概要

 古来より日本の里山では農林業が営まれ、水田、畑地、ため池、二次林、草地を形成して持続的に利用してきた。さまざまな方法で利用された自然は再び復元されていった。しかし、高度経済成長期から生活様式が大きく変化したことによって、しだいに里山は利用されなくなり、里山の林や田畑などが荒れるようになった。こうした里山環境の悪化に伴って、そこに生息する動植物は絶滅の危機にさらされるようになった。特に日本は固有の植物が多く、環境省によってまとめられたレッドリストには2018種もの維管束植物が掲載されている。
 生物多様性国家戦略など自然環境を保護・再生することを目的とした法律が制定され、過去に失われた自然を取り戻し、生態系を健全化する自然再生事業が行われている。自然再生事業では国、地方公共団体、専門家、地域住民、NPO/NGOなど多様な主体が参加し、柔軟な姿勢で事業に取り組むことが重要となる。里山では、その生物多様性を支えてきた文化や社会システムをどのようにして維持していくかが課題となっている。地域住民の理解、合意形成による協働活動が、今後の持続的な保全のためには不可欠であるとされる。また、日本では地域の生態系や野生動植物を保全することを目的として、自然再生事業のひとつであるビオトープの造成例が増えている。ビオトープでは竣工後も長期間にわたって育成管理を行っていくことが必要で、生態学的モニタリングに基づいた継続的な管理が不可欠である。
 このような里山と生物多様性の現状を踏まえて、本研究では里山の植物種多様性の現状とその維持機構を解明することを目的とし、群馬県内の里山地域と自然再生事業の行われている地域において植物相調査を行った。また、各調査地から採取した種子を用いて発芽実験を行い、里山に特有な植物の種子発芽特性について考察を行うとともに、在来の準絶滅危惧種であるカワヂシャと外来種であるオオカワヂシャの生長解析結果と比較することによって、絶滅危惧種がなぜ絶滅の危機に瀕するのかについて考察を行った。
 植物相調査の結果、里山地域では非常に多くの在来植物の生育が確認された。その中には絶滅危惧種も多数含まれ、地域特有の植物が生育していることが明らかになった。特に西榛名地域では里山特有の在来植物が多数確認され、確認種数は215種にものぼった。この地域のように湿地、暗い林内、二次林、草原などさまざまな立地環境が形成されているところでは多様な生物が生息可能になっているものと考えられる。また、二次林の管理によって引き起こされる遷移の停止や二次遷移の誘導が、林床の草本植物の多様性に大きく寄与していると推察される。
 大道峠地域でも多数の在来植物が確認され、在来種は187種であった。この地域は山間地であり、野生動物による農産物の食害や耕作面積が小さいため収益を得にくいこと、高齢化など、今日の日本における農林業に特有の問題を抱えていた。
 板倉ウエットランド地域では、全体で129種の在来種の生育が確認された。特に渡良瀬遊水池では多数の絶滅危惧種が確認されたため、今後もさらに湿地環境の保護や改善が求められるといえる。
 自然再生事業のひとつであるアドバンテスト・ビオトープでは、例年の調査と同様に100種類を超える植物の生育を確認することができた。その多くが在来種で、絶滅危惧種や里地においてみられる種、また周辺湿地地域でも生育している種が多数生育していた。
 伊勢崎の遊水池予定地では、休耕田をビオトープとして利用していた経緯から、4種類の水生・湿地生絶滅危惧種の生育を確認することができた。また多くの在来種が生育しており、遊水池の建設に際してはそれらの生物の保護・再生が必要であり、そのためには表土を保存し土壌シードバンクによる再生を行うことが効果的であると推察される。
 発芽実験を行った結果、ヒロハヌマガヤ、カラハナソウ、キバナアキギリ、フジバカマ、サジオモダカは温度レジーム間で最終発芽率に有意な差がなく、長期間にわたって土壌シードバンクが維持されるものと推察される。ミゾコウジュ、フシグロセンノウは高温ほど最終発芽率が高く、いったん地中深くに種子が埋没すると長期間にわたって土壌シードバンクが維持されるものと推察される。ノブキ、キンミズヒキは高温下で二次休眠が誘導され、早春に発芽するが、発芽の適期を逃した種子は高温により二次休眠状態に入り、長期間にわたって土壌シードバンクが維持されるものと推察される。
 生長解析では、体制の違いが原因となって、生育光条件が明るい場合にはオオカワヂシャの方がカワヂシャよりも生長が早く、逆に生育光条件がやや暗い場合にはカワヂシャの方が生長が早くなることが明らかになった。すなわち裸地的な立地条件下では、準絶滅危惧種のカワヂシャは特定外来種のオオカワヂシャに生長速度で負けるため、駆逐されるおそれがあると推察される。
 里山では古来より、伝統的農耕手法による定期的な中規模攪乱によって、多様な生育環境が形成されている。本研究では、こうした中規模な人為的攪乱が里山の高い植物種多様性を生み出していることが示唆された。今後は、現存する里山地域の動植物の保全活動だけでなく、その存立条件たる社会的基盤の整備、すなわち、地域の農林業と地域社会をどのようにして持続可能にするか、ひいては日本の農林業をいかにして再生するかが、企業、行政機関、政府に問われる。
 ビオトープや遊水池・ため池などによる自然再生事業は、生物多様性の保全に新たな方向性をもたらす。持続的な真の自然再生を実現するためには、人の手による継続的な関与=育成管理が必須である。現在も安定した状態で保たれている里山は、自然再生の到達目標として、また自然再生事業の遂行に際して様々なヒントを得ることができる場所として、そして自然再生事業と同時進行の形で、動植物の生息域を保護・拡大することができる場所として重要であるといえる。



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