VII. 問われる管理主体の姿勢

 赤城山覚満淵、沼田市玉原湿原、共に観光化に伴う湿原の退行という同質の問題に対して管理主体が異なる対処法をとっていた。覚満淵では、県が木道整備により観光地としての利用価値の向上を目指していた。玉原湿原では、沼田市が木道の撤去、再整備、植生図の作成など多様な活動によって、現状を把握し、問題への根本的解決を図ろうとしていた。
 両者が共通して述べたのは「自然があってこそ観光が成り立つ」ということであった。観光産業論理よりも、自然重視を優先させようとしてるという発言である。このように、管理地に対しての認識が似通って見える両者だが、やっていることは全く異なる。
 これら湿原の管理に携わる人々はタブローとして自然をみているのか、それとも、生態系として自然を見ようとしているのか。
 県の管理者はタブローとして自然をみているが、沼田市の管理者は生態系の場として自然をみているのではないか。「自然の自浄能力に任せておけば元通りになる」という県自然環境課の方の発言には、湿原特有の植生がいかに壊れやすいか気づいてないことが示されている。こうした人々が求めるのは、緑の景色、いわばタブローそのものなのではないだろうか。
 沼田市の方はというと、生態系としての湿原を回復させようと努めており、「タブロー脱却型」としての管理方法といえる。継続してハイイヌツゲの除去に取り組んでいることもその一つである。玉原湿原には「ハイイヌツゲが侵入しつつあり、植生に被害がでた」という旨の掲示板が設置されていた。これによって、ハイイヌツゲ侵入による玉原の変遷を認識させることで、訪れた人々に生態系の仕組みと脆弱さを理解してもらおうとしている。加えて、玉原湿原には「玉原自然を愛する会」という団体も関与していた。同団体は、訪れた観光客に生態系について教えながら湿原探索を行っていた。これは「タブロー型」を「タブロー脱却型」へと移行させる効果を期待できる活動といえる。
 管理主体が「タブロー型」であっては、訪れる「タブロー型」の人々の意識を変えることは出来ない。赤城山覚満淵は、このままでは「タブロー型」の心もつかまない場と化しているかもしれない。管理主体である県自然環境課自身が「タブロー型」の意識を変えなければ、湿原は退行するばかりであろう。類型すると「タブロー型」だが、県自然環境課は多くの観光客の「タブロー型」と同一ではない。なぜなら、植生、生態系に関する知識は保有しているからだ。ただ、そこを重要視していないため、その知見は活かされることがない。「タブロー脱却型」の土壌を得てなお、「タブロー型」へと退行している。今後は、強力な監視者による意識改革が必要であろう。
 強力な監視者とは、前述した「専門家型」「タブロー脱却型」である。「タブロー脱却型」が「タブロー型」に退行しないための経験として、有効なのがビオトープである。アドバンテストビオトープは、「タブロー脱却型」が「専門家型」の知識を身につける場であったといえる。
 ビオトープの管理にあたることがもたらすメリットは大きい。自然の組み立てを肌で理解していくことが出来るからである。これまで、こうした管理者側となれるのは、覚満淵、玉原湿原に見られるような行政が多かった。が、そこには生態系を組み立てていくという発想が少なかった。
 これらに対してビオトープでは生態系の再構成が目的であり「タブロー型」が「タブロー脱却型」への転換を図れる場である。また、その際に生態系に関する様々な知識を学ぶ必要が生じるため「タブロー脱却型」と「専門家型」の融合も図れる。ビオトープに触れ学びあうことで、管理された場所に対する監視の目が育っていくのではないだろうか。

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