VIII. 結論 -環境保護思想の限界を見据えて-

 環境保護に対しての正当性を羅列するだけでは、環境保護を無視している人との隔絶は埋まらない。これからは、その限界を考えていかなければならない。
 環境問題の解決のためには、一部の運動や活動の成功に頼ってはならない。環境保護活動に誰しもが直接従事するわけではないのである。多くの環境に対する警告を、人々はマスコミなどのメディアを介して間接的に受け取り、その場では「環境保護」について考えているだろう。しかし、その認識はすぐ薄れてしまう。そして、環境破壊は進行してしまう。
 これを解決する一つの方策として「タブロー脱却型」がある。タブローを脱却する一番のきっかけは、環境問題を身近に感じることである。多くの人は緑を求めている。湿原を探索し、緑のない土地にビオトープを作り、家庭ではガーデニングをする。風景の中に緑を捉えてやまない人は大勢いる。こうした人々の意識を理解することで、多くの人々の環境保護に対しての意識を高める方法をつくることが出来るのではないだろうか。たとえば、湿原に案内板を整備し、そこにある風景が一つの生態系として成り立っているということを認識させるだけでも、タブローを脱するきっかけと成り得るだろう。また、管理主体は、多くの人々に自然と関わりを持たせ、その保護・育成に直接参加させる施策を行っていく必要がある。たとえば、湿原に対する勉強会の開催や体験学習の実施である。
 また、管理主体がどういった理由からその施策を行っているのかを訪れる人々に告知していく必要がある。生態系保護に即した施策を行っていれば、その情報の開示は「タブロー型」である観光客にとってタブロー脱却へのきっかけとなるからである。
 現在、多くの自然環境の管理主体である行政は、自らが「タブロー脱却型」をつくっていく役割にあることを理解しなければならない。決して管理主体が「タブロー型」へ退行してはならないのである。
 自分から自然に働きかける人たち「タブロー脱却型」を作るべく、「タブロー型」の意識をどう揺り動かすかがこれからの環境政策には不可欠である。

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