され閣議決定された。この国家戦略は、条約発効から2年という早期に策定し、生物多様性というキーワードを国の政策の中に位置づけたという積極的な面があるが、各省庁がすでに実施している政策を集めたという性格が強く、鋭い現状分析にもとづいた実効性の高い戦略にはなりきっていなかった(鷲谷 2003)。
 このため2002年に閣議決定された「新・生物多様性国家戦略」では、策定段階で各省庁だけでなく自然保護団体や関連する分野の研究者が参加し、現状分析や具体的な方策が検討され、多くの点が改訂された(鷲谷 2003)。すなわちこの「新・生物多様性国家戦略」では、残された自然の保全に加えて自然再生を提案したこと、各省の連携の観点を施策レベルで強化したこと、現状分析として社会経済的な視点や、生物相や生態系の分析の充実に努めたこと、策定過程で専門家や自然保護団体などの意見を広く聴くように努めたこと、などの改善がなされた(環境省編 2008)。
 2007年11月には、さらに「第三次生物多様性国家戦略」が閣議決定された。この第三次国家戦略は、具体的な取組みについて、目標や指標などもなるべく盛り込む形で行動計画とし、実行に向けた道筋が分かりやすくなるよう努めたこと、「100年計画」といった考え方に基づくエコロジカルな国土管理の長期的な目標像を示すとともに、地球規模の生物多様性との関係について記述を強めたこと、地方公共団体、企業、NGO、国民の参画の促進について記述したことなどが大きな特徴である(環境省編 2008)。

生物多様性基本法
 「生物多様性基本法は」民主党の議員立法により国会に提出・可決され、2008年6月に施行された。生物多様性基本法は、これまでの日本になかった、野生生物や生息環境、生態系全体のつながりを含めて保全することを目的とした、初めての「基本法」である。「鳥獣保護法」、「特定外来生物法」、「自然再生推進法」などこれまでの法律では、ごく一部の生物や環境以外は保全することができなかった。生物多様性基本法はこれらの自然保護にかかわる法律の上位に位置する「理念法」であり、各法律の施行状況を確認し、必要であればその改正や状況の改善を求めることができるものとすることにより、生物やその生息・生育環境の保全を強化しているのである(WWFジャパンホームページ参照)。

自然再生事業
 生物多様性国家戦略では、「自然再生事業は、人為的改変により損なわれる環境と同種のものをその近くに創出する代償措置としてではなく、過去に失われた自然を積極的に取り戻すことを通じて生態系の健全性を回復することを直接の目的として行う事業」とされている(亀澤 2003)。この考えのもと、ビオトープづくり、動植物やそれらの生活環境の保護、景観の回復事業などが行われている。
 自然を再生するには、長期間の時間を必要とする。また、地域に固有の生態系の再生をめざすものであることから、国、地方公共団体、専門家、地域住民、NPO/NGOなど多様な主体の参加が不可欠である。国も、環境省、農林水産省、国土交通省といった関係各省の横断的な連携が重要となる。そして、こうした地域の多様な主体が、計画段階から事業実施、完了後の維持管理にいたるまで、積極的に参画することが必要となる(亀澤 2003)。
 多様な主体の参加に加えて、生態系という複雑で予測が困難な対象を扱うため、「順応的管理」の手法を用いて事業を進めることが適切である。順応的管理とは、「仮説となる計画の立案−事業の実施−モニタリングによる検証−事業の改善」の繰り返しにより事業を成功に導く、プロジェクトサイクルによる科学的管理手法である(鷲谷 2007)。このため自然再生事業においては、自然環境の回復状況を常にモニタリングすることが不可欠である(亀澤 2003)。
 開発行為によって著しく生育環境が損なわれた場合、地上から生存個体が完全に消失してしまった植物種が少なくない場合も多い。このような場合に、多種の植物で構成される「植生」を回復させるには、「土壌シードバンク」が最後の望みの綱となる(鷲谷 2003)。土壌シードバンクとは、土壌中に長期間生きたまま残存している未発芽の種子のことである。地上の植生から生育個体が失われても、土壌中には土壌シードバンクの状態で種子が残されている可能性がある。したがって、当該地域からすでに消失したと思われる植物種でも、土壌シードバンクを用いてその再生を図ることができる可能性がある(荒木・安島・鷲谷 2003)。

里山再生
 里山の植生も、他の植生と同様に遷移の系列の途上にあるので、立ち入りや生物の採集を禁止しただけでは現状を維持することはできない。すなわち、何もしないで放置すれば、雑木林は照葉樹林へ、人里草原もブッシュ化し疎林への遷移をはじめ、変貌してしまう(石井 1993)。むしろ下草刈りや間伐・枝打ち、採草といった適度な管理は、アズマネザサやネザサのような特定の林床植物の繁茂を防げるので、林床植物の多様性を高めることにつながることが多い(中静 2000)。
 生物多様性の保全を地域において追求する際にもっとも重要なことは、「固有性」、すなわち地域に固有な自然と人間の営みの多様性を重視することである(鷲谷 2007)。したがって里山の再生においても、表層的な植生だけではなく、それを支えてきた人と森林とのかかわり合いの構造に目を向けることが重要である。伝統的な利用が途絶えてしまった里山を、今後我々が地域社会の中で、資源、環境、文化としてどう位置づけし直し、それとどのような関係を再生しうるのかということが課題とされている(大住2000)。すなわち、地域住民が日常行ってきた伝統的な農業が生物多様性を保全してきたことを前提として、地域住民の理解、合意形成による協働を推進することが、今後の持続的な保全のためには不可欠である(西原・苅部・富沢2007)。

ビオトープ
 自然環境再生事業のひとつにビオトープ構築がある(杉山 1995)。ビオトープという言葉は、最近、新聞や雑誌に登場し、自然環境関連のキーワードとして関心を集めているが、100年前頃から使われていた、学術用語である(秋山 2000)。ビオトープ(biotope)は、生き物を意味する“bios”と場所を意味する“topos”の合成語であり、ドイツの生物学者ヘッケルによって1世紀ほど前に提唱された言葉である(大石 1999)。
 ビオトープ(biotop)は、「特定の生物群集が生存できるような特定の環境条件を備えた均質な、ある限られた地域」という意味である(後藤・鷲谷 2003)。生息地(habitat)と類似した概念であるが、生息地(habitat)が種あるいは個体群を主体としたその育成・生息に必要な環境条件を備えた空間を指すのに対し、ビオトープは生物群集を主体とした概念である。日本では、環境修復やミチゲーション(mitigation、開発行為による自然環境への悪影響を軽減するために、開発の対象となる生態系の持つ機能を他の場所で代償する行為)で創造された空間や、都市域に創造された生物生息空間を指す用語として1990年代に入ってから盛んに用いられるようになった(西廣 2003)。
 ビオトープは、もともとは「生態系」と同様な意味で使われていた。しかし今日のドイツでは、この単語が環境計画とかかわる行政上の用語としてしばしば使われている。例えばドイツのバイエルン州にでは、自然保護の観点から特に重要性が高く、保存を要する地域を指す用語となっている。一方日本においては、生物の生育環境を人工的に復元した場所を指す用語として定着している。たとえば、河川で行なわれる近自然工法、環境修復やミチゲーションのための多自然型川づくり、湿地の保全・復元などにおいて創出される空間が、ビオトープと呼ばれている(後藤・鷲谷 2003)ように、地域の生態系や野生動植物を保全することを目的としてつくられる環境であるといえる。
 現在「ビオトープ」を名乗るものはかなりの数があるが、中には本来の意味から離れた形で設置されているものも多い。遠い地域から植物の移植や、利用しやすい外来種を用いることによって逆に生態系が破壊されてしまうこともある(上赤 2001)。また、設置=完成、あるいは数年以内の短期間に見られる形態を持って完成、とみなしていることも少なくない。ビオトープを本来の意味に合ったものにするためには、中・長期的な「育成管理」が必要不可欠である(中島 2004)。ビオトープはその土木工事上の竣工をもって完成とするべきではなく、竣工が実質的なスタートとなる。ビオトープには、「造成」と「管理」の明確な区別がなく、つくるときにはその後の管理を考え、管理をしながら次なる事象をイメージしていくといったつながりが大切である。したがって、従来の公園などに使われる「維持管理」ではなく「育成管理」という言葉がふさわしく、子育てと同様に「育てる」、「見守る」という姿勢で構築していくことが適切である(秋山 2000)。ビオトープの育成管理目的は、多様な種が生息する生態系を復元させることである。そのためには、物理化学的環境を多様化させることが最も重要であり、まず、植物相を多様化させる必要がある。その主な方法は、外来植物を除去し、在来種の増殖を促進していくことである。一般に外来植物は繁殖力が強く、侵入地域の在来植物種の生育を阻み、衰退させてしまうおそれがある。また、生物の多様性を低下させ、生態系の破壊を引き起こす危険が高い。そのため、勢力が過大な外来植物の除去を継続的に進めていく必要がある。一方在来種については、人間が無理に手を加えていくと生態系を破壊してしまうおそれもあるため、周囲から風や鳥によって持ち込まれたものがビオトープ内に定着し、安定的に増えていくよう、手を添えていくことが望ましい。
 現在モデルケースとして良いビオトープとして、群馬県邑楽郡明和町の株式会社アドバンテスト群馬R&Dセンタ2号館敷地内に2001年4月に竣工した大型ビオトープがある(高岩 2007)。本ビオトープは、半導体試験装置等の開発・製造業者であるアドバンテスト社が、環境保全活動の一環として、自然環境との共生をうたって構築したものである。本ビオトープの面積は約17,000uと、民間企業所有としては国内最大級の規模のものである。ビオトープ建設は工業団地の一角に位置しており、建設前の用地は、雑草がまばらに育成する程度の裸地であった。敷地周辺は水田が広がり、畑地、雑木林などが点在しており、敷地北側には谷田川が、約2km南には利根川が流れている。
 本ビオトープの育成管理に際しては、竣工時から群馬大学社会情報学部環境科学研究室の石川真一教授が、生態学的モニタリング調査に基づいたアドバイスを行なっている。すなわち、外来植物が確認された場合は、その除去・時期を検討し、アドバンテスト社に提案してきた。また在来植物の生育状況を定期的に調査して、増殖のための提案も行ってきた。アドバンテスト社は、これらをもとにしてビオトープの管理を行なっている。これまでの調査結果から、本ビオトープには多くの在来植物の定着が確認され、2001年度は25種であったが毎年増加し、2007年度には79種を確認した(高岩 2007)。また2006年度に準絶滅危惧種のミゾコウジュ、絶滅危惧II類のフジバカマの生育が確認される(依田 2006)というように、地域の里山環境へと再生が進行していると考えられている。

研究の目的
 以上のような里山と生物多様性の現状を踏まえて、本研究では里山の植物種多様性の現状とその維持機構を解明することを目的とした。このためにまず、群馬県内の里山地域、および里山環境の再生を目指している、アドバンテスト・ビオトープ(明和町)および伊勢崎市植蓮の男井戸川遊水池予定地(通称・やたっぽり)を調査地とした。里山地域としては、群馬県自然環境調査研究会が調査を行っている、群馬県中之条町と新治村にわたる地域(通称・大道峠)、東吾妻町(通称・西榛名)、板倉町から渡良瀬遊水池にわたる地域(通称・板倉ウエットランド)を調査地とした。これらの調査地において植物相調査を行って植物種多様性の現状を評価した。また調査地で採取した数種の在来植物の種子について、発芽実験を行って発芽の温度特性を解析することにより、多様性の維持機構に関する考察を行った。さらに、準絶滅危惧種であるカワヂシャと、近縁種で特定外来種であるオオカワヂシャについて、発芽実験と生長解析を行って結果を比較することによって、絶滅危惧種がなぜ絶滅の危機に瀕するのかについて考察を行った。
 なお本論文においては、絶滅危惧種の保護上の理由により、一部の結果を非公開としている。また盗掘防止の観点から、調査地の詳細な呼称の公表を控え、調査時に用いているコードネームを使用して、正確な位置を特定できないように配慮した。



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