II-2. 人々と関わりあう環境


 まず、一般に「自然」「環境」と総して利用されいる場を分類する。
 第一に、行楽、観光として訪れる自然がある。群馬県内における自然観光地の代表といえば「尾瀬」であろう。
 「尾瀬」として知られる尾瀬ヶ原湿原は群馬、福島、新潟県の3県にまたがる日光国立公園のなかで中心的な存在である。年間の集客数は50万人を超え、その人気はとどまるところを知らない。湿原としての形成は13,000年前から始まり、現在までに4〜5mの泥炭層が堆積している。湿原域には低層、中間、高層の各湿原タイプがモザイク的に発達している。尾瀬ヶ原は、特別保護地区、特別天然記念物に指定され、森林法、水資源涵養保安林、鳥獣保護法、自然環境保全法など多くの法的規制がかけられている。また、高架式の湿原を傷めない木道や、靴に付着した種子を落とすカーペットを整備し、観光客による湿原の攪乱を防ごうと努めている。しかし、来客数の多さでオーバーユース気味であることは否めない(沼田 1996)。
 「尾瀬」の例のように、湿原の観光地化というのは、様々な問題を有している。湿原は、学術的にも、重要な多種多様な生態系が集合した空間であり、そこに生活する種の多くは貧栄養には強いが、富栄養、他種との競争には弱いという特徴を持っている。そのため、人間の生活圧や周囲の環境の変化を受けやすい。一度生活圧を受けると簡単に変質し、再生には多大な努力と時間とを要する。例えば、湿原の泥炭層が年1、2@ずつしか堆積しない(沼田 1996)。
次に、管理することによって再生されつつある身近な自然がある。自分たちが管理し、保全していかなくてはならないと考え始めた場所、自分たちで作り上げていく場所としての自然である。前者は「里山保全」、後者は「ビオトープ」がその中心である。
 前者の「里山」だが、これには環境問題ならではの性質が凝縮されているといえる。
日本の原風景といわれる里山には、ナラやクヌギなどの雑木林がつきものである。「山」とつくだけあって、森が連想されがちだが、「谷戸」「谷津」という丘陵、水田、小川がセットになった一つの集落も里山の一つの形である。これは、関東特有の空間の捉え方である。群馬県でも自然環境課が中心となって「群馬の谷津田」と指定した地域を3年に渡って調査する取り組みを行っている。何であれ、里山の自然の豊かさは人々が利用・管理して保たれてきたものである。しかし、現在の里山はエネルギー革命によって利用されなくなったため「藪化が進み、シノ竹が密生し、ツル植物が木々をはい昇り、林の立ち枯れが進んでいる」状況である(進士 2000)。どうして、里山は荒れ果てていくのか、その理由の一つに里山のほとんどが民有地であることがあげられる。地権者の土地である里山を農家が利用していたわけだ。利用の担い手である農家が利用しなくなったため、里山はただの遊休地として地権者に所有されていることが多い。
 こうした事態を受けて、里山の荒廃を防止しようと、自分たちで管理をする団体が増えてきた。例えば「宍塚の自然と歴史の会(茨城県)」では、「里山の維持に農家の人手を期待できない現状では、農家に代わる維持組織の構築を図らねばならない」と考え、下草刈りを行う里山さわやか隊などを結成し、これに当たっている。また、地権者が里山における開発に賛同しないよう尽力し、里山の管理を地権者に替わって行えるよう出入り自由の許可をもらったりするなど、地権者との関係作りも行っている(進士 2000)。このように管理していかなくては、里山は荒廃してしまうだろう。
次にビオトープは、「生命」を表す接頭辞bioと、ギリシア語で「場所」の意のtoposの合成語で、「生物の生息に適した場所」を意味する。100年ほど前にドイツの生物学者ヘッケルによって提唱された。もともとは生態系と同様な意味で使われていたが、最近では「ある限られた地域に、自然環境を復元したもの」という定義がされている。直感的認識に基づいた原風景として生態系を作ろうというものである(杉山 1999)。
 ビオトープを作る際に重要となってくるのが、環境の物理化学的構造を多様化させることである。多様な物理化学的構造は、多様な種の生息を可能とする。特に効果的なのが、水辺の導入である。水辺を作ることで、動植物の種や生態系は飛躍的に増加する。水辺は水生動物や水中・水辺植物の生息場所であり、また鳥類の水飲み場として、昆虫の産卵場所として不可欠な場所である。また、石積みや小鳥塚、などの生物を呼ぶための装置も必要である(杉山 1999)。里山保全と違い、無から自然を作り出すためビオトープの創出にはより一層の労力を要する。
 しかし、大半のビオトープは小学校などの環境教育の一環として行われているものが多い。そのため、面積が限られ、また扱う植物も限られる。その内容は「ある限られた地域に自然環境を保全したもの」ではなく、「水田作り」である。教室の外にでた授業としては評価できるが、ビオトープの本質とはかけ離れた状態である。

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