はじめに

 

生物多様性とは

1992年に国連で策定された生物多様性条約では、生物多様性をすべての生物の間に違いがあることと定義し、生態系の多様性、種間(種)の多様性、種内(遺伝子)の多様性という3つのレベルでの多様性があるとしている。
生態系の多様性とは、東京湾の干潟、沖縄のサンゴ礁、自然林や里山林、人工林などの森林、釧路や尾瀬の湿原、大小の河川など、各地にいろいろなタイプの自然があることだ。種の多様性とは、日本は、南北に長く複雑な地形を持ち、湿潤で豊富な降水量と四季の変化もあって、いろいろな動物・植物が生息・生育しているという状況のことである。遺伝子の多様性とは、同じゲンジボタルでも中部山岳地帯の西側と東側では発光の周期が違うことや、アサリの貝殻の模様が千差万別なことなど。このように自然界のいろいろなレベルにおいて、それぞれに違いがあること、そして何より、それが長い進化の歴史において受け継がれた結果として、多様でつりあいのとれた生物の多様性が維持されていることが重要とされる(環境省HP 2010)。

生物多様性と生態系サービス

生物多様性によって駆動している生態系の諸機能を、近年では「生態系サービス」と称することもある。古くから「自然の恵み」と呼ばれて人類が享受し続けてきたものであるが、生態系の有する経済的価値の評価と、環境保全の経済的意義を明確にするために国連の主導で定義されたものである。
2001年から2005年にかけて、国連のアナン事務総長の呼びかけによりミレニアム生態系評価が実施された。ミレニアム生態系評価の目的は、生態系の変化が人間の福利に及ぼす影響を評価することであり、生態系の保全と持続的な利用を進め、人間の福利への生態系の貢献をより高めるためにとるべき行動は何かを科学的に示すことであった。ここで、生態系サービスは、私たち人間が生態系から得る便益として定義され、大別して食料・水・木材・繊維のような供給サービス、気候・洪水・疾病・廃棄物・水質に影響する調整サービス、レクリエーションや審美的・精神的な恩恵を与える文化的サービス、そして栄養塩循環・土壌形成・光合成のような基盤サービスの4種類が評価された(MEA 2007)。
ミレニアム生態系評価の結果、過去50年間にわたり人類は歴史上かつてない速さで大規模に生態系を改変し、地球上の生命の多様性に対して莫大かつ概して不可逆的な喪失をもたらしたことが明らかになった(MEA 2007)。またミレニアム生態系評価では、2050年の将来像を、生態系管理のアプローチやグローバル化の進行の違いにより複数示しているが、予防的な取り組みや順応的管理の実施、社会的経済的格差の是正などを行っていくことで、地球全体の生態系の劣化を回復させることは可能としている(環境省 2009)。
生物多様性は、システムの安定化を含む生態系の様々な機能を担い、それを通じてあらゆる「生態系サービス」の源泉となっている(鷲谷 2007)。そのため失われた生態系を修復して持続可能性を確保することは21世紀の人類の最優先課題であり、「生物多様性の保存と持続的な利用」「健全な生態系の維持」を目標として生態系修復の取り組みがすでに世界各地で開始されている(鷲谷 2003)。

このように生物多様性は、その機能である生態系サービスという人間生活への利用を視野に入れている点で、これまでの「厳正に保護すべき自然」の考え方とは大きく異なる。木材や食料、または浄化された水など、生物を媒介として自然の価値は、その利用行為を経て私たちが享受しているものだが、無制限に利用すれば、容易にかつ永遠に消失してしまう。日本のような狭い国土に多くの人口を抱える国で、生物多様性をうまく使っていくためには様々な工夫がいる。上手に利用して、損なわずに子孫に伝えることが不可欠となる(荘村 2002)。

生物多様性の危機

しかしながら、生物多様性の衰退は、私たちのすぐ身の回りの生活域の二次的な自然から、熱帯雨林のような原生的な自然まで、至る所で広くしかも深く進行している。種の絶滅は、生物多様性の衰退の最も顕著な表れである。種が絶滅しないまでも、限られた個体群だけになったり、個体数が著しく減少したり、またそれに伴い遺伝的な変異も失われるという現象は、今までは野生生物の多くの種で起こっている。しかし、ごく一部の種についてしか調査が行われていないために、その危機の現状を十分に把握することができない(鷲谷 1999)。
個々の種の危機はそれぞれが個別にもたらされたものではない。多くの種の生息・生育の条件を一度に奪うような自然の生息・生育場所や生態系の喪失、多様な生息・生育場所や生態系を含む景観の消失が地球規模で急速に進行している。景観はヒトの土地の利用のあり方を反映した空間的なパターンを意味するが、全地球的に、多数の野生生物が生活する豊かな自然の生態系を含む景観が失われ、市街地や農地や荒れ地ばかりからなる画一的な景観が優勢になりつつある(鷲谷 1999)。
日本列島においても、里山の喪失にみられるように、地域の自然と調和し、地方色豊かであった農村景観が、区画整理による市街地化、圃場整備など農業の近代化をめざす改変などによって画一的な面白みのない景観へと変えられつつある。そこに存在しうる生態系も限られたものとなり、生息できる動物、生育できる植物も限られてくる。雑木林、ため池、茅場など多様な生育場所を含む伝統的な里山をはじめとする農村景観の喪失は、現在わが国における生物多様性衰退の最も大きな現れの一つともいえる(鷲谷 1999)。
生物多様性国家戦略2010及び2012-2020では、生物多様性に4つの危機があると述べている(環境省 2010;2012)。
第一の危機は、開発、利用のための攪乱など、人間活動の強い影響のもとで、絶滅の危機にさらされ、豊かな自然が失われるという、従来も意識されていたが、最近いっそう深刻化している危機である。第三の危機とともに、世界中で問題となっているユニバーサルな危機であるといってよい。
第二の危機は、伝統的な農業や生活とかかわる自然への働きかけがなくなったり、里山や田園の自然の手入れが不十分になったり変質したことによるものである。日本のように、伝統的な人の営みの場にも豊かな自然が維持されていた地域に、特有な危機であるということもできる。
第三の危機は、日本の自然に馴染まない、新たにもたらされた生物である外来種や、自然界には存在しない化学物質によってもたらされる問題である(鷲谷 2003)。
第四の危機は、地球温暖化など地球環境の変化による影響である。地球温暖化のほか、強い台風の頻度が増すことや降水量の変化などの気候変動、海洋の一次生産の減少及び酸性化などの地球環境の変化は、生物多様性に深刻な影響を与える可能性があり、その影響は完全に避けることはできないと考えられている(環境省HP 2012)。
IPCC第二作業部会のとりまとめた第四次評価報告(2007)によると、これまで評価された植物及び、動物種の約20~30%は、全体平均気温の上昇が1.5~2.5℃を越えた場合、増加する絶滅リスクに直面する可能性が高いとされている。温度上昇は植物の光合成生産活動、ひいては植物の生長と生存・繁殖に直接的な影響を及ぼし、大地に根を張り暮らす植物にとって移動は簡単ではない。したがって温暖化によって多くの植物の衰退・絶滅、そしてこれに起因する動物の衰退・絶滅が引き起こされる可能性が高いということである。そこで、まず温暖化が地域生態系の基盤である植物の多様性に及ぼす影響を解明し、正確に評価する必要がある(原沢・西岡 2003)。
また、1.生物多様性の意義・価値に対する国民の理解が進んでおらず、多くの人々が自らの問題としてとらえ、さまざまな活動に参加する機運が高まっていないこと、2.膨大なつながりと個性によって形づくられた生物多様性の状態が十分には把握されておらず、科学的認識に基づく評価と対策のための基礎的な知見が不足していること、さらには3.自然再生や里地里山の保全などの生物多様性の保全に向けた動きは進展しつつあるものの、まだ点的な取組にとどまっており、生物多様性の危機への対処に必要な分野横断的な取組がなお十分に進展していないことも、上記のような4つの危機を深刻なものとしている(環境省HP 2010)。
さらに、生息・生育場所が全体として破壊されて失われることだけでなく、それが分断・孤立化することによって個体群の維持が難しくなることは、現在の地球上で最も普遍的な種の絶滅要因であるとも考えられている。森林、湿原、河川、沿岸生態系の喪失や分断化が進むと、面積の減少に伴って、その生活の場を失ったり、その縮小を余儀なくされ、絶滅の淵に立たされる種は今日では膨大な数に上る(鷲谷 1999)。

地球は、現在、生物の歴史はじまって以来の「喪失の時代」を迎えつつあると言えるが、それは同時に、人類の存続可能性を脅かすものでもある。そのような認識にもとづき、1980年代以降、重要な社会的な目標としてとりあげられるようになったのが、「健全な生態系の持続」と「生物多様性の保全」という目標である。これらは、喪失を少しでも小さくするための、人間活動の方向性を示唆する重要なキーワードでもある(鷲谷 2001)。

レッドデータブック

野生生物の保全のためには、絶滅のおそれのある種を的確に把握し、一般への理解を広める必要があることから、環境省では、レッドリスト(日本の絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト)を作成・公表するとともに、これを基にしたレッドデータブック(日本の絶滅のおそれのある野生生物の種についてそれらの生息状況等を取りまとめたもの)を刊行している(環境省HP 2012)。
IUCN(国際自然保護連合)が発表している国際基準では、絶滅危惧と定義される状態をCR(critically endangered)、EN(endangered)、VU(vulnerable)の3つのクラスに分類する。環境省では、これら3つのカテゴリーに対して、絶滅危惧ⅠA類、絶滅危惧ⅠB類、絶滅危惧Ⅱ類という用語を用いている。このほか、すでに絶滅した生物には、EX(extinct、絶滅)、EW(extinct in the wild、野生絶滅、動物園や植物園で残っている状態)というカテゴリーが使われる。また、近い将来絶滅危惧の基準を満たすと予測される生物には、NT(near threatened、準絶滅危惧)というカテゴリーが使われる。準絶滅危惧にも該当しない生物は、LC(least concern、環境省では対応するクラスを設けていない)とされる。また、情報が乏しくて、いずれのカテゴリーに該当するかを評価できない場合には、DD(data deficient、情報不足)とされる(矢原 2003)。
日本初のレッドデータブックは、1989年に日本自然保護協会、世界自然保護基金ジャパンから発行された、「我が国における保護上重要な植物種の現状(レッドデータブック植物種版)」である。その後1992年に「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(種の保存法)」が成立し、環境省が脊椎動物、無脊椎動物、維管束植物、その他の植物についてレッドデータブックを発行、水産庁が「日本の希少な野生水生生物に関するデータブック」を発行している。また、北海道から沖縄県まで24の都道府県がレッドデータブックを作成している(IUCN日本委員会HP 2011)。
環境省版レッドリストへの掲載は、捕獲規制等の直接的な法的効果を伴うものではないが、社会への警鐘として広く社会に情報を提供することにより、様々な場面で多様な活用が図られる。レッドリストはおおむね5年ごとに見直しが行われている。環境省では、平成20年度よりレッドリストの見直し作業を進め、2012年、新たなレッドリスト(第4次レッドリスト)をとりまとめた。絶滅のおそれのある種として第4次レッドリストに掲載された種数は、合計で3430種(第3次リスト;平成18年〜19年公表では3011種)となった(環境省HP 2012)。
群馬県では、県内に生育する絶滅のおそれのある野生植物種の分布や生育状況等を明らかにし、その事実を伝え、貴重な野生生物の保護に役立てる目的で、県内の絶滅のおそれのある野生植物の一覧(群馬県の植物レッドリスト)をまとめ、2000年2月に公表した。
また、レッドリスト掲載の個々の種について、特徴や評価の理由、分布状況等の情報を加えた「群馬の絶滅の恐れのある野生生物(植物編)」(群馬県レッドデータブック植物編)を作成し、2001年1月に発行した。さらに、その後の変化への対応や、より現状に即した内容に見直すため、2008年に改訂準備に着手し、初めての改訂を行った(群馬県 2012)。
2012年の改訂版では、633植物種を評価対象として掲載した。このうち274種は前回(2001年版群馬県レッドデータブック植物編)は掲載されていなかったが、今回新たに掲載された種である。内訳をみると、274種のうち161種は絶滅危惧IA類とIB類で58.8%を占めた。これは、前回も掲載されていた359種のうち今回絶滅危惧IA類とIB類が占めた割合(52.9%)を上回る結果となった。この中には、環境省のレッドデータブックやレッドリストに掲載されている種が過去10年の間に県内で新たに発見されたものや、全国的に減少傾向が著しく環境省でも2007年版のレッドリストで新たに掲載したものが多数含まれており、絶滅リスクが高いランクに集中する結果となった。
今回、絶滅または野生絶滅と評価した55種のうち23種は、前回は絶滅以外の評価とされた種か、絶滅危惧種として認識されず掲載されていなかった種である。なお、前回絶滅と評価した55種のうち17種(アサザ、トチカガミを含む)は、その後現存することが確認されたため今回は他の評価となった。また、5種が対象外となったのは、雑種や品種、逸出種として評価対象から除外したためである(群馬県 2012)。
今回の評価対象633種のうち、絶滅危惧IA類が217種と最多であった。この理由として、本県の植物相がもともと地域間の差異が大きく分布地点の限られる希少種が多いことに加え、従来からの開発行為による生育地消失のほか、近年は農地や里山の管理放棄、動物による食害、外来種との競合など様々な要因によって生育環境が悪化し、深刻な状況に追いやられているためと考えられる。

前回希少と評価された種の多くが今回は比較的絶滅リスクの低い方のランクに評価された理由は、生育基盤が脆弱なだけで、開発行為や管理放棄、自然遷移などによる明確な減少傾向がみられない種が大部分を占めたために、減少率が低めに算出されたことによると考えられる(群馬県 2012)。

生物多様性保全と自然再生の法的根拠付け

種の絶滅、種の多様性の減少、さらには、生態系の安定化と遺伝子資源の経済価値を守るため、遅れがちであった法制度も次第に整いつつある。
①絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(種の保存法、平成4年施行)
絶滅の危機に瀕している動植物の保護は、生物多様性を確保する上で緊急の課題である。この法律では、「国内希少野生動植物種」、「国際希少野生動植物種」、「緊急指定種」、「特定国内希少野生動植物種」を定め、個体の捕獲、損傷、譲渡が禁止されている。このうち土地造成等に関係して保護対象となる「国際希少野生動植物種」は(養父 2008)平成24年4月現在、鳥類38種、哺乳類5種、爬虫類1種、両生類1種、魚類4種、昆虫類15種、植物では本県にのみ生育するカッコソウを含む26種の計90種が指定されている(環境省HP 2012)。
この法律では個体群を守るため「生息地等保護区」指定の制度があり、管理地区と監視地区からなり、個体の捕獲、損傷、譲渡に加え、造成、工作物等の新築が制限される。

②環境影響評価法(環境アセスメント法、平成9年施行)
この法律や地方公共団体の条例でアセスメントが求められた事業者は、十分な調査や予測・評価、環境保全対策を行い、事業後もその保全に努めなければならない。
所轄官庁である環境省からは「自然環境のアセスメント技術1〜3」(財務省印刷局)、大型開発事業を司る国土交通省からは、道路関係で「道路環境影響評価の技術手法」((財)道路環境研究所)、ダム関係で「ダム事業における環境影響評価の考え方」((財)ダム水源地環境整備センター)、都市計画関係で「面整備事業環境影響評価技術マニュアル」(ぎょうせい)が発行されている。電力事業では、「発電所に係る環境影響評価の手引」(資源エネルギー庁編)が発刊されている。いずれの手引きでも、課題は、各種の生物生息地を開発から守ることである。

③生物多様性国家戦略
政府(地球環境保全に関する関係閣僚会議)は、平成7年に「生物多様性国家戦略」を決定し、子孫の代になっても、生物多様性の恵みを受け取ることができるように、生物多様性の保全と持続可能な利用に関する基本方針と国のとるべき施策の方向を定めた。
この「生物多様性国家戦略」では、施策の実施状況について毎年点検を行うとともに、概ね5年程度を目途に見直しを行うことが規定され、これを受けた政府は、生物多様性国家戦略の全面的な見直しを行い、平成14年3月に新しい生物多様性国家戦略が決定された(養父 2008)。
そして2012年、COP10の成果や東日本大震災の経験などを踏まえ、愛知目標の達成に向けた我が国のロードマップであり、自然共生社会の実現に向けた具体的な戦略として、「生物多様性国家戦略2012-2020」が策定された。愛知目標とは、2010年に愛知県で開催された生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)において2011年以降の新たな世界目標として採択されたものである。本国家戦略は、生物多様性基本法に基づく国家戦略としては2番目の生物多様性国家戦略となる(環境省HP 2012)。

④自然再生推進法(平成15年1月施行)
この法律は、我が国の生物多様性保全にとり重要な役割を担い、地域の多様な主体の参加により、過去に損なわれた生態系やその他の自然環境を取り戻すため、河川、湿地、干潟、藻場、里山、里地、森林、サンゴ礁などの自然環境を保全、再生、創出、または維持管理することを求めている。
政府は、自然再生の施策を総合的に推進するため「自然再生基本方針」を平成15年4月1日決定し、この基本方針を受け、環境省、農林水産省、国土交通省の出先機関等に相談窓口を設置し、中央ではこの三省及び関係行政機関からなる自然再生推進会議を設け、自然再生を推進していくことになった。国や地方公共団体の計画だけでなく、地域の多様な主体の発意により、国や地方公共団体も参画して事業を進める今までにない発想の法律である。

⑤特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律(特定外来生物法)
特定外来生物による生態系等に係る被害を防止し、生物の多様性を確保し、人の生命及び身体の保護、並びに農林水産業の健全な発展に寄与するために、特定外来生物の飼養、栽培、保管、または運搬、輸入その他の取扱いを規制し、特定外来生物の防除等を講ずることを定めた法律である。

「特定外来生物」とは、オオクチバスやブルーギル、タイワンザルなどのように、海外からわが国に導入され、本来の生息・生育地の外に定着する生物(外来生物)で、わが国に本来の生息・生育地を有する生物(在来生物)とは性質が異なるために生態系等に被害を与え、または、及ぼすおそれがあるものとして、政令で定めた個体(生きている卵、種子その他政令で定めるもの)、ならびに、その器官をいう。このほか「要注意外来生物」として、a.被害に係る一定の知見があり、引き続き指定の適否について検討する外来生物、b.被害に係る知見が不足しており、引き続き情報の集積に努める外来生物、c.選定の対象とならないが注意喚起が必要な外来生物(他法令の規制対象種)、d.別途、規制に関する総合的な取り組みを進める必要のある外来生物(外来の緑化植物など)が選定され、わが国の生態系保護のために防除や駆除事業が展開されつつある(養父 2008)。

 

生物多様性保全における民間企業の役割

近年、企業が生物多様性の保全に取り組むことが求められるようになった。とはいえ、「生物多様性」という概念は抽象的で、その「保全と持続可能な利用」の対象も広範に渡ることから、それぞれの事業者による取組や生物多様性との関係性は、事業者の業態や規模により実に様々である。そのため、環境省は「生物多様性民間参画ガイドライン」を作成し、幅広い分野の事業者が生物多様性の保全と持続可能な利用に取り組めるよう、必要な基礎的な情報や考え方などをとりまとめている。本ガイドラインは、事業者における生物多様性に関する認識や活動がまだ限定的である現状を踏まえて、生物多様性の保全と持続可能な利用に係る認識を高めること、事業者が生物多様性に関する取組を前向きに捉え、積極的に取組を進めることに寄与すること、事業者と多様な主体との連携活動の発展にも資することを目標としている(環境省 2009)。その理由は、第一に多くの企業が生物多様性と生態系が提供する自然からの恵みに依存しているからであり、同時に何らかの影響を与えているからである(足立 2010)。
生物多様性国家戦略は、生物多様性の保全及び持続可能な利用に関する基本的な考え方と政府の施策について取りまとめた計画だが、生物多様性基本法で、国、地方公共団体、事業者及び民間団体を含む国民の責務が規定されているように、生物多様性の保全と持続可能な利用は、国民の暮らしと密接に関わることから、国が実施するだけでなく、地方公共団体、企業、NGO、国民などのさまざまな主体が自主的にかつ連携して取り組むことが重要であり、それぞれの主体が次のような役割を果たしていくことが期待される。
企業など事業者には、生物多様性の保全に配慮した原材料の確保や商品の調達・製造・販売のほか、保有している土地や工場・事業場の敷地での豊かな生物多様性の保全、投資や融資を通じた生物多様性の保全への配慮、生物多様性の保全に関する情報開示などが期待される。また、社会貢献活動としての国内外における森林や里山などでの生物多様性の保全への貢献や、企業・公益法人の基金による生物多様性の保全を目的に活動するNGOへの支援も企業など事業者に期待される重要な役割である。さらに、政府や生物多様性条約締約国会議など国際的な組織が提供する生物多様性の情報に関心を持つとともに、企業活動の中で形成されるネットワークを通じ、国内外の企業に生物多様性の保全と持続可能な利用に関する取組を促し、連携してその推進に努めることも期待される(環境省HP 2010)。

企業は巨大な活動単位であり、影響も巨大であることを考えれば、生物多様性の保全を推進するには、企業自身による取り組みが重要だと理解できるだろう。企業が生物多様性の保全に取り組むことは、本業が与えている負荷を最小化することによって、自社の事業だけでなく、社会全体を持続可能にするために必要なことであり、これは企業の社会的な責任といえるのである(足立 2010)。

企業による生物多様性保全活動の実例

2008年のCOP9で、ドイツ政府が主唱した「ビジネスと生物多様性イニシアティブ」が発足した。これは、企業による生物多様性保全を目的にした国際イニシアティブで、参加企業は「リーダーシップ宣言」に署名し、企業の経営・マネジメント方針の中に、生物多様性の保全を組み込むことを約束するものである。
世界の34社がリーダーシップ宣言を行ったが、日本からは9社(アレフ、鹿島建設、サラヤ、住友信託銀行、積水ハウス、富士通、三井住友海上グループ、森ビル、リコー)が参加している。
こうした流れを受けて、2008年頃から民間企業自身による自主的な取り組みも活発化してきた。その一つが、2008年4月に設立された「企業と生物多様性イニシアティブ(JBIB=Japan Business Initiative for Conservation Sustainable Use of Biodiversity)」である。国際的な視点から生物多様性の保全に関する共同研究を実施し、その成果を基に他の企業やステークホルダーと対話をすることで、生物多様性の保全に貢献することを目指す、積極的に行動する企業の集まりである(枝廣・小田 2009)。
以下には民間企業が行う生物多様性保全の実例を3つ示す。

積水ハウス
積水ハウスは、戸建住宅をはじめ、賃貸住宅や分譲マンションなど、年間で5万戸を超える住宅を供給する日本最大手の住宅メーカーである。また、庭づくりやまちづくりを通して、年間85万本の樹木を提供する日本最大規模の造園業者でもある。
積水ハウスでは、「『5本の樹』計画」を提唱・実行している。これは単に樹木を5本だけ植えるというものではなく、「3本は鳥のために、2本は蝶のために」という想いを込め、気候風土により分けられた5つの地域ごとに選ばれた、自生種や在来種の樹木を中心に植栽する庭づくりの提案である。このような取り組みによって、その地域により広範な生態系のネットワークをつくっていくことができる。
「『5本の樹』計画」の取り組みは、都心の住宅の庭を小さな「里山」としてつくり上げ、郊外や山間部の豊かな奥山の自然と結ぶ「回廊」としても注目されるものである。長距離を移動できない鳥や昆虫も、都心に広がるこうした空間を利用することで、生息の範囲を広げることができる。
2001年に始まったこの取り組みの結果、2008年度には同社が植栽する年間85万本の樹木のうち、6割近くが地域の在来種となっている。
「『5本の樹』計画」のコンセプトは、暮らしの中で人間が適切に手を入れることで豊かな生態系が生み出される、里山の考え方がヒントになった(枝廣・小田 2009)。

イオン
流通大手のイオンは、2008年3月、国内小売業ではじめてCO2排出削減目標の具体的数値を定めた「イオン温暖化防止宣言」を発表した。2006年を基準年として2012年までに、CO2排出量を「店舗」、「商品」、「お客さまとともに」の3つの視点で185万トン削減することを目指す内容である。
目標達成のための主な施策として、従来型の店舗と比較してCO2排出を20~30%削減する「エコストア」を開発し、2009年度から出店する店舗を「エコストア」とすること、太陽光発電を2012年度までに、既存店を含め200店舗に導入を目指すこと、商品物流におけるCO2削減、レジ袋無料配布中止店舗の拡大、商品包装資材を軽量化するなどを掲げている。2009年10月には、埼玉県越谷市に国内最大級のエコストア「イオンレイクタウン」をオープンした。ソーラーパネルによる太陽光発電など、環境に配慮した最新技術やしくみを体系的に取り入れ、同規模の店舗よりCO2の排出を20%削減できるという。
さらに2006年からは、海のエコラベルと呼ばれるMSC認証のついたアラスカ産紅鮭やイクラなどの海産物の販売も始めた。海洋管理協議会(MSC)は、海の生態系を維持するために、資源利用の持続性と環境保全に配慮した漁業に認証を与え、そこで漁獲された魚介原料のみを使用し、製品化されたものにMSCエコラベルを与える国際的な認証団体である。
また同社は、MSC認証商品の販売に先駆け、2006年11月20日、国内の小売業としては初めて、MSC認証を受けた魚介類を、水揚げ後、非認証製品と混ざることなく正しく加工・流通するための「MSC CoC(Chain of Custody)」認証を取得している(枝廣・小田 2009)。

鹿島建設
建設業は資源を多く消費することや自然環境を直接改変するという特性があるため、その事業活動が環境に与える影響は大きいといわれている。近年、地球環境問題の深刻化が明らかになる中、建設各社も環境配慮に積極的に取り組み、設計段階での建物への環境配慮、施工段階の廃棄物の削減、CO2排出量の削減、省エネルギー施工などで一定の成果をあげていた。
一方、廃棄物やエネルギー問題への対応と比較して、生物多様性については取り組みが進みにくいという現実があった。その理由として、①建設業には、土地造成、ダム、橋梁など様々な工種があり、生物多様性とのかかわりも多岐に及んでいること、②生物多様性のメカニズムに関する科学的データが不足していること、③自社のビジネスにとってどのような影響があるか見えにくいこと、などが挙がっていた。
鹿島建設は2005年、建設業ではじめて生物多様性のガイドラインを策定(『鹿島生物多様性指針』〈2009年改名・改訂〉)し、生物多様性に配慮した都市づくりの推進や環境教育など、建設事業を通した生物多様性の保全に取り組んでいる。同社が鹿島生物多様性行動指針に基づき生物多様性への取り組みを進める上で特に注力しているのが、都市域における生物多様性の保全である。そこで、生物多様性の保全と持続可能な利用を具体化したモデル都市である「生物多様性」都市というコンセプトを掲げ、関連する様々な取り組みを進めている。
この取り組みのひとつが「鹿島ニホンミツバチプロジェクト」である。ミツバチは、人間に蜂蜜や蜜蝋を提供してくれるだけではなく、ポリネーション(花粉媒介)により樹木の結実を助け、その実を食べに野鳥が集まるなど、周辺の生態系を豊かにすることが期待されている。
鹿島では2009年4月から、「鹿島ニホンミツバチプロジェクト」を開始し、現在、東京都内にある社宅の階段室最上部および名古屋市内にある支店ビル屋上に巣箱を設置している。

本プロジェクトでは季節ごとのハチミツの採蜜だけでなく、ミツバチの飛行範囲半径2㎞圏内の蜜源調査など周辺緑地モニタリングを継続的に実施している。また、近隣の児童館(3歳〜6歳児)に対して毎月1回ミツバチを素材とした環境教育を実施している(足立 2010)。

生物多様性保全 成功のコツ

それぞれの地域における生物多様性の保全の目的は、ローカルな固有性の尊重、つまり、それぞれの地域に独特な生態系や生息・生育場所、動植物の種などの喪失を防ぐことである。それによって、その地域において伝統的に維持されてきた人々の生活や生産に必要な生態系のサービスが途切れることなく提供される(鷲谷 2007)。
この目的の遂行の基礎として不可欠な、地域の生物情報を得る効果的な手段として注目されているのは、市民参加型の調査を企画運営する方法である。その利点としてまずあげられることは、情報を必要とする側が企画運営することにより、自ら精度管理を行えることや、必要な範囲の生物情報を効果的・継続的に得ることができることにある。さらに地域在住の人々が調査主体となるので頻度の高い調査が可能であり、同時に地域の生物相に対する興味や理解、地域の向上などの環境学習効果が期待できることも、他の調査法にはない利点である。しかし、精度の高い生物調査を行うには相応の専門知識が必要であり、そのような人材はなかなか集まらないこともある。反対に環境学習的な面に重点をおけば参加者は大勢集まるが、ほとんどの人は専門知識をもち合わせていないので生物情報の精度や信頼度が低くなることが懸念される。したがって、精度の高い生物調査と環境学習効果の双方を両立させることは必ずしも容易ではない(鷲谷 2007)。
生態系管理において、自然科学的な知識はもちろん中心に据えなければならないが、それだけでなく、その地域に蓄積されたさまざまな伝統的な知を、古文書の解析や聞き取り調査などの人文社会科学的な調査によって明らかにしていくことは重要である。他方、さまざまな意思決定過程において、また、自然科学的な調査においても、「参加」や「協働」の可能性を追求していくことの意味は大きい(鷲谷 2007)。
人類史の大部分の期間を通じて、身近な動植物の性質や利用法、洪水や干ばつなどの自然災害に対応する工夫、資源を枯渇させずに利用する方法などの、ヒトを含む生物と自然環境とのかかわりに関する知識は、日々を生き抜くために重要な知識であった。これらの事柄について、人々が経験的に獲得し、世代間の文化的な伝承を経て発展させる地域的な知識は伝統的生態学的知識(TEK)と呼ばれる(鷲谷 2007)。
生物多様性と同様、TEKを含む地域固有文化は、本来の暮らしの場での自然的・社会的環境とのかかわりのなかで発展し、継承されることによってはじめてその意義を発揮するものといえよう。持続可能な人と自然のかかわりに内在する生態学的な意義を見極め、それを現代の状況に適うかたちで再生することである(鷲谷 2007)。

生態系管理の手法としては、一般的には「順応的管理」が用いられている。それは、対象に不確実性を認めたうえで、政策の実行を順応的な方法で、また多様な利害関係者の参加のもとに実施しようとする公的システム管理の手法である。また保全や再生の実践現場では、実践や管理がどのような効果をもたらしているかを明らかにすることがモニタリングの中心課題とされる(鷲谷 2003;2007)。

自然再生事業とは

現在残っている野生生物と生態系を保全する諸策とは別に、近年、「自然然再生事業」と称して、地域の過去に損なわれた生態系その他の自然環境を取り戻すことを目的として、関係行政機関、関係地方公共団体、地域住民、特定非営利活動法人、自然環境に関し専門的知識を有する者等の地域の多様な主体が参加して、河川、湿原、干潟、藻場、里山、里地、森林その他の自然環境を保全し、再生し、もしくは創出し、又はその状態を維持管理する事業(自然再生推進法第二条)が行われ始めている(近自然研究会 2004)。
生物多様性国家戦略では、「自然再生事業は、人為的改変により損なわれる環境と同種のものをその近くに創出する代償措置としてではなく、過去に失われた自然を積極的に取り戻すことを通じて生態系の健全性を回復することを直接の目的として行う事業」とされている。
自然再生事業の対象は生態系である。それは、ある空間に生きるすべての生物とその環境からなるシステムと定義される。すなわち、多様な生き物、それらの生活にさまざまな影響を与える物理的環境要因、それらの間の膨大な関係からなるシステムである。自然再生事業は、その要素のすべてを把握することができないほど複雑なシステムを対象として実施される。しがって、生態系に何らかの人為を加えることがもたらす効果の予測にはおのずと限界がある。人為が期待通りの効果をもたらすこともあるだろうが、予期しない出来事が起こりうる可能性も決して小さいとはいえない。そのため、あらゆる取り組みを順応的に進めることが必要となる。取り返しのつかない失敗を避けるため、自然への働きかけの効果を科学的なモニタリングで確かめながら、よりよい方向を探るという進め方である(西廣・鷲谷 2003)。
また、自然再生は、生物多様性の保全と健全な生態系の回復を目的に実施されるものであるが、それぞれの事業において、十分に具体的で検証可能な目標を立てることが必要である。

その目標は、現在、著しく減少したり損なわれている生態系の要素、関係、機能などに関する望ましい状態の回復の方向性を具体的に表現するものである。すなわち、「○○の個体群を絶滅の危険がないと見なせる水準にまで回復させる」、あるいは「十分な水質浄化機能が発揮できる水辺の生物群集を取り戻す」といったものである(西廣・鷲谷 2003)。

ビオトープの育成管理

自然再生事業の一つとして、ビオトープの育成管理が、近年日本国内で増えている。ビオトープとは、ギリシャ語の「生命:bio」と「場所:topos」の合成語で生物の生息空間を意味する。広義には森林や海洋などの自然、これらを含む地球もビオトープである。生物の多様性の維持や生態系の保護・再生のため、新たに造られる生物の生息空間もビオトープと呼んでいる。ビオトープには、原生林などのように「人の手を排除した自然のままの空間」という考えと、人が自然とが関わりあうことによって多様な生きものが生息できる環境をつくり維持するという考え方がある(養父 2008)。
ビオトープは生態学の術語ではあるが、むしろ行政や市民活動などの中で一般用語として用いられることが多い。その契機になったのは、ドイツのバイエルン州におけるビオトープ調査である。ここでは地域における保護すべき自然を認識する単位がビオトープとされている(西廣 2003)。
日本では、環境修復やミチゲーション(mitigation)で創造された空間や、都市域に創造された生物生息空間を指す用語として、1990年代に入ってから盛んに用いられるようになった。特に学校の校庭や公園に止水域などを造成し、野生生物が生息できるようにする活動は、ビオトープ運動として高まりをみせている。地域に創造されたビオトープには、失われた身近な自然の復元、環境教育の場の提供、各地域における絶滅危惧種の系統維持など、生物多様性の保全において重要な役割を担うことが期待される(西廣 2003)。しかし、他の地域に生育していた植物を持ち込んだり、ホタルやトンボといったシンボル的な動物の保護・増殖だけに偏重したりしている例もあり、生物多様性の保全の観点からみてすべてが評価できるものではないのが現状である。
また日本では、都市域に残存する野生生物の生息空間を特に指す用語としてビオトープが用いられることも多い。都市化によって互いに分断・孤立化されたビオトープを、生物の移動の障壁の除去や、コリドー(corridor)の整備などにより結び合わせることは、ビオトープのネットワーク化とよばれている(西廣 2003)。
雑木林や溜池、小川、田んぼなどの日本のビオトープの多くは、自然を人の手から遠ざけるのではなく、人が手を加え、かく乱することによって遷移する植生が逆戻りし、動植物の生息密度や複雑な環境構造が更新され維持されてきた(養父 2008)。
ビオトープ作りの基本は、凹・凸あるいはうね・みぞ構造などを含む、一口に言って「起伏に富んだ」地形づくりであるが、これに水系を沿わせることによって生物相は飛躍的に豊富化する(杉山 2001)。
また、刈りくずや落葉落枝を積み上げた堆肥場は、カブトムシの幼虫やさなぎの生息地として、間伐材やほだ木を崩れないように積み上げた集積地は、クワガタムシなどの甲虫類の発生源としても期待される。年数が経過して腐熟した落葉落枝やほだ木くずは、園芸や畑の堆肥、腐葉土として重宝される(鷲谷 2008)。

現在では、本来の生息・生育域の外に生物が移動させられる機会が多く、外来生物が野生化して、生態系に大きな影響をおよぼすことが多くなってきた(鷲谷 2008)。この影響を受け、主たるビオトープ管理の手段として、勢力過大な外来植物の除去を行わなくてはならない。外来種をまったく放置したならば、外来植物園となりかねないのが現状である。植物でセイタカアワダチソウのようなものは、放置されたならば、他種を駆逐することによって、明らかに多様性を減少させる要因となりうる(杉山 2001)。

土壌シードバンクの活用

土壌シードバンクとは、発芽のための条件が整うまで、休眠状態で土壌内に蓄積されている種子のことで、水分や光、温度などの環境が、発芽に必要な条件を満たすと休眠から目覚め、発芽を始める。水辺の植物のなかには、長い寿命をもつ種子をつくるものが多く、地上からその植物が姿を消していても、土壌シードバンク中の種子を利用すれば、再びその植物を再生することができることもある(鷲谷 2007)。
四季のある温帯地域では、芽生えの生長に適した季節と不適な季節が繰り返して訪れる。そのため、多くの植物が芽生えの生長に適した季節まで発芽を延期するための生理的な休眠機構を適応進化させている。日本では、高温多雨の夏が、乾燥し寒冷な冬よりも植物の生育に適している。そこで、多くの植物が春に種子を発芽させる。そのような植物の種子は、冬の定温を経験してはじめて休眠から目覚める生理的特性をもつことが多い(荒木ら 2003)。
土壌中には、休眠解除のための環境シグナルあるいは発芽に適した条件が与えられないために発芽せず、休眠(発芽に適した条件が与えられていても生理的に発芽を抑制する状態)あるいは休止(発芽に適した条件が与えられないために発芽しない状態)の状態にある種子が多く含まれている(荒木ら 2003)。

永続的シードバンクを形成する種の種子には、発芽のための環境シグナルが与えられず、特別の死亡要因が働かなければ、数十年、さらには100年以上もの長い間、土壌中で存続するものが知られている。そのような種子をつくる植物種では、地上の植生から生育個体が失われても、土壌中には種子が残されている可能性がある。したがって、その地域からすでに消失したと思われる植物種でも、土壌シードバンクを用いてその再生を図ることができる可能性がある。水辺など環境の変動性の大きい場所で生育する種には、永続的シードバンクを形成するものが多いことが知られている。したがって、土壌シードバンクは水辺やウェットランドにおける自然再生の材料として大きな可能性をもつといえる(荒木ら 2003)。

ビオトープ管理の目標:里地里山

自然然再生事業の一つであるビオトープは、地域の過去に損なわれた生態系その他の自然環境を取り戻すことを目的としているので、その目標となるのは、地域の里地里山・田園地域となる。これらは奥山自然地域と都市地域の中間に位置し、自然の質や人為干渉の程度においても中間的な地域である。この里地里山・田園地域は、里地里山のほかに、人工林が優占する地域や水田などが広がる田園地域を含む広大な地域で、全体として国土の8割近くを占める(環境省HP 2010)。
里地里山は、長い歴史の中でさまざまな人間の働きかけを通じて、特有の自然環境が形成されてきた地域で、集落を取り巻く二次林と人工林、農地、ため池、草原などで構成される地域概念である。現在は里地里山の中核をなす二次林だけで国土の約2割、周辺農地などを含めると国土の4割程度と広い範囲を占めている。今後人口減少や高齢化が進むことにより、人との関わりが全体として減少していくと考えられる地域である(環境省HP 2010)。
二次林や水田、水路、ため池などが混在する自然環境は、多くの固有種や絶滅危惧種を含む多様な生物の生息・生育空間となっており、都市近郊では都市住民の身近な自然とのふれあいの場としての価値が高まってきている。同時に人間の生活・生産活動の場でもあり、多様な価値や権利関係が錯綜するなど多くの性格を併せ持つ地域である(環境省HP 2010)。
この地域では、水田耕作に伴う水管理の方法、二次林や二次草原の管理方法など地域ごとに異なる伝統的な管理方法に適応して、多様な生物相とそれに基づく豊かな文化が形成されてきた。奥山自然地域とともに、わが国の多様な生物相を支える重要な役割を果たしてきた地域といえる(環境省HP 2010)。

昭和30年代以降、生活や農業の近代化に伴い、二次林は手入れや利用がなされず放置されるところが増え、二次草原は大幅に減少するとともに、昭和50年代頃からは、耕作放棄地も増加している。こうした変化に伴い、シカやイノシシ、サルなどの中・大型哺乳類の生息分布の拡大や生息数の増加が見られ、人の生活環境や農林業などへの被害が拡大している状況だ。また、サシバ、メダカ、ギフチョウ、カタクリなどこの地域特有の多様な生物については、生息・生育環境の質が低下しつつある。環境省の調査によると、絶滅危惧種が集中して生息・生育する地域の5割以上が里地里山に分布している(環境省HP 2010)。

大型ビオトープの実例

アドバンテスト・ビオトープ
群馬県邑楽郡明和町、株式会社アドバンテスト群馬R&Dセンタ2号館敷地内に2001年4月に竣工したもので、面積が17000㎡と民間企業所有としては国内最大級のビオトープである。本ビオトープの育成管理に対しては、竣工時から群馬大学社会情報学部環境科学研究室の石川真一教授が、生態学的学術調査に基づいたアドバイスを行っている。ビオトープの趣旨にそぐわない外来植物が確認された場合は、その除去・時期を検討しアドバンテスト社に提案してきた。アドバンテスト社はこれを基にしてビオトープの管理を行っている(新岡 2002)。
これまでの調査結果から、本ビオトープには多くの外来植物の侵入と在来植物の定着が確認されている。在来種は2001年では21種であったが、年々増加し、2008年には94種が確認され、2010年には在来種54種、外来種22種の計76種(青木 2011)、昨年2012年には在来種67種、外来種27種の計94種が確認されている。これは2008年の確認されている植物種数と並んで最多の数であった(松田 2012)。外来種は、帰化率でみるとここ数年は29%で推移して平衡を保っている。都市によっては確認できなかった種もあるため全生育種を毎年確認できるわけではなく、また猛暑の影響などで確認できる種が少なくなる年はあるが、未確認種、新規確認種を含めて生育している在来植物種数は、近年継続的に動的平衡状態にあるものと考えられている(青木 2011)。
2003年度は主にセイタカアワダチソウ、ハルジオン、ヒメジョオン、ヒメムカシヨモギ、ノボロギク、ヒメモロコシ、コセンダングサ、アメリカセンダングサ、イトバギク、オオアレチノギクなどの外来植物を駆除している(星野 2004)。また、シロツメクサが本ビオトープの中に、大きな土壌シードバンクを形成していることが示唆されており、アメリカフウロとオランダミミナグサは、土壌シードバンク・植生調査の双方で侵入が確認されている(狩谷 2004)。一方、外来種駆除を継続的に行った結果、近年では湿地生絶滅危惧や里山植物の継続的生育が確認されている。すなわち本ビオトープにおいては、当初の設置の目的の一つである「多様な生き物の生育空間の創出」がある程度実現し、地域の生態系の再生という機能を果たし始めているといえる。このため、本ビオトープが絶滅危惧種の保全場所となることが期待されている(松田 2012)。
本ビオトープでは、国指定準絶滅危惧種のフジバカマ、ミゾコウジュの生育が2007年より(依田 2007)継続的に確認されている(松田 2012)。しかしこれら絶滅危惧種の生育・繁殖状況は年変動が大きく(高橋 2009;江方 2010;青木 2011)、草刈り管理の徹底や趣旨の保存、栽培条件の解明などが課題となっている。フジバカマは近隣の谷田川に自生地があり(大森私信)、本ビオトープの個体群はそこからの種子の移入によるものと推察されている(高橋 2009)。すなわち本ビオトープは、その地理的位置によって、周辺に生育する絶滅危惧種の保護・増殖場所という新たな機能を発揮できる可能性があると考えられる(松田 2012)。

チノー・ビオトープ
群馬県藤岡市森、株式会社チノー藤岡事業所敷地内に造成されたビオトープで、2009年9月に造成開始、2010年10月に竣工したものである。正式名称はチノービオトープフォレストである。設計段階から群馬大学社会情報学部環境科学研究室の石川真一教授が、生態学的学術調査に基づいたアドバイスを行っている。本ビオトープの周辺にはJR高崎線、国道17号が走り、敷地内600m北側には烏川が、約1㎞西側には鏑川が流れている。
造成にあたり、本ビオトープには高崎市石原町の「観音山」または「岩野谷丘陵」と呼ばれている丘陵地帯から樹木や土壌の移植を行った。2009年度の先行研究による、観音山からチノー・ビオトープに移植をした観音山中腹3地点(コナラ植林地2地点と、放置林1地点)の植物相調査によると、在来種が40種、外来種が1種の計41種の生育が確認された。これらのほとんどが山野性植物または畑地性雑草であり、外来種は生育するものの、個体数が非常に少なかった。また、文献調査の結果、当地においてはこの20年程度以内の間に、在来種100種、外来種6種の計106種が生育していた可能性があることが明らかになった。以上のことから、当地からコナラ・在来種および土壌をチノー・ビオトープに移植した際、比較的速やかに山野性植物群落が再生できることが期待されている(鈴木 2010)。
2010年度の植物相調査では、在来種53種、外来種22種の計75種の生育が確認され(青木 2011)、2011年度の植物相調査では、在来種87種、外来種62種の計149種が確認された(松田 2012)。その多くが湿地・水田生雑草と畑地・道端雑草であった(青木 2011;松田 2012)。

男井戸川調整池(通称・やたっぽり)
男井戸川は、伊勢崎市の宅地化の進む田園地帯を流れる河川であるが、未改修の用水河川であり、現況断面が狭小なため、小規模な出水でも河川周辺の住宅や道路、小学校などで浸水被害が発生している。このため、河道拡幅と調節池を実施することにより、概ね10年に1回程度発生すると予想される洪水を安全に流下させることとした(群馬県HP 2012)。
川らしさの回復のため、河川が有している自然の復元力を活用して実施可能な範囲で河床部を極力広く確保することに努める。なお、各横断面の河岸勾配については、箇所ごとの特性にあわせて定めることとし、地域住民との協働により周辺の景観や生活環境との調和に配慮した整備を開始した(群馬県HP 2012)。

本研究の目的

本研究では、大型ビオトープの育成管理において、外来植物種を抑制あるいは除去しつつ、在来植物種の増加を促進する方策を検討するために必要な生態学的知見を、環境情報として蓄積することを目標とした。またビオトープが地域の絶滅危惧種の保全場所となれるように、群馬県内に生育する3種の国指定準絶滅危惧種(フジバカマ、ミゾコウジュ、アサザ)および国指定絶滅危惧II類のコギシギシの繁殖・栽培方法を、栽培・培養実験により解明することを試みた。
調査地は、過去の研究を引き継ぎ、株式会社アドバンテスト群馬R&Dセンタ2号館(群馬県邑楽郡明和町)敷地内に2001年4月に竣工した大型ビオトープ、株式会社チノー藤岡事業所(群馬県藤岡市森)敷地内に2010年に竣工した大型ビオトープ、および群馬県伊勢崎市豊城町に2012年3月に竣工したばかりの男井戸川調整池(通称・やたっぽり)とした(図1)。これら調査地において植物相調査を行い、植物種の多様性の現状を解明した。また、物理化学的環境条件の多様性を評価するため、ビオトープ内数地点における気温と地温の季節的な変動、相対光量子密度の空間分布、土壌含水率、および土壌窒素・リン含量の測定を行った。フジバカマについては、谷田川の自生地の土壌窒素・リン含量の測定も行った。
以上の結果を、近隣の里地および榛名山西部の里山における植物相調査の結果と比較して、今後の各ビオトープの育成管理の方法について考察を行った。

なお本研究は、浦野茜詩氏および塚越みのり氏との共同研究であり、本稿はこの共同研究結果を、チノー・ビオトープを中心としてまとめたものである。アドバンテスト・ビオトープおよび男井戸川調整池を中心としたまとめは浦野氏の卒業論文を、近隣の里地および榛名山西部の里山に関する研究結果については塚越氏の卒業論文を参照されたい。


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