はじめに
産業革命以後の物質文明の中で、人間社会は様々な環境問題を抱えている。それらの大半は、物質的な豊かさと引き換えに発生した自然生活環境の悪化である。地球上で長い年月をかけて生まれてきた生物群集は、人間の活動により打撃をうけ、激減・絶滅した種も多い。その原因は、人間活動による直接的な自然の改変(有害化学物質によるかく乱、生息地の物理的破壊)ばかりではない。動植物の乱獲、外来種の持ち込みなどもその大きな要因である。生物多様性の減少は、自然環境に依存して生活する人間にとっても好ましいことではない(西岡 2002)。
産業革命以後の人類は、生態系の持続可能性に配慮した利用や維持管理をほとんど行ってこなかった。その結果、生物多様性の急激な低下や砂漠化、農地からの土壌流失、漁業資源の枯渇など、ヒトの生活と生産に欠かすことのできない生態系サービスや制限供給の低下などの深刻な問題が生じた。これらに対処するために、近年、生態系の維持管理の必要性が再認識され始めている。また生態系に関する科学的理解が深まり、管理に必要な知識や技術が向上したことによって、管理の実践が可能になってきている(鷲谷 1999)。
持続性を優先させた森林、草原、湿原、河川、流域などの新しい管理手法を「生態系管理」と呼び、生物多様性や生産性の持続・回復のための活動を導く科学や技術を用いる。生態系管理は、アメリカ合衆国において、すでに森林や河川の管理のあり方に大きな転換をもたらし、収益や利便性を犠牲にしてでも持続性の確保を優先しようする取り組みがなされている。例えば、ダムの管理や運営に関する政策が変わりつつある。アメリカ合衆国では1935年から1965年にかけて、20世紀の社会と経済を支えるとして多くの巨大ダムが建設された。しかし、これらは大きな利便性を生み出す一方で、河川特有の生態系過程の損失など非常に大きな環境コストを伴うことが解明されてきた。環境への負の影響を回避するために、河川生態系の保全と回復のための新たな模索が始められ、新たなダム建設よりも既存ダムの管理のあり方を探ることに重点がおかれ、環境コストの大きすぎるダムは取り壊しも検討されている。実際に、メイン州ケネベック川のエドワーズダム、カリフォルニア州ヨセミテ国立公園のヘッチヘーダムなどはすでに撤去が決まっている。合衆国のダム政策は、建設から環境影響把握と適切な管理の模索、問題のあるダムの撤去へと、環境重視の方向へ転換されたのである(鷲谷 1999)。このように、自然環境保全に対する動きが世界各地で広まっている。
地形が急峻で多雨気候にある日本列島は、いたるところが川であり水辺であるといえる。そのため、日本では河川およびその周辺に自然環境と人間の生活環境が集中的に、密接して存在している。日本において生物多様性と人間活動の相互作用が最も顕著に現れる場が水辺環境なのである(西岡 2002)。水辺林は、降水時に陸域からの土砂濁水を捕捉して河川への流入を阻止し、また、汚濁水そのものを浄化する水質維持機能を持つ。また、水生生物の生息場所の形成に大きな役割を果たしてもいる。水辺域は、水域から陸域への推移帯(エコトーン)に当たり、その特異な環境から他にはみられない、特異的な生物相を持ち、さまざまな野生生物の生息場所となっている。水辺林自体も多様な樹木群集から成り立つ場合が多く、低頻度出現種や希少樹種の生存も可能にしている。そうした結果、水辺林(域)は、地域の生物多様性維持に大きく貢献しているのである(森林総合研究所HP、鷲谷 1999)。
湿原や干潟などの湿地は、水質浄化という重要な機能を持つだけでなく、多様な動植物が生息し独特の生態系が形成されるため、生物多様性を保全する上でも極めて重要な場といえる。高度経済成長期を通じ、こうした水辺域は森林開発や土地利用の高度化の中で急速に損なわれ、本来の姿を失ってきた。上流域では、拡大造林の結果、水際まで針葉樹が植栽され、中下流域では河川改修が進み、水辺域そのものがなくなってしまったところも多い。そうした結果、水辺域の持つ生態学的機能は損なわれ、あるいは著しく低下した。人類はすでに地球の陸地面積の半分において、森林や湿地を農地化し直接変化させている。世界各地での湿地の農地化は生態系を大きく変化させ、生物多様性の損失をもたらしている。アメリカ合衆国における最も大規模な湿原開発例であるフロリダのエバーグレス湿原の干拓では、干拓地は牧場や小麦畑などに転換された。地球表面1%未満の特別な生態系である湿原が、近年急速に喪失していることは大きな問題である(鷲谷 1999)。
これに対して、近年世界中で湿地保全活動が盛んになっている。国際的には、平成11年5月に開催されたラムサール条約第7回締約国会議において登録湿地の倍増をめさす決議がなされた。しかし現在、日本のラムサール条約登録湿地は11カ所のみであり、世界での登録数が903であることと比較すると、まだまだ少ないといえる。
これまで我が国の湿地は、人為の影響により減少し、また残ったものも環境の変化が進行してきた。高度経済成長を遂げた現在の日本の湿地は、明治大正時代に比べるとおよそ6割が消失している。湖沼、河川の後背湿地や湿原に成立する湿地林は、かつては無価値とされ放置されてきた。しかし、戦後平野部の低湿地などは次々と開発・破壊され消滅していったのである。そのため、国内各地で保全を求める要請が高まっている(日本国際湿地保全連合HP、森林総合研究所HP、インターネット自然研究HP)。
湿原の環境保全が叫ばれる中、一つの成功例として尾瀬アヤメ平の湿原復元事業がある。アヤメ平(1968.8m)は尾瀬ヶ原(1400m)を囲む山々の尾根にある山地湿原である。尾瀬は、生活に余裕のでてきた戦後、入山するハイヤーが急増し各所で植生破壊が生じた。湿原においても、ハイヤーの踏みつけによる裸地化がいたるところで起こり、拡大していった。踏みつけは湿原植物の生育に大きな影響を与え、地上部のみならず根などの地下部にも被害が及び、植物は枯死に至った。踏みつけによりぬかるんだ泥炭は、大雨が降ると雨水と一緒に流出し、裸地化に拍車をかけた。尾瀬は昭和9年に日光国立公園の一部として国立公園として指定され、35年には特別天然記念物に指定され保護されてきた。しかし、国民の利用や健康増進、休養を目的とした国立公園としての役割が重視されたため、ハイヤーの増加を抑えることはできず、湿原は踏み荒らされた。湿原の荒廃に対して文化庁は、昭和40年8月、文化財保護委員会を中心に特別調査を実施した。その結果、裸地化、泥炭化が大規模に進行している現状が把握され、翌年には保全活動を開始した。この活動では植生破壊の学術的データを得るための実態調査、植物群落の移植、播種などが積極的に行われた(菊池 2005)。
アヤメ平湿原の裸地復元作業の40年間は多くの教訓を残している。すなわち一度破壊された自然をもとに戻すには長い年月を要し、標高の高い自然ほど植物の生育環境が厳しいため復元は難しく、復元できない自然もあることである。また、裸地化したアヤメ平湿原の復元には多くの人力と多額の経費を必要とした。もっと早く湿原保全に力を入れていたら、費用は数十分の一で済んだに違いない。このようなアヤメ平の教訓は、これからの環境法全活動に生かされなくてはならない(菊池 2005)。
以上のように、水辺生態系は壊れやすくしかも時間とともに変化するので、良好な状態に保つためには、継続的、定期的なモニタリングを実施し、そこから得られた結果を管理母体へフィードバックすることが不可欠である。
これを実践している事業の一つがビオトープである。地域生態系の復元を目指したビオトープは、ドイツで1世紀ほど前に提唱され、「生物相で特徴づけられる野生生物の生活環境」という意味をもつ。日本においては、1990年代に入ってから、生物の生息環境を人工的に復元した場所を示す用語として定着している。ビオトープは、地域本来の生態系を復元させることを目的とした自然環境再生事業である。物理化学的環境を多様化させ、多様な種の生息を可能とするために、学術的調査に基づいた外来種の除去や在来種の増殖促進などの管理が行われている。管理者は、学術的調査とそれを基にした育成管理を継続的に実施している(杉山 1999 西廣 2003)。
新岡(2002)は管理母体・管理方法の異なる3タイプの水辺生態系(赤城山覚満淵、沼田市玉原湿原、明和町アドバンテスト社ビオトープ)において実地調査と管理者に対するインタビュー調査を行い、管理方針・管理方法の違いが当該水辺生態系の現状に与える諸影響を解明した。すなわち、群馬県が管理母体である赤山覚満淵では、低木、草木の合計69種の在来植物の出現が確認された一方で、ワイド木道によって湿地生植物が衰退する危険性が明らかにされた。インタビュー調査において管理者である県は、木道の設置は「予算が確保できれば今後も実施したい」と述べた。沼田市が管理母体で、東京農工大学・福嶋司教授らに学術調査研究を委託している玉原湿原においては、合計25種の高山湿地生植物の生育が確認された。従来、湿原の乾燥化に伴って侵入・拡大が報告されていたハイイヌツゲは、特に旧木道跡地と現木道沿いに広く分布し、合計面積2515?にわたって生育していることが明らかにされた。管理母体である沼田市は、玉原湿原の長期的利用を考え、福嶋教授ら専門家の調査研究結果を基にしながら保全活動を続けていく方針であった。アドバンテスト社が所有し、アドバンスト・オフィスサービスとアドバンテストグリーン社が管理母体であるビオトープでは、群馬大学社会情報学部・石川助教授による学術的調査研究結果に基づいて、外来種を刈り取りや引き抜きによって除去し、これによって在来種の増加の促進効果を得ていた。当ビオトープでは、その後も同様の管理方針・管理方法を継続し、「育成管理」と呼ばれる新たな管理手法を確立して生態系再生の道を模索している。
こうした新岡の調査研究から4年が経過するため、これらの調査地の生態系・生物相が、管理母体・管理方針の違いによってどのような推移を遂げているのかを、再調査する時期となった。そこで本研究では、3タイプそれぞれの管理母体・管理方法の異なる水辺生態系を対象として、管理方法の違いによって水辺生態系がどのように異なる推移を遂げるのかを解明することを目的として、実地研究と管理母体に対する文献および対面調査を行った。このために調査地は、4年前の2001年に新岡(2002)によって調査研究の行われた県内3地点(赤城山覚満淵、玉原高原、アドバンテスト社ビオ ・トープ)とした。これらの調査地で植生・植物相調査を行い、土壌含水率、土壌窒素濃度を測定した。また種子を採取できた一部の植物については、当該地における植物相の持続可能性の評価の一助をするために、発芽実験による発芽能力の推定を行った。次にこれらの結果を示しながら、覚満淵の管理母体である群馬県自然環境課、およびアドバンテストビオトープの管理母体であるアドバンテストグリーンの担当者に対して、インタビュー形式の対面調査を行った。
以上の結果をもとに、管理手法の違いと水辺生態系の推移の関係を解明し、今後の利用と保全のありかたについて考察を行った。