II-4. 3類型が陥る環境への「無関心」


 さて、人々がどのような思いで自然を求めているのか、その自然に関する3類型を踏まえた上で考なくてはならない問題がある。
 それは、「タブロー型」の人々の利用による自然環境の荒廃という問題である。彼らの自然環境への楽しみ方は「写真」「新鮮な空気の変化」といった自然環境によって無害なものが大半だが、自然環境にとって有益な活動をしているわけではない。おそらく大多数である「タブロー型」が観光地を訪れた場合、彼らは何を見、「自然」と判断するのであろうか。「タブロー型」の人々には、湿原がどういった経緯で成り立ち、現在の姿を保っているのか、といった本質に関心はなく、そこにある現在の景色を「自然」として視認するに過ぎないのではないだろうか。
 このような人々は、仮に荒廃が進んだ場所であっても、その成り立ちが不自然な場所であっても問題視しないであろう。この場合、管理主体の方針によって全てが左右されかねない。
 これは「タブロー型」に限った話ではなく、「専門家型」、「タブロー脱却型」も陥るかもしれない。例えば、県や市などの行政の管理する公園という場所などでは、自分たちは利用者だという意識が働くと、公園を風景として、つまりタブローと認識するからである。また、この行政が管理するという所有の概念は、里山が喪失してきた経緯とも重なるのではないか。近代に入り、所有の権利が明確化されたことによって、自分の所有ではないものに対しての働きかけは少なくなっている。一方で、里山の所有者は管理をせず、所有しているだけになってきている。このように、自身の所有ではないといって自然環境を放置しておくと、荒廃が進んでしまうことも多い。
 以上のように、我々は所有の概念に左右される中で、環境保護を考えていくことになる。所有者、利用者ともに自然環境に対して責任はあるが、所有の概念が一般化した今、所有者がまず行動を起こす必要がある。それが県、市などの行政による所有ならなおさらである。すなわち、所有者である管理主体が上述の三類型のいずれに属しつつ管理を行っているのかによって、自然環境とそれに関わる人々の意識がどのように変化してしまうのかを明確にする必要があるといえる。こうした問題意識を基に、群馬県内における水辺の自然環境の現状を調べることとした。
水辺は、最も壊れやすい環境の一つである。環境のゆるやかな空間的・時間的勾配が水辺の生態系の豊かさを保つのだが、それは、利水や治水による工事によって簡単に喪失されてしまう。にも関わらず、水辺は自然環境の中でも最も管理・利用されやすい場所でもある。「親水公園」という名称があるように、水に触れあうことをレクリェーションの目的に掲げている場は多いし、自然観光地として代表的な「尾瀬」も湿地という水辺環境を呈している。水と陸の間にある水辺の植生帯は、異質な二つの生態系をつなぐ「移行帯」である。移行帯としての植生帯は、湖沼生態系の機能や安定性に大きな影響を及ぼす重要な場である(鷲谷1999)。
 これらの理由から、本研究では、保全・利用される自然環境の中でも「水辺」にその範囲を限定し、その解析を行っていく。

BACK  **** TOP **** NEXT