緒 言
日本は山国であり資源の乏しい国であるため、古来より居住地域に隣接した丘陵地や山地を様々な形で利用してきた。この、居住地域に隣接した地域は、「里山」と呼ばれている。「里山」は多義性を持った言葉であるが、「人間の手によって管理された自然」というのが、現在の一般的な概念である(武内 2001)。里山は、人間に管理された、いわば「二次的自然」であり、大規模な開発ではしばしば失われるが、放置したままでも変質するため、人間が適正に関与し「管理」することが必要である。
昔ながらの里山は、農民によって維持されてきた。里山の重要部分を占める雑木林の下草や落葉は堆肥や燃料にされ、樹木は20年から30年に一度伐採して薪や炭にされた。また、里山で成長する木材は建築材として、キノコ、山菜などの林産品は食糧として利用された。こうして里山と人が上手く関わりあっていた。
第二次世界大戦後、エネルギー源が薪炭から石油に大きく変化したことから、里山は急速に利用されなくなったといえる。特に1960年代の高度経済成長期の急激な都市化により、低山地・丘陵地の二次林を切り開いて住宅地の開発が進み、昔からの日本の自然風景としての里山も失われていった。1990年代以降は、全国各地で里山の自然の保護や、さらに積極的な保全対策を行う市民活動が活発化しつつある(武内 2001)。最近では、企業と保全活動グループが協力して、新潟県佐渡島において棚田の復田を行ったり、埼玉県の武蔵野台地において定期的にゴミ拾いや落葉拾い、ワークショップを行うなど、様々な活動がなされている。
一般に、比較的均質で安定な生育・生息場所では、生物間の競争の結果、競争力の大きい種が資源を独占し、それ以外の種が排除され多様性が低下する傾向がある。里山では、人が薪や落ち葉などの採取のため、定期的に手を加えることによって、中程度のかく乱や環境ストレスが発生する。これらによって競争力の大きい種の生育が多少なりとも抑制され、競争による排除が起こりにくくなり、結果的に多くの生物種が共存する(武内 2001)。すなわち、里山は生物多様性の比較的高い生態系となる可能性を持っていると推察される。しかし、里山生態系に関する研究は始まったばかりで、生物相、生物多様性の現状さえほとんど明らかになっていない。
群馬県には広大な山岳地帯が広がり、そこに成立している山地森林生態系は、生物多様性の保持機能、観光資源、および集水域としての水の保持機能が期待されている。こうした山地生態系の機能の持続的利用のためには、人間がこれら機能を低下・破壊しないように、利用と保全のバランスをとることを前提とした維持管理方法を確立しなくてはならない。具体的には、生物、特に植物の多様性の保持を前提として、登山道等の設備とオーバーユースの低減の双方の施策のバランスをとることである。これらを実現するためには、まずは当該各地における植物種多様性と利用状況の現状を解明しなくてはならない。
そこで本研究では、群馬県自然環境調査研究会の調査の対象となった赤城山小沼および榛名山西部地域を集水域と里山の研究対象として位置づけ、これらの地域における植物種多様性と利用状況を解明することを目的とした。この目的に基づいて、現地踏査による植物相調査、土壌含水率などの土壌環境測定と相対光強度測定、および発芽実験による種子発芽特性の解析を行った。
なお、小沼は10年ほど前に群馬県自然環境調査研究会による簡単な植物相調査が行われたのみで、榛名山西部地域は今回が初の植物相調査となる。
※集水域とは、「流域」とも言い、降った雨がその河川や湖沼に流れ込む範囲のことを言う。 厳密には、地下水のことを考えると正確には定義できないが、通常は表層流で考えて分水嶺で区切られた範囲を「集水域」と定義する。