自然環境教育における実物教材と仮想教材の

活用方法の検討

社会情報学部 石川真一

Copyright Ishikawa, S. 2000
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日本の環境教育の歴史と現状

 日本の環境教育は、1960年代の公害の表面化とともに行われるようになった公害教育に一つの端を発する。周知のように、当時の高度経済成長は急速な工業化の進展がもたらしたものであり、結果として全国各地で大気汚染や水質汚濁などを引き起こした。そして健康や福祉に大きな障害を受けた地域住民と、汚染を引き起こした企業・国や地方自治体の間で様々な対立が生じた。
このような状況は、教育現場においては「公害教育」として教えられた。当時の公害教育は、どちらかというと地域住民の立場に偏り、企業への告発や国や地方自治体への批判などが中心になりがちであった。そのため教育としては不可欠な、客観性が失われる傾向があった。ともあれ公害教育は、地域の生活環境を見つめ直すという意味で、子供たちだけでなく社会全体に大きな影響を与え、日本においても環境問題に対する意識を覚醒させたといえる。
 1971年には環境庁が発足し、翌年には「公害白書」が「環境白書」にグレードアップされたすなわち、それまでの公害という地域問題が、環境問題という世界的な問題として認知されるようになったわけである。1972年の国連人間環境会議(ストックホルム)以後は、国際的に環境問題が取り扱われるようになり、いわゆる地球環境問題として教育・研究が行われるようになった。
 このような中、「公害教育」は「環境教育」へと転換していった。それまでの公害問題は加害者と被害者が比較的はっきりしており、「公害教育」は加害者たる企業や行政などへの批判精神を培えばよかった。ところが最近の都市・生活型公害や地球環境問題では、人間誰もが被害者でありまた加害者でもあるという複雑な状況にある。そこで「環境教育」においては、まずはこうした「被害者VS.加害者」という図式から「誰もが加害者であり被害者である」という図式への、大幅な意識改革を行うこととなった。
 現在の環境教育の指針として、「Think Globally, Act Locally(地球規模で考え、足元から行動する)」がある。この指針の実現にむけて、環境教育のためのカリキュラムや教材の開発などが行われている。環境教育のコアとなるのは、なんといっても実地での体験学習である。小中高等学校においては、平成14年度から施行する新学習指導要領にもとづいて、「総合的な学習の時間」が創設され、そこでの学習目標のひとつに、「自然体験やボランティア活動などの社会体験,観察・実験,見学や調査,発表や討論,ものづくりや生産活動など体験的な学習,問題解決的な学習を積極的に取り入れること」がかかげられている。また文部省環境教育指導資料(文部省 1991, 1992)では、小・中学校における環境教育に関して、「具体的な活動や体験で、イメージを膨らませ、環境への接し方を身に付ける」「自然環境や事象に対する感受性や興味・関心を高 め、自然のすばらしさを感得する」「環境問題をとらえる場合の素地となる物の連鎖や循環という考え方を身に付け、より主体的に環境とかかわる」「環境にかかわる事象に直面させ、具体的に認識させるとともに、因果関係や相互関係の把握力、問題解決力が育成できるように指導する」などを目標として設定している。今後の大学には、このような教育を受けた学生が入学してくるわけで、大学においてもこれらをふまえて教育を行う必要がある。
 現在では、環境教育は生涯にわたって行われるべきであるという観点から、生涯学習の一つと位置づけられている。環境教育は自然の体験型と、人間社会・文化体験型に大別され、自然の体験型環境教育は幼児期から成人期にわたるすべてのライフステージで必要とされている。したがって自然体験をさせる場は、大学もふくめた地域全体でつくる必要がある。自然の姿は季節、場所によって多種多様であるし、教育を行う者の自然観もまた多種多様である。学生にはこのような多様性を実体験してもらい、自らも多様な自然観を形成してゆけることが望ましい。大学には自然科学を専門に教育・研究しているスタッフが多くいるわけであり、また広大な演習林や農場その他さまざまな研究施設を有しているので、学生に多様な自然の姿や、多様な自然観を見せるには、格好の場である。大学は今後も多様な自然体験の場を提供することにより、地域社会の一員として環境教育に貢献することができる。

大学における環境教育の現状

 大学における環境教育は、従来は理工系学部が中心になって行われており、工学部、農水産学部系を中心に、生物学、家政学系学部など78大学115学部(平成5年度の統計)が教育・研究活動を行っていて、これらの多くは大学院においても同様に活動を行っている。
 東海大学では、学生グループが行ったアンケート結果に基づき、大学生から「もっと環境問題に関する授業を増やす」という提言がなされた。また同アンケートでは、大学教員の約半数が「自分の専門分野から、すでに環境問題について研究している」と答えている。近年は人文社会学系の学部にも、環境問題に取り組む講座・研究室が増加している。たとえば京都大学や一橋大学の経済学部には環境経済学講座が、また早稲田大学経済学部には環境経済学研究室がある。環境経済学とは、環境・自然・アメニティの破壊が起こる原因を経済学的に分析し、また環境の価値を経済学的に評価することにより、さまざまな環境問題の解決策を構築するものである。法学関連では、横浜国立大学や甲南大学、群馬大学で環境法の講義が設けられている。
 環境教育は学際的・総合的教科であるので、これにかかわる研究も含め、さまざまな分野が共同で行う必要がある。また環境教育の基礎をなす環境科学もまた、さまざまな分野に関する知識と知見を必要とする、きわめて複雑な領域である。したがって大学においては、学部の系統にかかわらず、教養課程はもとより、学部専門課程と大学院においても環境科学をコアの一つとして位置づけ、研究・教育活動を推進していくことが不可欠である。

自然環境教育の問題点

 小中高等学校、そして大学における自然環境教育においてもっとも深刻なの問題点の一つは、教材の不足である。ほとんどの教育機関は都市化した地域にあるため、学外に教材を求めるには限界があると考えられている。そこで近年小中高等学校においては、ビオトープという構想に基づいた教材作成が盛んになってきた。これは学校内あるいは近隣に、小規模な人工自然環境を建造するものである。建造される人工自然環境としては、水田、池、雑木林、里山などがある。ビオトープ構想では、これをもって自然環境の再現とする向きがつよい。しかし、実際に建造される自然環境の種類・規模からみて、これはあくまでも人為的かつ二次的なものであり、いわば仮想自然環境であるといえる。このことはまさに、自然環境教育用の教材の不足を象徴しているともいえる。
 また、ホンモノの自然の中で実習を行う機会がつくれないという問題も深刻である。石川らは今年度、「ふれあいサイエンス」、「大学子ども開放プラン」と称される2つの小中高校生対象の自然環境体験型実習の実施を通して、初等・中等教育の現場では、課外活動として児童・生徒を学校の外に連れ出すことさえ困難なであるという現状に直面した。現状では、自然環境教育活動以外の様々な課外活動・学校行事が組まれており、児童・生徒を学校の外に連れ出し、遠く離れたホンモノの自然の中に置く時間をとることが困難なのである。大学教育においてもこれとまったく同様の問題があり、群馬大学も例外ではない。ただし群馬大学においては、毎年教養教育の新入生合宿研修として草津白根山での自然観察会が開催されているので、今後もこれを継続していくことを強く提案する。

実物教材と仮想教材

 以上のような経緯をふまえて、石川の担当する教養教育科目「学修原論:生命の発生と進化」において、実物教材と仮想教材の活用方法の検討を行った。ここでいう実物教材とは、人為のかかっていないホンモノの自然物を意味し、仮想教材とは、人為的に撹乱された自然物、人為的に作成された教材を意味する。受講生は1年生29名(教育学部9名、社会情報学部2名、医学部13名、工学部5名)である。今回扱った教材は、以下のとおりである。


・実物教材
  草津白根山・浅間山地域の自然環境観察
・仮想教材
  群馬大学荒牧キャンパス内の植生観察
ラミネート植物標本の作成
  映画「もののけ姫」の鑑賞


 学修原論は講義として位置づけられている。時間内に実験・演習形式で授業を行うことはこの定義にもとるという考え方もあるであろう。しかし、こうでもしないと自然環境科目の教育目的が達成できないこともまた事実である。また、以前から特に理工系の学生から不満の多い、実験・演習形式の授業の単位数計算方法(講義のみの授業と比較して、実験・演習形式の授業の方が実際には時間がかかるにもかかわらず、単位数は少ない)も、自然環境教育の障害となっていると言わざるをえない。今回試みたような、講義の中における実験・演習形式の時間の確立は、こうした現状に対する打開策となりうると考えられる。
 群馬県は幸い、比較的自然環境が豊かな立地にある。また草津には関東国立大学の共同利用施設、草津セミナーハウスがある。群馬大学はこれらを利用して、大学のカリキュラムの一環として自然環境教育を行うことが可能であるという、恵まれた状況下にあるわけである。
 とはいえ、群馬大学においてさえ、自然環境教育をすべて実物教材でまかなうことはできない。また自然と人間の関わりを見るためには、人為により発生した二次的自然や標本が、そしてさまざまな自然観を学ぶためには、抽象化された映像メディアなどが、仮想教材として有効であると考えられる。

実物教材:草津白根山・浅間山地域の自然環境観察

 1999年6月26、27日の両日、草津白根山・浅間山地域において自然観察会を行った。これは本来は、教養教育の新入生合宿研修として開催されている(社会情報学部野村・石川、学生部松原が引率)ものではあるが、今回は学修原論の講義の一環として学生に参加してもらった。26日早朝に群馬大学荒巻キャンパスに集合し、貸し切りバスに搭乗して草津セミナーハウスに向かった。道中は車内より以下のような観察を行った。


・天明3年の浅間火山噴火の噴出物
  渋川市内に、天明3年の噴火の際に飛来した巨大な火山岩がある。
・吾妻渓谷の成立過程
  吾妻渓谷は吾妻川が数万年に渡って大地を侵食した結果形成された。両岸に河岸段丘がみられる。
・八ツ場ダムに沈む川原湯温泉郷
  風光明媚な吾妻渓谷であるが、八ツ場ダムの建設が進行しており、これに伴い川原湯温泉郷は水没する。ここまでしてダムを造る意義があるのか?
草津セミナーハウスに到着後、セミナーハウス周辺で以下のような観察を行った。
・火山灰層
  セミナーハウス裏手の切り通しで、火山灰層が確認できる。
・ガリ侵食
  火山地帯特有のU字谷で、谷沢川でみられる。
・帰化植物の進入状況
  低山地地帯では、人間が破壊した立地(道路端、造成地)には平地と同様に帰化植物が侵入し、これらをあしがかりに従来の植生を破壊しつつある。
・低山地性樹木の種類
  カエデ(モミジ)にもいろいろな種類がある。アサノハカエデ、ヒトツバカエデなどを観察。また、落葉性マツであるカラマツ(植林)を観察した。
・ゴミの不法投棄の実態
  セミナーハウス向かいの谷には、不法投棄されたゴミが散乱している。まだ一般ゴミがほとんどであるが、エスカレートするおそれがある。
・西の河原
  草津白根山系に降った雨は、火山堆積物の間を浸透してくるため、pHが1.7〜2.1という強酸性温泉となって草津町に湧出してくる。西の河原で湧出する温泉は、温度50℃と高温であるが、らん藻の仲間が生育している。
翌日は草津白根山ロープウエイ乗り場にバスで行き、そこから青葉溶岩の観察を行った。また草津町から白根山に向かって標高が上がるにしたがって植生が変化していく様子を車中から観察した。


 例年はここより草津本白根山に徒歩で登り、自然観察を行うのであるが、残念ながらこの日は朝から激しい雨にみまわれ、登山ができなかった。そこで草津町に引き返し、中和工場を見学した。草津町を流れる吾妻川は、白根山系より流入する強酸性の地下水の影響でpH2〜3程度になっているため、このままでは生物の住めない死の川であるばかりか、利根川に合流して悪影響を及ぼす。そこでこの中和工場で、1964年より吾妻川に大量の石灰(石灰ミルク)を投入して中和している。今回は中和工場のご厚意により、展示室だけでなく石灰投入の制御室も見学させていただいた。
このあとバスで浅間山に向かい、途中で浅間山の度重なる噴火によって形成されたさまざまな地形を監察した。また鎌原観音堂と浅間火山博物館を見学し、天明の大噴火の仕組みやその被害などについて学んだ。
 実施後に簡単な聞き取り調査を行ったところ、今回の自然観察会は受講生にたいへんよい印象を与えたことが明らかになった。「いままでに得たことのない貴重な体験をした」「机上の空論だけでなく、実際の自然の仕組みを目の当たりにすることができた」「多くの人々と体験を共有し、議論することができた」など、受講生からは良い評価が多く得られた。問題点としては「雨が降って登山ができなくて残念」という指摘があった。

仮想教材:群馬大学荒牧キャンパス内の植生観察、ラミネート植物標本の作成

 1999年4月27日、群馬大学荒牧キャンパス内に生育している植物と立地条件の関係を観察した。観察の主なポイントは以下のとおりである。


・踏み跡群落
  オオバコはグラウンドや未舗装駐車場、けもの道といった踏まれる立地で繁茂する。これはオオバコの生長点が踏み潰されないように保護されているためである。
・帰化植物と日本固有植物の闘い
  帰化植物アメリカセンダングサと日本固有種クズは、生育立地が酷似しているので、現在覇権争いを繰り広げている。またクズはアメリカ合衆国では有名な有害帰化植物である。
・ドングリの木
  ドングリをつける樹は一種類ではなく、荒牧構内だけでも4種類(クヌギ、コナラ、シラカシ、マテバシイ)がみられる。ドングリの名の由来は、鈍栗、つまり食べられない栗という意味である。
・化石の樹
  メタセコイアは学校によく植えられる樹である。この樹は20世紀当初まで化石しかみつからないため絶滅種と考えられてきたが、中国奥地で現物が発見され、”生きている化石”と称されるようになった。
・ニセモノの樹?
  アカシアと呼ばれることの多い街路樹、実はニセアカシアという名前である。ホンモノのアカシアはオーストラリアに多く分布している。荒牧構内では、教養教育A棟東非常口の外に一本生育している(社会情報学部三上教授が植栽)。


 以上の観察の後、植物を採集し、ラミネータを用いて生のままラミネート加工して標本を作製した。この方法だと植物を乾燥する必要がないこと、色が比較的長い間変化しないこと、作成後乱雑に扱っても標本が破損しないというメリットがある。ただし、作成には1枚あたり2分ほどかかるので、今回はラミネータを3台用意した。
実施後によせられた受講生の感想は、いずれも好意的であった。「いままでなんとなく見ていた植物たちが、身近に感じられるようになった」「植物の名前にそれぞれ意味があることがわかって興味がわいた」「いままで植物標本というと、変色して汚く、保管に困ると思っていたが、ラミネート加工すると変色も少なくまた美しくレイアウトできる。」「アートとしてすばらしい。家にかざっておきたい」といった意見が出された。

仮想教材:映画「もののけ姫」の鑑賞

 1999年9月21日、学修原論の最後の時間に、映画「もののけ姫」レーザーディスク版を鑑賞した。観賞後にいくつかの課題についてレポートを作成させた。
「もののけ姫」は宮崎駿監督1997年製作のアニメーション作品である。宮崎監督は子供向けアニメーション製作の第一人者であり、自然環境の美しさ、かけがえのなさ、そして自然とともに暮らすことのすばらしさをメインテーマに創作活動を続けている。主な作品には、「アルプスの少女ハイジ」(1974)、「未来少年コナン」(1978)、「風の谷のナウシカ」(1984)、「天空の城ラピュタ」(1986)、「となりのトトロ」(1988)がある。「風の谷のナウシカ」は、バブル経済に突入せんとする80年代日本において、地球環境問題をいちはやくとりあげた作品として、各方面で評価されると共に物議もかもしだした。「となりのトトロ」は、その後”トトロの森”と称される里山復興運動のもとになった作品である。このように宮崎監督の作品は、自然環境美をたたえ、人間と自然の共存の重要性をうたったものとして高い評価を得てきた。しかし今回仮想教材としてとりあげた「もののけ姫」には、今までの宮崎監督作品でうたわれたテーマとは一線を画する、重々しいテーマが横たわっている。
 物語の舞台は、おそらく室町時代中期の日本である。その時代にはもはや人間は自然に翻弄されることはなく、むしろ自然を改造あるいは破壊して、確たる人間だけの世界=文明社会を築き始めている。山は次々と切り開かれ、それまで畏怖され、時に神としてあがめられてきた自然物、野生生物はしだいに消え去っていった。まさに現在につながる”自然破壊”の歴史の黎明期であり、人間が自然を破壊することでしか生きてゆけないような生活を始めた時代である。ここに最後の自然神シシ神、そしてこのシシ神を殺してその支配する世界=森をタタラ製鉄工業の源にしようとするエボシ御前一味が対峙していた。さらにエボシ御前の命を狙う、シシ神の守護である山犬のモロ一族、人間でありながらモロに拾われ育てられ、人間に憎悪を燃やす”もののけ姫”サンがいる。このように、「もののけ姫」で描かれている世界は、人間と自然が解離しいがみあう世界である。このような物語世界をさらに複雑にしているのは、主人公アシタカの存在である。アシタカは己の一族を、タタリ神とよばれる邪悪神(エボシ御前の謀略により憤死した大イノシシの亡霊)から救った代わりに、タタリを一身にうけて余命いくばくもない。死ぬ前に己の命をもてあそんだ原因を見極めようと旅立ち、上記の者たちに出会う。「森と人が共に生きる道はないのか?」苦悩するアシタカにエボシ御前は「森に光が入り山犬共が鎮まれば、ここは豊かな国になる」と言い放ち、自然破壊、シシ神殺しをやめようとはしない。またサンも「人間なんか大嫌いだ。エボシ御前を殺すためなら私は死んでもかまわない」と、人間を憎み続ける。クライマックス、ついにエボシ御前により首をはね落とされたシシ神は、胴体だけであばれだし、森もタタラ場も破壊し尽し、さらにすべての生きとし生ける者から命をすいとろうとする。アシタカとサンはようやく協力し、シシ神の首をエボシ御前一味から取り戻す。首を取り戻したシシ神は、日の出とともに消滅。命を返してもらった森の木々は、小さな芽生えとなって再生する。アシタカもシシ神によってタタリを解かれるが、サンは「アシタカは好きだ。でも人間を許すことはできない」と、山犬と共に森に戻る。アシタカは麓のたたら場で暮らすことを決意する。サンと共に生きるために。
 以上が「もののけ姫」のあらすじである。これまでの自然賛美の作風から一転して、ストレートに答えの出せない問題を観る側に投げかけている。鑑賞終了後に、以下のような設問に対してレポートを作成してもらった。


 設問:「もののけ姫」の舞台は、室町時代の日本、ということになっているらしいが、扱っているオハナシは、明治以降現在までの日本の歴史であると思われる。ここで、オハナシに出てくる人物・設定は、近代日本のどんなことがらを象徴していているのかを解説してください。解説する人物・設定は、アシタカ、サン、モロ一族、タタリ神、エボシ御前&タタラ場、そしてシシ神です。
 またこれらをふまえて、物語の後、アシタカはどのような人生を送ったと思われるか想像して簡単に書いてください。


 登場人物が何を象徴しているかについては、以下のような回答が主であった。
  アシタカ:これからの人の進むべき道、自然環境を考える我々そのもの、悩める現代人
  サン:我々の自然に対する罪悪感、ナチュラリスト、自然の代弁者、野生動物
  モロ一族:天災、現代の自然保護団体、絶滅した野生動物
  タタリ神:公害、人間に引き起こされた自然災害、自然の怒り・しっぺがえし
  エボシ御前&タタラ場:企業、文明社会、行政、現代人、官僚
  シシ神:失われゆく自然、神、人が畏怖する自然、真理


 その後のアシタカの人生については、主として以下のように想像されていた。


なんとか自然と人間の共存の道を見いだす、自然に帰依してサンとともに森で暮らす、ふたたび旅に出て自然と人間の共存の道を見つけようと苦悩する


 全体に、アシタカのかかえる問題を自分たちの問題として認識し、解決が困難ではあるが、なんとか解決したいという希望を抱いていることがうかがえる。また、自然破壊を続ければ、必ずなんらかの反動(公害、自然災害)が起こると、物語世界と現実世界とを重ね合わせたうえで認識しているようである。その背景には、シシ神を自然の摂理・真理とし、畏怖の対象ととらえていることが見受けられる。
以上のように仮想教材としての「もののけ姫」は、受講生に抽象的な自然理念を喚起し、自然の重要性について強い印象を与えている。これは、仮想教材としての映像、特に映画が強いメッセージ性を持っていることに由来すると考えられる。

まとめ

 学修原論「生命の発生と進化」において本年度検討した実物教材と仮想教材の活用は、次のような成果をあげた。
  1.実物教材として自然観察会を講義に取り入れることは、受講生の豊かな自然観を、そして何よりも、自然に対して感動する心をはくぐんだ。また多人数で同じ体験をすることにより、受講生同士で自然に関する議論を深め、共感を得られるようになった。
  2.仮想教材としての野外観察会、ラミネート標本作製で、受講生は身近な植物の存在について認識を深め、またよい印象を持つようになった。
  3.仮想教材として映像メディアを用いると、受講生は強いメッセージを受け取り、これに基づいて、場合によっては実物教材を用いた場合以上に深い抽象思考を行うようになった。
 文部省生涯学習審議会は「青少年の[生きる力]をはぐくむ地域社会の環境の充実方策について」答申のなかで、「子どもたちの心の成長には、地域での豊かな体験が不可欠」であり、「生活体験、自然体験が豊富な子どもほど道徳観・正義感が充実している」という見解を示した。これは高等教育にもあてはまることで、大学においても、自然体験の場を増やす必要があることは、明々白々である。自然科学系の教官が非常に少ない群馬大学ではあるが、我々は改革の努力を怠らず、自然環境教育の充実をめざしていかねばならない。

参考文献・インターネットホームページ(URL)

阿部 治・編(1993)子どもと環境教育 211p 東海大学出版会、東京
植田和弘(1998)環境経済学への招待 204p 丸善ライブラリー、東京
太田 尭・編(1993)学校と環境教育 242p 東海大学出版会、東京
香取草之助(1993)大学からの実践教育と科学研究. 「科学と環境教育」(松前達郎・編) 東海大学出版会  208-220
叶 精二(1997)もののけ姫を読み解く 169p フュージョンプロダクト、東京
佐島群巳・小澤紀美子(1992)生涯学習としての環境教育 219p 国土社、東京
田中 実・安藤聡彦(1997)環境教育をつくる 206p 大月書店、東京
水越敏行 ・木原俊行(1995)新しい環境教育を創造する 248p ミネルヴァ書房、東京
文部省(1991)環境教育指導資料 中学校・高等学校編 大蔵省印刷局
文部省(1992)環境教育指導資料 小学校編 大蔵省印刷局
文部省生涯学習審議会(1999)「青少年の[生きる力]をはぐくむ地域社会の環境の充実方策について」答申(http://www.monbu.go.jp/series/00000055/)
山中二男(1979)日本の森林植生 223P 築地書館、東京
矢野悟道(1989)日本の植生ー侵略と撹乱の生態学 226P 東海大学出版会、東京

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