II. 緑に何を求めるのか

 II-1. はじめに

 環境破壊への警告が叫ばれて久しいが、環境問題は現在どう考えられているのだろうか。その受け止め方は様々であるとは思うが、未だ環境問題を切実に感じない人も多い。科学者達の警告を受けて初めてその問題を考え出す。あるいは、重大な問題となって表面化してから、対策を考えるというように、外部からの要求や請願がなければ、無関心な人も多いようだ。こういった環境問題に関する意識の低さはどこからくるのだろうか。
 また、その反面、緑と触れ合う活動を行う人も多い。登山や湿原探索、自然観光地は人であふれかえっている。しかし、これらの人々にとってさえ、環境とは「日常生活においては無関心」、「休日における憧憬」であることも多いようだ。
 この「無関心」と「憧憬」の対峙が、環境問題を進行させているのではないだろうか。「無関心」といっても環境問題に無関心なのではない。環境問題を切実に感じない人でも環境問題に対して理解は深いこともある。なぜなら、多くの情報は与えられているし、またその情報を理解する下地を作る教育も行なわれてきたからである。それでも、何も動かない人が多い。しかし一方で、自分の欲求に即した環境だけは、求めていく。これが「憧憬」である。環境問題の解決には労力をかけられないが、環境を欲する欲求不満の解決には労力をかけることができるという人々が、そうした二つの欲求を併せもって、現在の環境破壊を起こしているといえるのではないだろうか。
 では、環境に対して「無関心」「憧憬」を抱くその意識の根底にあるものは何なのだろうか。また、「無関心」「憧憬」以外の意識として、環境問題に対して取り組んでいく意識を抱くにはどうしたらよいのであろうか。
 まずは、こうした「環境」に関わる意識の在り方を類型化する必要があるのではないだろうか。そこに、環境問題を解決する手がかりがあるはずだ。

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