概 要

 里山では伝統的な農業により、長期間にわたって人と自然の共生関係が維持されてきた。里山では長年、農民たちが水田、畑地、ため池、二次林、草地などを形成し、持続的に利用してきた。こうした伝統的農法は継続的な人為的な中規模撹乱となり、このため里山では非常に多くの野生生物・植物が生育し、高い生物多様性が維持されている。しかし、高度経済成長期以降の生活様式の変化によって、しだいに里山の利用価値は失われ、開発や管理放棄により里山の林は田畑などが荒れるようになった。こうした里山環境の悪化に伴い、そこに生育する動植物は絶滅の危機にさらされるようになった。日本には固有の植物が多数生育しており、環境省によってまとめられたレッドリストには2018種と多くの維管束植物が掲載されている。
 このような状況の中、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が2010年に名古屋で開催された。このCOP10において日本は、SATOYAMAイニシアティブと呼ばれる生物多様性保全政策を提案した。このイニシアティブは、日本の里地里山における伝統的な自然−人間関係を、自然と共生的な社会のモデルとして世界に広めようというものである。各地域の里山的環境の特徴を尊重しながら、国内外の自然共生の現状を踏まえて持続可能な自然資源の利用・管理を世界各国で推進していくものである。この政策の実現のためにも、里山における種多様性がどのようにして形成、維持されているのかを解明することが不可欠である。
 本研究では里山の植物種多様性がどうやって形成されるのかを、生育環境の多様性と植物の分布および種子生産・発芽・成長特性の多様性の関係を考察することによって解明する。群馬県では、県内各地において多様な立地条件が形成されており、それぞれの立地ごとに異なる種構成で、多くの在来種が生育しており、良好な里地・里山環境が存続している。このため、群馬県内において長期間里山環境として維持されている地域である西榛名地域(東吾妻町、高崎市)、太田市、館林市、板倉ウエットランド地域、および隣接する栃木県南部において植物相調査、環境調査を行うことによって、植物多様性の現状を把握し、里山環境における植物多様性がどのようにして形成されるのか、またどんな植物や生物が保全されているのか調査し、現状を評価した。また、これらの地域においてサクラソウなど代表的な出現植物(希少種)の発芽実験を行うことにより、生育環境の多様性と植物の発芽・生長特性の多様性の関係を解析する。
 植物相調査の結果、里地・里山地域では非常に多くの在来植物の生育が確認された。その中には絶滅危惧種も多数含まれ、良好な里地・里山環境が存続していることが明らかになった。
 群馬県西榛名地域の里山における植物相調査の結果、里山特有の在来植物149種の生育が確認され、このうち15種の絶滅危惧種・希少種(貴重種)の生育が確認された。この地域では現在でも伝統的農業が営まれており、雑木林の伐採管理や落ち葉かきなどが定期的に行われて、コナラ・ハルニレなど落葉樹で構成される二次林が広く維持されている。また水田、ため池、用水路が多数造られて周辺が湿地となるなど、様々な立地条件が形成されている。このように生育環境が多様なことが、当地域で多様な植物種が生育可能となっている原因の一つであると考えられる。
 板倉ウエットランド地域では、谷田川と矢場川でフジバカマとナガレコウホネの生育を確認した。ナガレコウホネについては、新たな生育地を確認し、地域住民によるこの種の保全活動が行われていることが判明した。
 太田市では、水田植物を中心に在来種20種、うち5種の絶滅危惧種・希少種の生育を確認した。

 

 

 

 

 

 フジバカマの自生地である谷田川の土壌とアドバンテスト・ビオトープのフジバカマ生育地の土壌窒素・リン含量を分析した結果、2地点間で大きな差異は見られなかった。このことから、アドバンテスト・ビオトープ内の植栽地の土壌はフジバカマの生育に適していると考えられる

 現在、里山地域において当地のように、伝統的農耕によって多様な植物相が成立し、多くの絶滅危惧種・希少種が生育している場所は、全国的に見ても極めて稀である。今後は現存する里地・里山地域の生態系の保全活動を継続的に行うだけでなく、条例や指針の整備が早急に求められる。また、環境保全活動は科学的知見が必要であると同時に、地域社会との関わりが重要となる。生物多様性の保全は一定の地域毎に行われるものであるため、地域住民と深く関わりながら進められなくてはならない。里山保全に求められることは、里山の管理・保全に携わる主体を拡大していくことにある。近年では環境保全団体やNPOなど、市民運動や活動団体が増加し、環境問題における地域住民の関心が高まっていることを示している。このような地域住民や環境団体の活動と学術的知見を持つ専門家、行政団体が連携することで、より効果的な保全が可能になるであろう。


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