はじめに

 

日本においては、自然環境復元活動が1980年代後半から、自然保護運動の一環として始まった。当初はホタルの里の復元運動のような、小規模なものから始まり、その後このような試みは年々増加し、導入の対象とする生物の種もトンボ、カエル、チョウ等と多様化していった。それと共に、そのような活動に参加する市民の層も次第に厚さを増していった。これらの動向の背景には、一般市民の環境、とりわけ身近な環境に対する危機意識の深まりがあったと考えられる(杉山1995)。

一方、自然環境復元活動のシンボル的生物とは別に、自然環境総体の復元活動も同様に活発化している。(杉山1995)。最近では、地域の生態系そのものの復元を目的とした自然環境再生事業が盛んに行われるようになっており、そのひとつとしてビオトープ構築がある(杉山1995)。ビオトープという言葉は、最近、新聞や雑誌に登場し、自然環境関連のキーワードとして関心を集めているが、100年前頃から使われていた、学術用語である(秋山2000)。ビオトープ(biotope)は、生き物を意味する“bios”と場所を意味する“topos”の合成語であり、ドイツの生物学者ヘッケルによって1世紀ほど前に提唱された言葉である(大石1999)。

生態学辞典によると、ビオトープ(biotop)は、「特定の生物群集が生存できるような特定の環境条件を備えた均質な、ある限られた地域」という意味である(生態学辞典2003)。生息地(habitat)と類似した概念であるが、生息地(habitat)が種あるいは個体群を主体としたその育成・生息に必要な環境条件を備えた空間を指すのに対し、ビオトープは生物群集を主体とした概念である(西廣2003)。

ビオトープとは、もともとは「生態系」と同様な意味で使われていた。しかし今日のドイツでは、この語が環境計画とかかわる行政上の用語として使われている。例えばドイツのバイエルン州にでは、自然保護の観点からとくに重要性が高く、保存を要する地域を指す用語となっている。一方日本においては、生物の生育環境を人工的に復元した場所を指す用語として定着している。たとえば、河川で行なわれる近自然工法、環境修復やミティゲーション(開発行為による自然環境への悪影響を軽減するために、開発の対象となる生態系の持つ機能を他の場所で代償する行為)のための多自然型川づくり、湿地の保全・復元などにおいて創出される空間が、ビオトープと呼ばれている(後藤・鷲谷2003)。つまりは、地域の生態系や野生動植物を保全することを目的としてつくられる環境である。

ビオトープという言葉が一般化され、広まってきた理由は、ひと昔前までは存在していた身近な自然が、この数十年の間に人間活動によって生態系が喪失、劣化されてきたとによる。自然破壊が深刻であったドイツをはじめ、さらに自然破壊が激しかった日本においても、市民が身近な自然を自らの手で復元する活動を活発化させてきている(杉山1999)。

日本におけるビオトープは、静岡大学の杉山教授らによって、1992年に同大学構内に造成されたものが最初とされている。これは「多様な生物の生活空間づくり」を目指したものであり、このビオトープは、約500uの荒地に小川、池、丘、草地などの立地環境を構築した。2000年現在ここには、約50種の動物、300種以上の昆虫類、両生類などが生息している。このことは多方面で報道され、それで初めてビオトープを知った人も多いようであった。この杉山教授の試みは、意識的なビオトープづくりの始まりであり、今日のビオトープづくりの原点となっている(秋山2000)。現在では、特に学校の校庭や公園に止水域などを造成し、野生生物が生息できるようにする活動がビオトープ運動として高まっている。これらの各地域に造成されたビオトープは、失われた身近な自然の復元、環境教育の現場の提供、各地域における絶滅危惧種の系統維持など、生物多様性の保全において重要な役割を担うものである(西廣2003)。

ここで、絶滅危惧種とは、絶滅のおそれのある種のことである。環境省および都道府県等自治体の団体によって作成されている。分類ごとにレッドリスト(日本の絶滅のおそれのある野生生物のリスト)を作成・公表し、これを基にレッドデータブック(日本の絶滅のおそれのある野生生物の種についてそれらの生息状況等を取りまとめたもの)が順次編纂される。レッドリストのカテゴリーは、日本ではすでに絶滅したと考えられる種を「絶滅(EX)」、飼育・栽培下でのみ存続している種を「野生絶滅(EW)」、絶滅の危機に瀕している種「絶滅危惧T類」の中で、ごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種を「絶滅危惧TACR)」、TA類ほどではないが、近い将来における絶滅の危険性が高い種を「絶滅危惧IB類(EN)」とし、絶滅の危険が増大している種を「絶滅危惧U類(VU)」、現時点では絶滅危険度は小さいが、生息条件の変化によっては「絶滅危惧」に移行する可能性のある種を「準絶滅危惧(NT)」、評価するだけの情報が不足している種を「情報不足(DD)」、地域に孤立している個体群で、絶滅のおそれが高いものを「絶滅のおそれのある個体群(LP)」の7段階にランク分けされる(矢原監修 2003)。環境省が2000年に発表した日本版レッドデータブック植物編には、外来植物をのぞく日本の野生植物約7000種類のうち、25種が「絶滅」、1665種が「絶滅危惧」であることが明らかになった。これらをあわせると、日本の野生植物の約24パーセントに達する(矢原監修 2003)。希少種が見つかると、つい希少種の保護を優先的に考えがちになるが、特定の種のみ保護するのではなく、その種も含めた生息環境全体を保護していくことが重要である(近自然研究会2004)。

「ビオトープ」といっても、かなりの数のものが、本来の意味から離れた形で設置されている危険性がある。また、設置=完成、あるいは数年以内の短期間に見られる形態を持って完成、とみなしていることも少なくない(近自然研究会2004)。ビオトープを本来の意味に合ったものにするためには、中・長期的な「育成管理」が必要不可欠である。ビオトープはその土木工事上の竣工をもって完成とするべきではなく、竣工が実質的なスタートとなる。ビオトープには、「造成」と「管理」の明確な区別がなく、つくるときにはその後の管理を考え、管理をしながら次なる事象をイメージしていくといったつながりが大切である。したがって、従来の公園などに使われる「維持管理」ではなく「育成管理」という言葉がふさわしく、子育てと同様に「育てる」、「見守る」という姿勢で構築していくことが適切である(秋山2000)。ビオトープの育成管理方法として必要不可欠な事項の一つに、国外外来植物(本稿では以後「外来植物」とする)の除去がある(杉山1999)。外来植物は一般に繁殖能力が強く、周辺に育成する在来種の育成を阻み、衰退・消滅させるおそれがある。さらには、生物多様性の低下や生態系の破壊を引き起こす危険性が高い(日本生態学会2002)。その対策として、20046月に「特定外来生物による生態系等に関わる被害の防止に関わる法律」が公布され、生態系等に関わる被害を及ぼすあるいは及ぼす可能性がある外来生物を特定外来生物として指定し、防除などの措置を講ずることが定められている(近自然研究会 2004)。したがって、ビオトープの植物相をはじめとする生物多様性を高め、本来の目的に沿った構築を行なうためには、勢力過大な外来植物の除去を継続的に進めていく必要がある。また、ビオトープの生物多様性を高めるためには、在来種の増殖を促進していくことが効果的である。この場合促進とはいっても、ビオトープ周辺から移入してきた在来種がビオトープに安定的に増加していくように手を添える程が望ましい。人間が無理に手を加えると、かえって生態系を破壊してしまうおそれがあるからである。またビオトープに出現する植物は、現在確認されている植物や、今後ビオトープに周辺から風や鳥などによって運ばれてくる植物のほかに、土の中で休眠している「土壌シードバンク」から出現する可能性もある。土壌シードバンクとは、土壌中の種子が、芽生えの成長に不適切な条件であった場合に発芽せず、休眠発芽特性をもって地中に蓄えられている生存種子の集合である(荒木・安島・鷲谷2003)。種子の休眠発芽特性は、それぞれの種の生育場所や生育季節によって、種ごとにさまざまである(荒木・安島・鷲谷2003)。日本において、植物の生育に適しているのは、乾燥し寒冷な冬よりも、高温多雨の夏の方である。ここに生育する多くの植物の種子は、冬の低温を経験して初めて休眠から覚める生理的特性を持ち、春に発芽する(荒木・安島・鷲谷2003)。また生理的に休眠している種子の中には、発芽に適した温度や水分に恵まれていても発芽せず、芽生えの成長に適した時期を示す環境シグナル(例えば交代温度)を受け取ってから発芽するものもある(荒木・安島・鷲谷2003)。以上のような状態で土壌中に休眠している種子の集合体が土壌シードバンクである。当該地に現在生育する植物種について、個々の土壌シードバンク形成能力を、発芽実験をもとに解析することによって、各植物種の持続可能性を予測することができる。これらの結果をもとにして、当該植物が外来種であれば駆除・防除方策を、在来種であれば育成方策を、具体的に構築することが可能となる。

本研究では、アドバンテスト群馬R&Dセンタ2号館(群馬県明和町)敷地内に、全くの更地から20014月に竣工した、面積約17,000uの大型ビオトープを研究対象とし、ビオトープの育成管理において、外来植物種を抑制あるいは除去しつつ、在来植物種の増加を促進する方策を検討するために必要な生態学的知見を、環境情報として集積することを目的とし、以下の4つの解析・調査を行なった。

1)     外来種の防除、在来種の増殖をめざした、出現植物の種子発芽の温度依存性解析

2)     ビオトープ利用者のためのインフォメーションと、外来植物防除のために植物開花季節(開花フェノロジー)調査・ビオトープ内の植物分布調査・ビオトープ内の植物相調査

3)     ビオトープの物理化学的環境の多様性を明確にするための気温・地温調査

4)     希少種の生育・分布状況の解明

 

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