調査地概要

赤城山覚満淵

 覚満淵は、群馬県赤城山の山頂、大沼の南東に位置する小さな湿原である。かつては大沼の一部であったものが、水位低下により湿原となって残った場所である。湿地帯は長さ1000m、幅500mで、南東から北西に細長く存在している。覚満淵の上方は駒ヶ岳の斜面へ続き、この斜面を流れ落ちる水が注ぎ込む湿原が覚満淵となっている。覚満淵の水は、覚満川となって大沼方向へ流出するが、現在は堤によってほぼせき止められている。(群馬県庁HP)

山頂及び大沼を中心とする赤城山一帯は、昭和9年に公園として設置された。その後、昭和10年2月8日、県の所有地として県立赤城公園の指定を受けている。敷地は赤城山頂の大沼、小沼を含む1,290haの区域である。標高1,828mの黒檜山を中心に、駒ヶ岳、地蔵岳、長七郎山など多くの山々で構成され、美しい山容を見せる。県立赤城公園の一部であるこの覚満淵は、標高1360mに位置し、水芭蕉や稀少な高山植物が多く生息している。全国に「小尾瀬」と呼ばれるところはたくさんあるが、ここもその特徴から「小尾瀬」と称される観光地のひとつである。4月末から7月にかけてミズバショウやレンゲツツジなどの高山植物が咲き、夏はニッコウキスゲの咲く避暑地として、秋は紅葉を楽しめる観光地である(群馬の保安林HP 新岡2002)(写真 1)。

 環境省が指定する自然公園(国立公園・国定公園など)は、自然公園法により規定される。一方、県立公園は、群馬県立公園条例で定められ、群馬県独自の制度により管理されている。自然公園においては自然環境の保護が最優先されるが、県立公園ではそのような規制はない。自然保護と、利用者の利便性、どちらを優先するかの判断は管理者に任せられている(群馬県庁HP)。

 このため覚満淵には、県民の「憩いの場」「休息の場」「レクリエーションの場」そして景勝地としての利用を目的として、周辺およそ0.5kmを囲んで木道が設置され、1周30分ほどのハイキングが楽しめるようになっている。木道の設置目的は、観光利用の促進と観光客の湿原内への立ち入り、植物の盗掘を防止することである。以前の木道は、比較的風通しと日当たりの良い二本木道であった。しかし、二本木道の旧廃と車椅子の乗り入れを求める福祉団体の要望から、ワイド木道が設置された。2001年よりこのワイド木道自体とその設置工事による植生の破壊が懸念されているが(新岡 2002)、この工事は現在も続いている。

覚満淵に関する新岡(2002)の調査結果から、管理者である群馬県自然環境課が、自然生態系保全よりも観光利用を優先していることが明らかになった。その象徴がこのワイド木道の敷設である。その後もワイド木道延長工事は引き続き行われている。これに呼応するように、利用者からニッコウキスゲをはじめとする高山植物の衰退が指摘されるようになった。

 本研究では、このワイド木道の周辺を中心に、高山植物相、特にニッコウキスゲの実態を明らかにする。また管理母体である群馬県の、現状に関する見解や管理方針について、インタビュー形式の対面調査によって明らかにする。さらに、数種類の種子採取のできた植物について、発芽実験を行って種子の発芽能力を評価する。


沼田市玉原湿原

 玉原湿原は、関東最大の「ブナの森」や玉原スキー場で知られる、沼田市玉原高原内に位置する。玉原高原は、武尊山系の標高1635mの鹿ノ俣山から南西に広がる高原である。また、この地域は尾瀬と同様、国有保安林であり、立木の伐採や形質の変更などに関して制限をうけることで保護されている。湿原は、武尊山(2158m)の西山麓、標高1200〜1600mの丘陵地に扇状に広がり、日本海型ブナ林に囲まれた一大湿原地帯となっている。標高が高いことから気温が低く、夏でも25℃を超えることはまれであり、冬はマイナス15℃以下まで冷え込む。また、太平洋側と日本海側の分岐点に位置しているため、冬は日本海側の気候の特徴である積雪が多くみられる(福嶋 2005)。

赤城山覚満淵と同様、玉原湿原もその植物相の豊かさと稀少性から尾瀬にたとえられて「小尾瀬」と称され、四季を彩る草花を見ることができる。4月上旬から5月中旬にはミズバショウの開花が見られ、6月中旬から下旬にかけては一面ワタスゲの白い花に覆われる。玉原湿原の四季に咲く花は様々だが、標高が高い分、尾瀬よりも少し時期が遅い。この湿原は、学術的にも、その生い立ちや植物の分布を知る上でも貴重な価値を持っている(沼田市 HP)(写真 2)。

揚水発電所の上池に当たる玉原湖が出来てから、この界隈が開発され、観光客が足を運ぶようになった。キャンプ場、テニスコートサイクリングコースなどが設けられ、夏は絶好の避暑地となり、冬は、玉原スキーパークでスキーが楽しめる。

 このように各種観光施設をもつ玉原を、沼田市は観光の拠点であると考えている。湿原内には木道や植生図などの案内板、テラスなどが整備されており、予備知識を持たない観光客に対しての配慮がなされている。また観光客の利用を促進しつつも観光客がむやみに湿地内に侵入することを防ぐために、非ワイド型の木道が設置されている。このように、沼田市は単に短期的な観光利用を優先するのではなく、長期的な利用を視野にいれて湿原生態系の保全をめざしている。そのためには、市の職員のみによる管理には限界があると判断し、玉原湿原の管理指針を東京農工大学農学部植生管理学研究室福嶋司教授らの学術調査に求めてきた。

 玉原湿原は、第二次大戦中に軍馬の放牧のために排水路が掘られた。戦後も排水路は埋められることがなかった。このため、60年にわたって湿原の水は排水され続け、湿原の乾燥化が進んできた。沼田市は湿原植物の保護、再生のために植物群落の現状調査、地下水位の現状測定など基本的な情報を収集するとともに、木道位置の変更や堰を造り湿原の乾燥化を止めるなどの対策を実施している(福嶋 2005)。

このように配慮されつつ観光利用されている玉原湿原では、最近乾燥化に伴うハイイヌツゲの分布拡大が深刻化している。ハイイヌツゲは、水が流入しにくく乾燥化している木道周辺に繁殖するとされている(福島 2005)。

本研究では、現在の木道および撤去された木道周辺のハイイヌツゲがどのように変化したのかを中心に、この4年間の植物相の変化を解明する。また、数種類の種子採取ができた植物について、発芽実験を行って種子の発芽能力を評価する。


アドバンテストビオトープ

群馬県邑楽郡明和町、アドバンテストR&Dセンタ内に造成された大型ビオトープであり、(株)アドバンテストが地球環境憲章(1993年1月制定)に基づく環境保全の取り組みの一環として、2001年4月に竣工したものである。国内企業では最大級(面積17000?)のビオトープとなる(写真 3)。ビオトープ建設前は、雑草がまばらに生育する程度の裸地であったが、日本国内樹種(クス、シラカシ、ケヤキ等)の植栽木からなる既存の環境保全林を残し、新たに北関東に生育する樹種からスダジイ、アラカシ、ヤブツバキ等を選定して植栽した。水辺に植栽したヨシは、地域の放棄水田から移植を行ったものである。竣工した当初は動植物種数が動物は少なかったが、群馬大学社会情報学部環境科学研究室、石川真一助教授と清水建設の学術調査に基づいた継続的な維持管理がなされ、2001年度の調査における調査では40種(外来植物:15種、在来植物:25種)、2002年度では51種(外来植物:23種、在来植物:28種)、2003年度では92種(外来種33種、在来種59種)、2004年度では72種(外来植物:24種、在来植物:48種)の植物が確認されている。ビオトープ内での植物における在来種の占める割合は、初年度は63%であったが前回調査の行われた2004年度には79%にまで上昇していた。2004年度現在では、渡り鳥なども訪れるようになり、昆虫120種、鳥類29種、ほ乳類5種、植物においては在来種95種の生育がみられるようになった(清水建設 2001-2005、新岡 2002、星野 2004、狩谷 2004,佐藤 2005)。

 このビオトープは4つのコンセプトを基に創出された。第一は、「関東平野の昔ながらの自然を再現」することである。以前、関東平野に広がっていた広大な氾濫原、また、失われてしまった水辺、湿性環境、雑木林と空き地の草原などの風景を復元しようというものである。第二は、多様な生き物の生息場を創出するために水辺の「エコトーンを形成する」ことである。エコトーンとは、性質の異なる2つの環境が接する推移帯のことである。第三は「ビオトープ・ネットワークの形成」である。このR&Dセンタの北側に流れる谷田川をはじめとする周辺の自然環境とのネットワークの形成をめざしている。第四は、工場内で働く人々に対して、水と緑の癒しの場となることを目的とした「従業員のいやしの空間の創出」である。以上のようにアドバンテストビオトープは、単に緑地を創出しようというものではなく、身近な自然生態系の再生創出をめざしている。

 本研究では、このビオトープ内に創出された水辺生態系の現状、特に植生と土壌環境条件の解明を行う。また管理母体であるアドバンテストグリーンの、現状に関する見解や管理方針について、インタビュー形式の対面調査によって明らかにする。


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