はじめに

 

人間活動と生態系の変化
 地球上の種の分布はより均一になりつつある。均一化とは、地球上のある地域に生息している生物相と、別の地域の生物相との間に違いがなくなりつつあることを意味する。この傾向は二つの要因によるところが大きい。第一に、種の絶滅あるいは個体群の減少により、特定の地域に固有であった種が失われていることである。第二に、新たな地域への種の侵入や導入の速度がすでに高いということである(Millennium Ecosystem Assessment 2007)。
 現在、分類群を越えて、ほとんどの種の個体群の大きさや分布範囲のいずれか一方、もしくは両方が減少している。IUCNの絶滅基準では、「絶滅の危機に瀕している」と分類される種の大部分は、100年以内におよそ10%の確率で絶滅する可能性がある(Millennium Ecosystem Assessment 2007)。
 これまでの数百年の間に、人間は生物種の絶滅速度をこれまでの地球上で認められた典型的な絶滅速度の1000倍程度に増加させてきた。絶滅は、地球史において自然の現象である。過去5回の主要な大量絶滅を除くと、海洋と哺乳類の化石種から推測される絶滅の平均速度は、1年間に百万種あたりおおよそ0.1~1種であったが、過去100年間で記録のある鳥類、哺乳類、両生類の絶滅のはあよそ100種である。これはこれまでの地球史の絶滅速度より50~500倍速い。記録のないまま絶滅した種を含むと1000倍以上の速度である(Millennium Ecosystem Assessment 2007)。
 生物一般の進化スピードに比べ、人間活動がもたらす生態系の変化はあまりに急である。環境変化に応じた生物の反応は適応進化か絶滅であり、適応進化が間に合わないとすれば生物は絶滅に、向かうしかない。ヒトの個体数は産業革命以降約300年の間に約10倍にも増加し、現在個体数は60億を超えている。さらにその分布域は熱帯から寒帯までの広範囲な地域におよび、もはや地球上にその足跡の見つからない場所は見出せない。地球上の大気、海洋、陸水、土壌、生物相、生物群集など、地球生態系のあらゆる要素に、ヒトの影響による大きな変化が確認されている。それらの変化はヒトにとっても「望ましくない」環境変化であり、結局はその影響がヒト自身の身に降りかかってくる。生態系は単純化してますます不安定なものとなり、ヒトの個体群の存在可能性自体をも危惧しなければならない時代が訪れたのである(鷲谷ら 2005)。

生物多様性と生態系サービス
生物多様性によって駆動している生態系の諸機能を、近年では「生態系サービス」と称することもある。古くから「自然の恵み」と呼ばれて人類が享受し続けてきたものであるが、生態系の有する経済的価値の評価と、環境保全の経済的意義を明確にするために国連の主導で定義されたものである。生態系サービスには、食糧、水、木材、繊維、遺伝子資源などを供給するサービス、気候、洪水、疾病、水質を調整するサービス、レクリエーション、審美的享受、精神的充実感などの文化的なサービス、土壌形成、花粉媒介、栄養塩循環などのように、ほかの生態系の基盤となるサービスがある(Millennium Ecosystem Assessment 2007)。
そんな生態系サービスの供給と回復力は、どちらも生物多様性の変化によって影響を受ける。生物多様性とは、そこに生息する生物の多様さと、その生物たちによって構成される生物学的な複雑さである。特定の場所からある種が失われたとき、あるいは新たな場所にある種が導入されたとき、その種に関連するさまざまな生態系サービスが変化する。一般的に生息環境に変化があると、そこに存在する種に関連した一連の生態系サービスが変化し、しばしば人間にも即座に直接的な影響を及ぼす(Millennium Ecosystem Assessment 2007)。
多くの地域社会にとって、生態系の精神的・文化的価値は他のサービスと同様に重要である。人間の文化・知識体系・信仰・遺跡の価値・社会的相互作用のすべては、その文化の基盤となる生態系の特徴や状態に形作られ、影響を受けてきた(Millennium Ecosystem Assessment 2007)。

生物多様性条約と生物多様性
 1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催された「環境と開発に関する国連会議」(地球サミット)では気候変動の枠組み条約と並んで、生物多様性条約が採択された。
 気候変動の枠組み条約は、地球温暖化に対処するためのものであり、二酸化炭素濃度という明確な指標を用いて目標を表現することができるため、社会に対して比較的明確な行動規範を提示することができる。
 これに対し生物多様性条約は、人間活動の影響を生物多様性の維持可能な範囲にとどめ、生態系要素の不可逆的な喪失の防止をめざそうとするものである。ここにおいての生物多様性は「種内の多様性、種の多様性、生態系の多様性からなる生命のあらゆる変異性」と定義される。「種内の多様性」とは、種内の遺伝子の多様性である。生物多様性を保全し、持続的に利用し、失われた自然を再生するのが生物多様性条約の目的であるが、これは数値的な目標を上げることが難しいだけでなく、具体的な目標が誰にとっても明瞭であるとは言い難い。しかしこれは、生物多様性や生態系そのものの本質的な特質に起因しているのであって、だからこそ単純な指標や数値にはとうてい集約しきれない、豊かな内容を包括する生物多様性の保全が必要なのである(鷲谷ら 2005)。
生物多様性国家戦略2010及び2012-2020では、生物多様性に4つの危機があると述べている(環境省 2010、2012)。
第一の危機は、開発、利用のための攪乱など、人間活動の強い影響のもとで、絶滅の危機にさらされ、豊かな自然が失われるという、従来も意識されていたが、最近いっそう深刻化している危機である。第三の危機(人間により持ち込まれたものによる危機)とともに、世界中で問題となっているユニバーサルな危機であるといってよい。
 第二の危機は、伝統的な農業や生活とかかわる自然への働きかけがなくなったり、里山や田園の自然の手入れが不十分になったり変質したことによるものである。日本のように伝統的な人の営みの場にも豊かな自然が維持されていた地域に特有な危機であるということもできる。
 第三の危機は、日本の自然に馴染まない、新たにもたらされた生物、外来種や、自然界には存在しない化学物質によってもたらされる問題である(鷲谷 2003)。外来種の問題については、①侵入の予防、②侵入の初期段階での発見と迅速な対応、③定着した外来種の長期的な防除や封じ込め管理の各段階に応じた対策を強化する必要がある。また、農薬等の化学物質が生態系に影響を与える仕組みについては、多くのものがいまだ明らかになっていないため、野生生物の変化やその前兆をとらえる努力を積極的に行うとともに、化学物質による生態系への影響について適切にリスク評価を行い、これを踏まえリスク管理を行うことが必要である(環境省 2012)。
 第4の危機は、地球温暖化や海洋酸性化など、地球環境の変化による危機である。地球温暖化のほか、強い台風の頻度が増すことや降水量の変化などの気候変動、海洋の一次生産の減少及び酸性化などの地球環境の変化は、生物多様性に深刻な影響を与える可能性があり、その影響は完全に避けることはできないと考えられている。さらに、地球環境の変化に伴う生物多様性の変化は、人間生活や社会経済へも大きな影響を及ぼすことが予測されているため、地球環境の変化による生物多様性への影響の把握に努めるとともに、生物多様性の観点からも地球環境の変化の緩和と影響への適応策を検討していくことが必要である(環境省 2012)。

レッドデータブック
野生生物の保全のためには、絶滅のおそれのある種を的確に把握し、一般への理解を広める必要があることから、環境省では、レッドリスト(日本の絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト)を作成・公表するとともに、これを基にしたレッドデータブック(日本の絶滅のおそれのある野生生物の種についてそれらの生息状況等を取りまとめたもの)を刊行している(環境省 2000)。
IUCN(国際自然保護連合)が発表している国際基準では、絶滅危惧と定義される状態をCR(critically endangered)、EN(endangered)、VU(vulnerable)の3つのクラスに分類する。環境省では、これら3つのカテゴリーに対して、絶滅危惧ⅠA類、絶滅危惧ⅠB類、絶滅危惧Ⅱ類という用語を用いている。このほか、すでに絶滅した生物には、EX(extinct、絶滅)、EW(extinct in the wild、野生絶滅、動物園や植物園で残っている状態)というカテゴリーが使われる。また、近い将来絶滅危惧の基準を満たすと予測される生物には、NT(near threatened、準絶滅危惧)というカテゴリーが使われる。準絶滅危惧にも該当しない生物は、LC(least concern、環境省では対応するクラスを設けていない)とされる。また、情報が乏しくて、いずれのカテゴリーに該当するかを評価できない場合には、DD(data deficient、情報不足)とされる(矢原 2003)。
日本初のレッドデータブックは、1989年に日本自然保護協会、世界自然保護基金ジャパンから発行された、「我が国における保護上重要な植物種の現状(レッドデータブック植物種版)」である。その後1992年に「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(種の保存法)」が成立し、環境省が脊椎動物、無脊椎動物、維管束植物、その他の植物についてレッドデータブックを発行、水産庁が「日本の希少な野生水生生物に関するデータブック」を発行している。また、北海道から沖縄県まで24の都道府県がレッドデータブックを作成しており、環境省、水産庁、学会などのレッドデータブックは、全国レベルの評価をしているが、都道府県のレッドデータブックは、都道府県レベルの評価をしている(IUCN日本委員会HP)。
 レッドリストはおおむね5年ごとに見直しており、2012年8月28日に第4次レッドリストが公開された。また、このレッドリストに基づき、レッドデータブックの改訂版を作成することとしている(環境省 2012)。
 今回の見直しで、「絶滅のおそれのある種(絶滅危惧I類(IA類(CR)、IB類(EN))及び絶滅危惧II類(VU)に選定された種)」の総数は、419種増加し、日本の野生生物が置かれている状況は依然として厳しいことが明らかになった。今回新たに絶滅(EX)と判断された種は、ニホンカワウソ(哺乳類)、ダイトウノスリ(鳥類)などで、哺乳類で3種、鳥類で1種、昆虫類で1種、貝類で1種、植物I(維管束植物)で2種の計8種であった。
 また、トキは、佐渡島での野生復帰が進められ、今年の春に初めて野外の繁殖に成功したが、IUCN(国際自然保護連合)のレッドリストカテゴリー基準では下位のカテゴリー(ランク)への変更には5年以上の状況の継続が必要であるとされていることを参考とし、前回と同じ野生絶滅(EW)とした(環境省 2012)。
 生物多様性条約COP10(平成22年10月)で採択された愛知目標においても、その1つに「2020年までに既知の絶滅危惧種の絶滅及び減少が防止され、また特に減少している種に対する保全状況の維持や改善が達成される」ことが位置づけられており、当該目標の着実な達成に向けてこれらの保全の取組を体系的・計画的に進める必要がある(環境省 2012)。
群馬県では、県内に生育する絶滅のおそれのある野生植物種の分布や生育状況等を明らかにし、その事実を伝え、貴重な野生生物の保護に役立てる目的で、県内の絶滅のおそれのある野生植物の一覧(群馬県の植物レッドリスト)をまとめ、2000年2月に公表した。
また、レッドリスト掲載の個々の種について、特徴や評価の理由、分布状況等の情報を加えた「群馬の絶滅の恐れのある野生生物(植物編)」(群馬県レッドデータブック植物編)を作成し、2001年1月に発行した。そして、その後の変化への対応や、より現状に即した内容に見直すため、2008年に改訂準備に着手し、このたび、初めての改訂を行い、2012年改訂版を2012年4月に発行した(群馬県 2012)。
 ヒトの生活と生産活動は、多様な生き物が生み出す自然の営みや生態系サービスで成り立っている。種の絶滅の連鎖によって、生態系が単純化しその機能が損なわれていくことは、人間社会の持続可能性を大きく損なうものであると言える。生物多様性は、生態系の多様な機能の源泉である。逆に、生態系の健全性が保障されてこそ生物多様性は維持される。したがって、生物多様性は生態系の健全性のよい目安となる(鷲谷ら 2005)。
 絶滅危惧種の保全には、継続的なモニタリングを行い、問題が深刻化した場合に時機を逃さず緊急対策を実施することが必須である。レッドリストに掲載されるすべての種について、客観的で科学的な現状のモニタリングを実施し、回復計画を策定する必要がある
(鷲谷ら 2005)。

絶滅危惧種アサザの例
アサザ(Nymphoides peltata)国指定準絶滅危惧種、群馬県指定絶滅危惧IA類
 浮葉植物のアサザは初夏から秋にかけて湖の面を黄色く染めるように咲く植物で、霞ヶ浦を特徴づける風物詩の一つだった。アサザはかつて日本各地の湖沼や溜池に比較的普通に分布していたが、近年、溜池の埋め立てや湖沼環境の悪化により生育環境が減少し、絶滅が危惧されている。異型花柱性という特殊な繁殖様式を持っており、種子繁殖のためには、長花柱型と短花柱型という異なる花のタイプの個体間で花粉の授受が行われる必要がある。ところが、上杉龍二氏らによる日本全国のアサザ自生地を対象にした調査によると、この2つのタイプの個体を含む個体群は霞ヶ浦にしか存在しないことが調査により明らかにされている(上杉ほか 2009)。すなわち、アサザが霞ヶ浦から消えてしまうと、種子による繁殖を行いながら長期的に存続できる個体群が日本から消滅してしまうことになる。1996年に34地点で確認されていたアサザは、同年に霞ヶ浦開発総合計画に基づく水位管理が開始されると同時に急速に衰退し、2000年までの5年間にその個体数は14に減少した。また、遺伝子の多様性が大きく失われ、種子の生産も著しく減少したため、放置すれば数年以内に絶滅してもおかしくない事態になった。この事態を踏まえ、新たな水位管理を暫定的に変更すると共に、アサザを含む湖岸植生帯を再生するための事業に取り組むことを発表した(西廣 2010)。

自然再生事業、ビオトープ
 自然と共生する社会の実現に向けて、自然環境の価値を再認識し、地域固有の動植物や生態系その他の自然環境について、保全のための取組を推進することはもちろん、自然再生によって地域の自然環境を蘇らせ、自然の恵みを享受できる地域社会を創りあげていくことが必要となっている。自然再生とは、過去に損なわれた生態系その他の自然環境を取り戻すことを目的として、関係行政機関、関係地方自治体、地域住民、NPO、自然環境に関し専門的知識を有する者等の地域の多様な主体が参加して、河川、湿原、干潟、藻場、里山、里地、森林その他の自然環境を保全し、再生し、若しくは創出し、またはその状態を維持管理することである。自然再生の取組は、地域の多様な主体の連携、地域の自主性の尊重と透明性の確保、科学的知見に基づく実施、順応的な進め方、自然環境学習の場としての活用など自然再生推進法の基本理念を踏まえ、調査、構想・計画策定から事業実施、モニタリング、事業評価、事業内容の柔軟な見直しに至る事業のプロセスに沿って、長期的な視点に立ち着実に進めていく必要がある(環境省 2012)。
自然再生事業の対象は生態系である。それは、ある空間に生きるすべての生物とその環境からなるシステムと定義される。すなわち、多様な生き物、それらの生活にさまざまな影響を与える物理的環境要因、それらのあいだの膨大な関係からなるシステムである。自然再生事業は、その要素のすべてを把握することができないほど複雑なシステムを対象として実施される。したがって、生態系に何らかの人為を加えることがもたらす効果の予測にはおのずと限界がある。人為が期待通りの効果をもたらすこともあるだろうが、予期しない出来事が起こりうる可能性もけっして小さいとはいえない。そのため、あらゆる取り組みを順応的に進めることが必要となる。取り返しのつかない失敗をさけるため、自然への働きかけの効果を科学的なモニタリングで確かめながら、よりよい方向を探るという進め方である(西廣・鷲谷 2003)。
 自然再生事業の一つとして、ビオトープの育成管理が、近年日本国内で増えている。ビオトープは、もともと「生物の生息・生育のための小さな空間のまとまり」と示すドイツ語の専門用語であるが、近年では小さな生態系再生の目標像として、一般にも多く知られるようになっている。日本でも、減少した生物多様性を回復させるための1つの方法としてビオトープに関心が集まっている(鷲谷ら 2005)。
 ビオトープという用語が小さな生態系再生の目標像として用いられ始めたのは、1970年代半ばのことである。ドイツ南部のバイエルン州において、当時、農村地域におけるビオトープ保護のための地図化を進めていたミュンヘン工科大学のハーバー教授らが、地図化の過程の中で次々とビオトープが消滅してしまうという危機感を抱いたのである。そこで、ビオトープが消滅しないような水路の整備の方策を生み出したり、ビオトープを別の場所に移したり、ビオトープとなる新たな環境を生み出す方策をとった。こうしたビオトープ保全の試みは地域の生態系ネットワークにも貢献した。ビオトープ保全計画では、限られたビオトープを相互に有機的に結びつけ、地域の生物多様性を維持する工夫がなされている(鷲谷ら 2005)。
 ビオトープには何らかの維持管理が必要不可欠である。秋山(2000)はこれを「ビオトープ整備の七原則」として以下のようにまとめている。
① 整備対象地本来の自然環境を復元し、保全する。そのための自然環境の把握は必要条件。
② ①の理由により、設計に際しては、利用素材(生物も非生物も含む)はその地本来のものとする。
③ 回復・保全する生物の継続的な生存のために、それ相応の水質の用水を確保する。
④ 純粋な自然生態系の保全・復元のために人が立ち入らない中核ゾーンを設定する。
⑤ 設計図面に基づき整備した当初のビオトープは完成半ばであり、その後自然が仕上げて完成状態となる読みが設計技術には必要である。
⑥ ビオトープ整備は情勢の思惑のみで進めないで、何らかの形で市民参加を図る。
⑦ ビオトープ・ネットワーク・システム構築のために、ビオトープ整備後のモニタリングを十分に行う。
 もっとも重要なことは、モニタリング(監視、観察)を継続的に行うことである。自分たちの行動が計画通りに進んでいるか、失敗していないか、逆に嬉しい誤算は、そのような発見を得るためにも現場を見ることは重要になる。モニタリングで得られた結果は、効果や成果の評価指標となるだけでなく、危機を察知する際にも使える。さらに、その頻度が高いほど問題の早期発見に繋がる(長谷川 2004)。
 モニタリングでは、生物調査を伴うことが多く、土壌や水質や光強度といった環境条件を調べる場合もある。調査は高度な専門技術がなくても、監視するという目的を持ってビオトープと接することで自然観も養われる。そのようなデータは地域にとって重要な基礎資料となるため、一般の多くの人々の参加による広く浅い調査も有効なのである(長谷川 2004)。

土壌シードバンクの活用
自然再生事業は、できるだけ自然の回復力に任せ、人間は自然が自ら回復していく過程を手助けするといった姿勢で取り組むことが望ましい。そこで、植生を自然な形で回復させるために、土壌シードバンクが望みの綱となる(鷲谷 2003)。ビオトープの造成後には、在来種・外来種にかかわらず、しだいに多くの植物が出現するようになるが、その理由の一つが土壌シードバンクからの発芽である。
土壌シードバンクとは、発芽のための条件が整うまで、休眠状態で土壌内に蓄積されている生存種子の集合のことで、水分や光、温度などの環境が、発芽に必要な条件を満たすと休眠から目覚め、発芽を始める。水辺の植物のなかには、長い寿命をもつ種子をつくるものが多く、地上からその植物が姿を消していても、土壌シードバンク中の種子を利用すれば、再びその植物を再生することができることもある(鷲谷 2007)。
四季のある温帯地域では、芽生えの生長に適した季節と不適な季節が繰り返して訪れる。そのため、多くの植物が芽生えの生長に適した季節まで発芽を延期するための生理的な休眠機構を適応進化させている。日本では、高温多雨の夏が、乾燥し寒冷な冬よりも植物の生育に適している。そこで、多くの植物が春に種子を発芽させる。そのような植物の種子は、冬の低温を経験してはじめて休眠から目覚める生理的特性をもつことが多い。土壌中には、休眠解除のための環境シグナルあるいは発芽に適した条件が与えられないために発芽せず、休眠(発芽に適した条件が与えられていても生理的に発芽を抑制する状態)あるいは休止(発芽に適した条件が与えられないために発芽しない状態)の状態にある種子が多く含まれている(鷲谷 2003)。
永続的シードバンクを形成する種の種子には、発芽のための環境シグナルが与えられず、特別の死亡要因が働かなければ、数十年、さらには100年以上もの長いあいだ、土壌中で存続するものが知られている。そのような種子をつくる植物種では、地上の植生から生育個体が失われても、土壌中には種子が残されている可能性がある。したがって、その地域からすでに消失したと思われる植物種でも、土壌シードバンクを用いてその再生を図ることができる可能性がある。水辺など環境の変動性の大きい場所で生育する種には、永続的シードバンクを形成するものが多いことが知られている。したがって、土壌シードバンクは水辺やウェットランドにおける自然再生の材料として大きな可能性をもつといえる(鷲谷 2003)。
また、土のなかには、かつての植生の変遷に応じた、多様な植物の種子が眠っているため、土壌シードバンクによってその場にふさわしい多様な種からなる植生を再生することが可能である(鷲谷ら 2005)。

外来生物の駆除・抑制
 ビオトープの管理で最も多大な労力を費やされるのは、外来植物の駆除・抑制である。
外来種とは、過去あるいは現在の自然分布域外に導入された種、亜種、あるいはそれ以下の分類群を指し、生存し繁殖することができるあらゆる器官、配偶子、種子、卵、無性的繁殖子を含むものをいう。そして、人間によって意図的もしくは非意図的に移入された外来生物が生態系、生物多様性などにもたらす望ましくない影響やそれによって生起する問題を外来生物問題とよんでいる。また、外来種のうち、その導入もしくは拡散が生物多様性を脅かすものを侵略的外来種という(村上・鷲谷 2002)。
 外来生物問題は生息・生育環境の開発や分断・孤立化、乱獲・過剰採取、管理放棄などとともに、生物多様性を脅かす重要な課題の1つとして認識されている。外来種と同様の意味で、導入生物、帰化生物、侵入生物という用語が用いられていたこともある。これらの用語は対象とする生物を移入目的と移入時期によって区別しようとして用いられたが、非常に混乱しやすい用法となってしまった。そこで今日では、特に問題を起こしている侵略的な生物のみを対象として、外来種もしくは外来生物という言葉に統一されており、結果的に日本おいては、明治以降に持ち込まれた外国起源の生物が対象となっている(鷲谷・森本 1993)。
日本では、人の健康に関わる種や経済的産業的被害が大きい種については、早くから対策法の整備がなされてきた。農業に有害な動植物の輸入を禁止する「植物防疫法」、家畜への伝染病の発生予防および蔓延の阻止を目的とする「家畜伝染病予防法」などがある。しかし、これらの法制度では、ごく一部の外来種だけしか規制できておらず、生物多様性の保全とは無関係に規制が行われている(村上・鷲谷 2002)。
1992年に生物多様性条約(CBD)が採択された後には、外来種への対策が進んでいった。同条約第8条で「生態系、生息地若しくは種を脅かす外来種の導入を防止し又はそのような外来種を制御し若しくは撲滅すること」と、基本的な方向性が盛り込まれ、2002年の第6回締約国会議では、15の指針原則がまとめられた。そこでは、予防が侵入後の対策と比べ効果的であり、優先的に取り組むべき対策であり、すでに侵入した種は、初期の発見と定着の防止を図ることが必要であるとしている。
このような動きを受け、日本では2004年に「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」(これ以降「外来生物法」と称する。)が制定され、翌年施行された。外来生物法の対象となる「外来生物」は、海外から日本に導入されることで、その本来の生息地または生育地の外にいる生物と定義されている。一方、「在来生物」は、日本にその本来の生息地または生育地がある生物を指す。

ビオトープ管理の目標:里地里山
 自然然再生事業の一つであるビオトープは、地域の過去に損なわれた生態系その他の自然環境を取り戻すことを目的としているので、その目標となるのは、地域の里地里山・田園地域となる。
これらは奥山自然地域と都市地域の中間に位置し、自然の質や人為干渉の程度においても中間的な地域である。この里地里山・田園地域は、里地里山のほかに、人工林が優占する地域や水田などが広がる田園地域を含む広大な地域で、全体として国土の8割近くを占める(環境省HP 2010)。
里地里山は、長い歴史の中でさまざまな人間の働きかけを通じて特有の自然環境が形成されてきた地域で、集落を取り巻く二次林と人工林、農地、ため池、草原などで構成される地域概念である。現在は里地里山の中核をなす二次林だけで国土の約2割、周辺農地などを含めると国土の4割程度と広い範囲を占めている。今後人口減少や高齢化が進むことにより、人との関わりが全体として減少していくと考えられる地域である(環境省HP 2010)。
 そして、わが国における保護上重要な植物種および群落に関する研究委員会種分科会(1989)によって植物のレッドデータブックが刊行され、里山に生育する植物の中にも絶滅危惧種が多いことが明らかになったことから、里山が生物多様性の保全に対して大きな役割を果たしていることが認識されるようになった。これは、人と自然との関わり方が、経済や生活の変革によって変化したことが原因とされている(倉本 2001)。
 伝統的な農業生態系である里地里山においては、雑木林は肥料や燃料などの生物資源を採集するための場であった。人々はそこで落ち葉掻きをし、下草を刈り、山菜やキノコの木の実を採った。そのような人間の行為は、植生に対して撹乱の作用をもたらす。植生を破壊する作用もある撹乱は、密生した植生の中に「隙間」、すなわちギャップをつくりだす。つまり、植生遷移の初期段階である陽樹林の環境条件を人間が維持し、その中で多くの生物が結果的に保全されてきたことになる(鷲谷ら 2005)。
 ヒトによる定期的な撹乱は、生物の生活と共生関係をより安定したものにする。ところが、雑木林での適度な撹乱をもたらす人間活動は縮小し、多くの場合その活動そのものがなくなってしまった。そのため、サクラソウなど、伝統的なヒトの営みと相性のよかったギャップ依存の植物は生活の場を失い衰退していった(鷲谷ら 2005)。
 里地里山の溜め池・用水路・せせらぎが創り出す水辺には、多様な水草や湿性の植物が、推進や水による撹乱の影響の大きさのちがいに応じて、帯状に分布する。そのような移行帯の植生には環境のちがいに応じて他種類の生物が生活している。しかし、治水や利水の効率性を高めるために、水辺は次々とコンクリート護岸化され、移行帯の多くの植生は喪失した。水辺の移行帯の再生は、生態系の健全化を取り戻し、物多様性を適切に保全するために不可欠である。このように、淡水生態系の再生においては、水辺の移行帯の再生が最重要課題の1つとなっている(鷲谷ら 2005)。

群馬県内の大型ビオトープ
・アドバンテスト・ビオトープ
 群馬県邑楽郡明和町、株式会社アドバンテスト群馬R&Dセンタ2号館敷地内に、2001年4月に竣工した大型ビオトープである。本ビオトープは、半導体試験装置等の開発・製造業者であるアドバンテスト社が、環境保全活動の一環として、自然環境との共生をうたって構築したものである。本ビオトープの面積は17,000㎡と、民間企業としては国内最大級の規模のものである。ビオトープは工業団地の一角に位置しており、建設前の用地は、雑草がまばらに育成する程度の裸地であった。敷地周辺には水田が広がり、畑地、雑木林が点在しており、敷地北側には矢田川が、約2㎞南には利根川が流れている。
 本ビオトープの育成管理に関しては、竣工時から群馬大学社会情報学部環境科学研究室の石川真一教授が、生態学的学術調査に基づいたアドバイスを行っている。
 これまでの調査結果から、本ビオトープには多くの外来植物と在来植物の定着が確認されている。在来種は2001年では25種であったが、年々増加し、2008年に最多の94種が確認され、2010年には在来種54種、外来種22種の計76種が確認された(青木 2011)。
 また、2011年の植物相調査の結果では、開花や生育が確認された94種の植物のうち外来種は27種で、ミソコウジュ、フジバカマ、ミコシガヤといった湿地性絶滅危惧種や多数の里山植物の生育が継続して確認された(松田 2012)。

・チノー・ビオトープ
 群馬県藤岡市森、株式会社チノー藤岡事業所敷地内に造成されたビオトープで、2009年9月に造成開始、2010年10月に竣工したものである。正式名称はチノー・ビオトープフォレストである。設計段階から、群馬大学社会情報学部環境科学研究室の石川真一教授が、生態学的学術調査に基づいたアドバイスを行っている(鈴木 2010)。
 造成にあたり、本ビオトープには高崎市石原町の「観音山」または「岩野野丘陵」と呼ばれている丘陵地帯から樹木や土壌の移植を行った。チノー・ビオトープに移植した観音山中腹の3地点(コナラ植林地2地点と放置林1地点)の植物相調査によると、在来種が40種、外来種が1種の計41種の生育が確認された。また文献調査によって、20年以上前の観音山の植物相が明らかにされた。これらのほとんどが、山野性植物または畑地性雑草であり、外来種は生育するものの、個体数が非常に少なかった(鈴木 2010)。2010年の植物相調査では、在来種53種、外来種22種の計75種の生育が確認され、その多くが湿地・水田性雑草と畑地・道端雑草であった(青木 2011)。
 2011年の植物相調査では、在来種87種、外来種62種の計149種の生育が確認され、これらは主として湿地・水田雑草と畑地・道端雑草であった。外来種の多くは園芸種であり、個体数は少なかった。また、絶滅危惧種のコギシギシが多数確認され、同年に新たに絶滅危惧種のカワジシャ、ミゾコウジュの生育が確認された(松田 2012)。


本研究の目的
本研究では、大型ビオトープの育成管理において、外来植物種を抑制あるいは除去しつつ、在来植物種の増加を促進する方策を検討するために必要な生態学的知見を、環境情報として蓄積することを目標とした。またビオトープが地域の絶滅危惧種の保全場所となれるように、群馬県内に生育する3種の国指定準絶滅危惧種(フジバカマ、ミゾコウジュ、アサザ)の繁殖・栽培方法を、栽培・培養実験により解明することを試みた。
調査地は、過去の研究を引き継ぎ、株式会社アドバンテスト群馬R&Dセンタ2号館(群馬県邑楽郡明和町)敷地内に2001年4月に竣工した大型ビオトープ、株式会社チノー藤岡事業所(群馬県藤岡市森)敷地内に2010年に竣工した大型ビオトープ、および群馬県伊勢崎市豊城町に2012年3月に竣工したばかりの男井戸川調整池(通称・やたっぽり)とした(図1)。これら調査地において植物相調査を行い、植物種の多様性の現状を解明した。また、物理化学的環境条件の多様性を評価するため、ビオトープ内数地点における気温と地温の季節的な変動、相対光量子密度の空間分布、土壌含水率、および土壌窒素・リン含量の測定を行った。フジバカマについては、谷田川の自生地の土壌窒素・リン含量の測定も行った。
以上の結果を、近隣の里地および榛名山西部の里山における植物相調査の結果と比較して、今後の各ビオトープの育成管理の方法について考察を行った。
なお本研究は、都丸希美氏および塚越みのり氏との共同研究であり、本稿はこの共同研究結果を、東毛にある2つのビオトープ(アドバンテスト・ビオトープおよび男井戸川調整池)を中心としてまとめたものである。チノー・ビオトープを中心としたまとめは都丸氏の卒業論文を、近隣の里地および榛名山西部の里山に関する研究結果については塚越氏の卒業論文を参照されたい。

 

 


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