はじめに

日本における生物多様性の危機

 日本列島は、自然環境条件が多様なことから豊かな生物相に恵まれ、その中で古来より自然と調和した人間の活動が営まれてきた。しかし近年、生物多様性の喪失とそれに伴う生態系の劣化が加速的に進行している。日本は多様な地形と気候に恵まれた国で、四方を海に囲まれ、6,800余りと言われる多くの島々から構成されている。国土面積は約3,800万haと比較的狭いにも関わらず、海岸から深山幽谷にいたるまで複雑で起伏に富んだ地形が見受けられる。また、全国的に降水量にも恵まれ、四季の変化に富み、さらには亜寒帯から亜熱帯にいたる気候帯が存在している。このように多様な自然環境条件の基に約9万種以上の生物種が確認されており、そのなかには日本だけでしか確認されていない固有種も多い。維管束植物としては日本列島には約7,000種の野生植物が生育しているが、環境省のレッドリストではこのうち24%、約1,700種が絶滅のおそれがある種として指定されている(環境白書2010)。

 こうした問題を引き起こしている最大の原因は、人間活動によって引き起こされた大規模な生息地の破壊であるとされている。日本において大規模な自然開発が始まったのは1950年代で、第二次世界大戦後、経済を復興させるために政府が進めた貿易の振興と国土の効率的利用に起因する。1950年頃から観光開発、工場地帯建設、多目的利用のダム建設が多数行われ始めた。また1962年の全国総合開発計画や1972年の日本列島改造論に基づいて各地で重化学工業などのコンビナートが建設され、自然破壊はますます広がることになった。1950年代頃から行われた大規模工事の一般的な特徴は、コンクリートや鉄を用いて凹凸のある地形を水平にし曲線構造を直線化したことであり、これによって生物の生息環境の多様性も著しく減少したとされる(松原2006;杉山1995)。

 2002年に策定された新・生物多様性国家戦略では、日本の生物多様性(後述)の危機について、何が生物多様性を脅かしているのかを明確にするために3つの危機が示された。第一の危機は「開発や攪乱などによる種の絶滅や減少、生息・生育地の破壊、減少」である。これは人間活動の強い影響により、種が絶滅の危機にさらされることで、生物多様性が失われるということである。第二の危機は「人間の生活スタイルの変化に伴う里地・里山生態系の質の変化」である。里山地域では、長い間自然環境と人為的な干渉の2つが、バランスを保ちながら原生でない二次的な自然環境を成り立たせていた。第二の危機は、人間の生活スタイルと経済・エネルギー構造の変化により、これまで資源として使われていた生物や土地の利用方法が放棄されるなどして人為的干渉が減る、いわゆるアンダーユース(利用不足)の状態が拡大することで、そのバランスが崩れ、二次的な自然環境が維持されなくなったことである(松田2009;江崎・田中1998)。第三の危機は「外来種による生態系の混乱」である。これは外来種など人為的に持ち込まれたものによって、地域固有の生態系が攪乱されることである。これら3つの危機は、今まで様々な施策が講じられてきたものの依然進行している。さらに近年では、これらの危機に加え、地球温暖化の進行が種の絶滅や脆弱な生態系の崩壊などを引き起こすと予測されている(生物多様性国家戦略2010)。

生物多様性とは

 生物多様性とは生物種が多様であることであり、大別して「生態系の多様性」「種の多様性」「遺伝子の多様性」の3つの階層で構成されている。

 「生態系の多様性」は、地球上に自然林や里山林・人工林などの森林、湿原、河川、サンゴ礁などの様々な生育環境が存在することである。すべての生物はこれらの多様な生育環境に適応することで多様に分化してきたことから、生態系の多様性は「種の多様性」の源であるといえる。

 「種の多様性」は、生息している生物の種数である。地球上において科学的に解明されている生物種は約174万種(IUCN HP2011)、未知のものも含めると3000万種いるとも推定されている。各地域の生態系は、すべてにおいて多数の生物種で構成されていて、種数が少ないと崩壊する危険性が高い。

 「遺伝子の多様性」は、同じ種であっても様々な遺伝的な特性を持つ個体が多数存在することである。多様な環境に対応するためには、同じ種であっても乾燥に強い個体、暑さに強い個体、病気に強い個体など、様々な遺伝的な特性をもつ個体が存在したり、また個体間で、生息する地域で体の形や行動などの特徴に少しずつ違いのあることで、種の存続可能性が高まる(COP10HP 2009)。

 1970年代、多くの野生生物が過去にないスピードで絶滅に向かい、生息環境の悪化や生態系の破壊に対する懸念が大きくなった。このため1975年に絶滅の恐れのある野生動植物の国際取引を制限する「ワシントン条約」や、水鳥の生息に重要な湿地の保全に向けた「ラムサール条約」が発効された。しかし、特定の場所や生物を守るだけでは不十分であり、生物の多様性を包括的に保全し、生物資源を持続可能な形で利用するための国際的な枠組みが必要となった(枝廣・小田2009)。

 1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)で、「気候変動に関する国際連合枠組み条約」(気候枠組条約)とともに「生物の多様性に関する条約」(生物多様性条約)が採択された。この条約は、熱帯雨林の急激な減少、種の絶滅の進行への危機感、さらには人類存続に欠かせない生物資源の消失の危機感などが動機となり、生物全般の保全に関する包括的な枠組みを設ける目的で策定された。

 この条約加盟国は、「生物多様性の保全」と「その持続可能な利用」、そして利益から生じる「利益の公平な分配」を実現するために、具体的な数値目標を定めて実効的な施策を実施しなければならない(生物多様性国家戦略2010)。現在、本条約には193の国と地域が、気候変動枠組条約には192の国と地域が加盟している。日本は1993年に本条約を締結し、条約の6条に基づいて生物多様性国家戦略を策定し、国内の生物多様性に関する取り組みを推進してきた(環境白書2010)。

 2006年に開催された生物多様性条約第8回締約国会議(COP8)では「企業の参画が必要」との決議がされた。日本もこれを受けて、2007年11月に策定された第3次生物多様性国家戦略において、生物多様性の取り組みを推進する上では企業の参画が不可欠であると明記された。また2008年6月施行の「生物多様性基本法」は、生物多様性国家戦略に法的な根拠を持たせるとともに、国・地方公共団体・企業・国民に対して生物多様性の取り組みについての責務を規定した内容となった。すなわち、この基本法によって企業など民間で行われる取り組みを推進させるための法整備が行われたといえる(藤野2010)。

 企業の基本的な取り組みの方向性として2009年に公表された「生物多様性民間参画ガイドライン」では、事業者は、消費者も含めた様々な主体と連携して生物多様性の保全と持続可能な利用に積極的に取り組み、生物多様性に配慮した製品やサービスを提供することを通じて消費者のライフスタイルを転換するなど、自然共生社会、持続可能な社会の実現に貢献していくことが推奨されている(環境省2009)。

生物多様性と生態系サービス

 生物多様性によって駆動している生態系の諸機能を、近年では「生態系サービス」と称することもある。古くから「自然の恵み」と呼ばれて人類が享受し続けてきたものであるが、生態系の有する経済的価値の評価と、環境保全の経済的意義を明確にするために国連の主導で定義されたものである。

 2001年から2005年にかけて、国連のアナン事務総長の呼びかけによりミレニアム生態系評価が実施された。ミレニアム生態系評価の目的は、生態系の変化が人間の福利に及ぼす影響を評価することであり、生態系の保全と持続的な利用を進め、人間の福利への生態系の貢献をより高めるためにとるべき行動は何かを科学的に示すことであった。ここで、生態系サービスは、私たち人間が生態系から得る便益として定義され、大別して食料・水・木材・繊維のような供給サービス、気候・洪水・疾病・廃棄物・水質に影響する調整サービス、レクリエーションや審美的・精神的な恩恵を与える文化的サービス、そして栄養塩循環・土壌形成・光合成のような基盤サービスの4種類が評価された(MEA2007)。

 ミレニアム生態系評価の結果、過去50年間にわたり人類は歴史上かつてない速さで大規模に生態系を改変し、地球上の生命の多様性に対して莫大かつ概して不可逆的な喪失をもたらしたことが明らかになった(MEA2007)。またミレニアム生態系評価では、2050年の将来像を、生態系管理のアプローチやグローバル化の進行の違いにより複数示しているが、予防的な取り組みや順応的管理の実施、社会的経済的格差の是正などを行っていくことで、地球全体の生態系の劣化を回復させることは可能としている(環境省2009)。

 生物多様性は、システムの安定化を含む生態系の様々な機能を担い、それを通じてあらゆる「生態系サービス」の源泉となっている(鷲谷2007)。そのため失われた生態系を修復して持続可能性を確保することは21世紀の人類の最優先課題であり、「生物多様性の保存と持続的な利用」「健全な生態系の維持」を目標として生態系修復の取り組みがすでに世界各地で開始されている(鷲谷2003)。

民間企業による生物多様性保全の必然性

 以上のような経緯から、企業は生物多様性の保全に取り組むことが世界的に求められている。その最大の理由は、多くの企業が生物多様性と生態系が提供する自然からの恵みに依存していること、そして必ず何らかの悪影響を生物多様性と生態系に与えていることである(足立2010)。

 多くの産業が生態系サービスに依存している。林業・農業・漁業・エコツーリズム産業の将来はすべて生態系サービスと直結している。一方、保険・銀行・健康産業など、他の分野もまた、直接的ではないかもしれないが、生態系サービスの改変の影響を強く受けている。たとえば、歴史的にほとんどの薬は天然物から作られてきた。20世紀の終わり近くでさえも50%の処方薬はもともと植物から発見されているが、過剰収穫や生息地の消失により利用可能な薬草は概して減少しているとされる。また多くの工業製品や商品も、水の供給といった生態系サービスに依存している(MEA2007)。

 生態系サービスに依存する一方で、企業は生物多様性に悪影響を与え、損失を与えていることがある。土地の開発、外来種の移入、環境ホルモンなどによる汚染などである。世界の企業数は膨大であり、それぞれの企業活動は場合によっては一国家を凌駕する規模となるため、これらの生物多様性への悪影響は膨大である。また企業を律するものはまず第一に企業自体であらねばならないから、生物多様性の保全を推進するには、企業自体による取り組みが必須であるといえる。企業が生物多様性の保全に取り組むことは、本業が与えている負荷を最小化することによって、自社の事業だけでなく、社会全体を持続可能にするために必要なことであり、これは企業の重大な社会的な責任といえる。このため生物多様性に配慮した責任ある事業の進め方が、世界的に問われている(足立2010)。

企業の生物多様性保全活動の実例

 企業は活動の様々な場面において、生物多様性と関わっている。このため企業が生物多様性に取り組むにあたっては、計画等の策定の前に事業者が自らの活動と生物多様性との関わりを把握することが必須とされている。関わりを把握することで、事業者がどのような生物多様性の恵みに依存し、どのような影響を与えているかを理解し、取り組みの必要性の認識を高め、優先すべき取り組みを検討することができるようになる。その際には、事業者の特性・規模に応じた取り組みが求められている(環境省2009)。以下に民間企業によって実際に行われている、生物多様性への取り組みの先進的な事例を3つ挙げる。

積水ハウス

 積水ハウスでは、「5本の樹」計画と呼ばれる、在来種を中心とした造園緑化事業が行われている。豊かな住環境づくりの提案のひとつとして、自然環境と多様な生物のネットワークを育んできた日本の「里山」をお手本として着想した植栽計画である。

 もともと積水ハウスグループの造園緑化・エクステリア事業は、日本でも最大規模の造園業者である。一般的に、近世以降の庭造りは景観美の実現に主眼を置いて管理され、生物多様性の視点は必ずしも盛り込まれていなかった。

 「5本の樹」計画は、樹木と樹木に集う様々な生物との関連性にも配慮しながら、地域ごとの在来種を選んで庭に植えることで、失われつつある地域の生態系や生物多様性の維持・保全をめざすものである。地域の気候風土にあった自生種・在来種を植えることで、計画の手本でもある「里山」の環境を、小規模ながら庭の中に再現することができる。そして、そのような住宅の庭やまちなみが飛び石のようにつながり、それがさらに郊外の森や奥山などと結びつき、自然のネットワークをつくって生態系と生物多様性を再生・保全していくものとなる。2008年、2009年にいきもの調査を行った結果、植栽樹の生長に伴い、生きものにとっての採食地や周辺地域から移動してくる空間として、分譲地が利用されはじめたことが明らかになったとされる(佐々木正顕2010)。

サラヤ

 創業時から天然素材を用いた洗剤・衛生用品や、健康食品の開発・製造・販売を主な事業として展開してきたサラヤでは、原料の原産地を支援する活動を行っている。2007年から家庭用の「ヤシノミ洗剤」シリーズ、2008年からは「ヤシノミ洗剤」の全シリーズを対象として、売り上げの1%(メーカー出荷額)を「ボルネオ保全トラスト(BCT=Borneo Conservation Trust)」に送金し、支援するキャンペーンを実施している。

 BCTとは、現地の生物多様性保全のために、マレーシア野生生物局や生物学者と共同でサラヤが設立したもので、サバ州政府から認められたトラストである。BCTでは熱帯雨林だった土地を買い戻し、野生生物が行き来できる「緑の回廊」を回復させる取り組みなどを行っている。生息環境が急速に失われているなか、保護区は細かく分断され断片化されている。行動範囲の広い大型動物は、このように断片化された生息地で生きていくことができず、保護区と保護区を結ぶ「回廊」が必要である。2008年には日本国内にも同団体と協力する団体が設立され、個人、動物園、企業に協力を訴え、全国に支援の輪が広がってきている(枝廣・小田2009)。

アレフ

 ハンバーグ専門レストラン「びっくりドンキー」を全国展開するフランチャイズチェーン本部のアレフでは、食産業として、一次産業の現場での生物多様性保全の実現に取り組んでいる。持続可能で生物多様性にも配慮した稲作をめざす「生きもの豊かな田んぼ」活動では、1997年から契約栽培への取り組みを開始し、契約栽培のひとつとして「省農薬米」(除草剤1回のみ使用を許可し、それ以外の農薬は使用を禁止して生産した米)を導入した。省農薬米を栽培する田んぼでは農薬を使った頃と比べ、目に見えて田んぼに集まる生きものの数が増えたとされる。カエル、トンボ、クモ、田んぼの中ではドジョウが増え、それを食べにサギなどの鳥もやってくるようになった。農薬の使用を減らした田んぼは、それだけでも多様な生き物が住めるビオトープのような役割を果たしているようだと考えられている。さらに、2005年からは「ふゆみず田んぼプロジェクト」として、冬にも田んぼに水を張り、ロシアから飛来するマガンなどの渡り鳥に生息地やえさ場を提供しようという試みをはじめた。プロジェクトを行った田んぼで稲の生育と生きものの調査を継続して行った結果、秋から水を張った田んぼは、冬の雪の下でも凍らず、イトミミズなどの小さな生物が冬の間から有機物を分解し土をつくっていることがわかり、また生きものの調査では絶滅危惧種の魚の生育が確認されたとされる(佐々木隆浩2010)。

自然再生事業とは

 地域の生物多様性の保全と健全な生態系の回復を目的に実施される事業を、自然再生事業という。人為的改変により損なわれる環境と同等のものをその近くに創出する代償行為としてではなく、過去に失われた地域の自然・生物種・生態系を、積極的に人間が手を加えることによって再生することをめざすものである(近自然研究会2004)。上記した積水ハウスの「5本の樹」計画も、そのひとつといえる。

 現在進められている自然再生事業は、過去に地域に成立していたと想定される生態系は、当時の地域が置かれていた自然環境条件によって成立していたという生態学的知見に基づいている。そして、生態系が失われた原因は、この自然環境条件が損なわれているためだということを前提としている。しかし一度失われた生態系自体を復元することは不可能である。なぜなら現在の生態学的知見をもってしても、過去に各地に存在したその地域固有の生態系に関するデータは不足していること、および生態系における生物相互の関係は複雑であるために、人為的に操作できるものではないからである。

 そこでまずは、失われた物理化学的な自然環境条件を復元することによって、できるだけ多くの在来生物種の生息を可能にし、少なくとも失われた生態系になるべく近いものを復元しようと試みている、とまとめることができる。

 1980年代後半以降、日本においても自然保護運動のひとつとして自然環境復元活動が盛んになった。当初は、ホタルの里の復元運動など、小規模なものであったが、その後このような試みは年々増加し、導入の対象生物種もトンボ、カエル、チョウなどと多様化していくとともに、活動に参加していく市民層も次第に厚さを増していった。これらの動向の背景には、一般市民の環境、とりわけ身近な環境に対する危機意識の深まりがあったと考えられる(杉山1995)。

 これまでは、こうしたシンボル的な生物を導入するための生育環境復元活動が多かったのに対して、近年では、地域の生態系そのものの復元を目的とした自然環境再生事業が盛んに行われるようになっており(杉山1995)、そのひとつとしてビオトープの構築がある。

 ビオトープ(biotope)はドイツ語の生き物を意味する“Bio”と場所を意味する“Tope”の合成語である(上赤 2001)。ビオトープという言葉も最近では普通に用いられるようになったが、本来は学術用語で「生物相で特徴づけられる野生生物の生活環境」ということである(杉山 1999)。つまり「特定の生物群集が存在できるような特定の環境条件を備えた均質的な、ある限られた空間」である。生息地(habitat)と類似した概念であるが、生息地が種あるいは個体群を主体として、その長期的な生育・生息に必要な環境条件を備えた空間を指すのに対し、ビオトープは生物群集自体を主体とする概念である(西廣 2003)。しかし現在では、ほぼ同じ意味で使用されていることが、ビオトープ事業の実際(後述)をみるとわかる。

自然再生事業としてのビオトープ事業の歴史

 「ビオトープ」は本来生態学用語であるが、近年では行政や市民活動などの中で一般用語として用いられることが多くなっている。その契機となったのは、ドイツのバイエルン州におけるビオトープ調査である。ここでは地域における保護すべき自然を認識する単位がビオトープとされている。日本では、環境修復やミチゲーション(mitigation、開発行為による自然環境への悪影響を軽減するために、開発の対象となる生態系の持つ機能を他の場所で代償する行為)で創造された空間や、都市域に創造された生物生息空間を指す用語として1990年代に入ってから盛んに使われるようになった(西廣2003)。

 日本における最初のビオトープは、静岡大学の杉山恵一教授らによって1992年に同大学構内に造成したビオトープとされている。このビオトープは「多様な生物の生活空間づくり」をめざしたもので、約500mの荒れ地に小川、池、丘、草地など環境要素を構築し、様々な生物を誘致している。これが今日のビオトープづくりの原点になっている(秋山2000)。現在では、とくに学校の校庭や公園に止水域などを造成し、野生生物が生育できるようにする活動がビオトープ運動として高まっている。これらの各地域に造成されたビオトープは、失われた身近な自然の復元、環境教育の場の提供、各地域における絶滅危惧種の系統維持など、生物多様性の保全において重要な役割をになうものと期待されている(西廣2003)。すなわち、ビオトープの本来の目的とは、地域の生態系や野生動植物を保全することにあるといえる。

 現在「ビオトープ」を名乗るものはかなりの数があるが、中には本来の意味から離れた形で設置されているものも多い。遠い地域からの植物の移植や、利用しやすい外来種を用いることによって逆に生態系が破壊されてしまうこともある(上赤2001)。また、設置=完成、あるいは数年以内の短期間に見られる形態を持って完成、とみなしていることも少なくない。ビオトープを本来の意味にあったものにするためには、中・長期的な「育成管理」が必要不可欠である(近自然研究会2004)。ビオトープはその土木工事上の竣工を持って完成とするべきではなく、竣工が実質的なスタートとなる。ビオトープには「造成」と「管理」の間の明確な区別がなく、つくるときにその後の管理を考え、また管理しながら次なる事象をイメージしていくといったつながりが大切である。したがって、従来の公園などに使われる「維持管理」ではなく「育成管理」という言葉のほうがふさわしく(青木2011)、子育てと同様に「育てる」、「見守る」という姿勢で構築していくことが適切である(秋山2000)。

ビオトープの育成管理

 ビオトープの育成管理の目的は、その地域のできるだけ多くの生物種の生息が可能な環境を復元することにある(杉山 1999)。そのために育成管理方法として必要不可欠な事項の一つに、国外外来植物(本稿では以後「外来植物」と呼ぶ)の除去がある(杉山 1999)。

 外来植物は一般に繁殖能力が高く、周辺の在来植物生育を阻み、衰退させてしまう恐れがある。さらには、生物多様性の低下や生態系の破壊を引き起こす危険性が高いとされている(村上 2003)。その対策として、2004年6月に日本において「特定外来生物による生態系等に関わる被害の防止に関わる法律」が公布され、生態系等に関わる被害を及ぼす、あるいは及ぼす可能性がある外来生物を「特定外来生物」と指定し防除などの措置が講ずることを定めている(近自然研究会 2004)。しかし、すでに生態系に入り込んだ外来生物は法律で規制したからといっていなくなるわけではない。ビオトープ創出においても外来種を放置してしまえば、外来種の植物園になりかねないのである(杉山 1999)。したがって、ビオトープの植物相をはじめとする生物多様性を高め、本来の目的に沿った構築を行うためには、勢力過大な外来植物の除去を継続的に進めていく必要がある。また在来植物に関しては、増殖を促進していくことが必要である。しかし人間が無理に手を加えることでかえって生態系を破壊してしまう恐れもあるため、ビオトープ周辺から風や鳥によって運ばれてきて在来植物がビオトープに定着、増加していくよう手を添える程度が望ましい(青木2011)。

 また、ビオトープ内に多様な物理化学的環境を創出することも必須である。生物は生態系内で種ごとにそれぞれ固有な「地位」をもっていて、これらが重ならないように進化している。このことが一地域内でも多くの生物種の共存を可能にし、生物多様性を高めている(大串2003)。この「地位」のことを“ニッチェ”という。したがってビオトープを育成管理する上では、多様なニッチェを維持しうる物理化学的環境の創出と維持が重要となる(須藤2000)。それぞれの種が占めるニッチェは形状も環境条件も様々であるので、その維持のためには最低限、多様な地形、土壌環境、光環境の実現が必須である。

 ビオトープ造成時には、物理的構造の多様性、すなわち起伏のある地形、水系の造成が行われることが多い。また、小動物のハビタットとなる構造として、ビオトープ装置(写真12)と称される石積みや竹積み、落葉積みが設置される(杉山1995)。ビオトープに生育している植物の落葉落枝や伐木を再利用することでも、ビオトープ装置をつくることが可能である。落葉落枝や、刈屑、堀りあげた植物を集めて堆肥化すれば、堆肥場をつくることができる。堆肥場はカブトムシの幼虫、ミミズ、ゲジゲジ、オカンダンゴムシなど分解者の生息環境となる。また、伐木の枝や幹を切断し、野外に集積すればエコスタック(小動物の隠れ場所や生息環境となる石積や丸太積み、配剤、刈屑の集積)ができる。このエコスタックは、両生・爬虫類の隠れ家や越冬場所になるほか、腐熟・腐朽の程度に応じた種構成の異なるキクイムシやクワガタムシ類幼虫などの穿孔性生物、ムカデやナメクジなど陸生小動物などの生息環境を成形する(養父2006)。

 さらに、動物種も含めた生物多様性を維持向上させるためには、竣工後においてまずは在来植物の種多様性を向上させることが必要であるし、また植栽樹木や移入してきた在来植物の生長に伴う、物理化学的環境条件の多様化=ニッチェの多様化を促進・確認しなくてはならない(杉山1995)。このため、植物相や物理化学的環境条件が多様性を持っているのかを継続的に確認する必要がある。調査の対象となる物理化学的環境条件は、光や温度や土壌含水量、土壌窒素・リン含量である。

ビオトープによる絶滅危惧種の保全

 適切な育成管理が行われ、地域の生態系の再生が進展しているビオトープは、各地域における絶滅危惧種の系統維持など、生物多様性の保全において重要な役割をになうものと期待されている(西廣2003)。

 生物種の絶滅を防ぐことは、生物多様性の保全を目的とする保全生態学の最も中心的な課題である。なぜなら、生物種の絶滅を加速するような環境の変化は、生態系の健全性を損なう危険性が高いからである(鷲谷2003)。

 近年では、特に淡水域に生息する種が多く絶滅危惧種として指定されている。たとえば、世界自然保護基金(WWF)が1970年から2000年の間における、森林・海洋・淡水の各生態系に生育する主な動植物の個体数の減少傾向を評価したところ、淡水産種は54%と森林種(15%)や海洋種(35%)よりも大きな減少率を示した(高村2008)。日本において、これらの生物の絶滅の危機をもたらしている最大の原因は、水辺や樹林地の開発による生息場所そのものの喪失、水辺の環境の人為的改変、残された生育場所の分断・孤立化、外来種による在来種の圧迫に加えて、適度な人為的干渉のもとに維持されてきた半自然あるいは二次自然における伝統的な植生管理の放棄などである(杉山1995)。里山など人の生活空間とその近隣において、伝統的な農林業や暮らしと結びついた植生管理がしだいに行われなくなっている現在、新たな形で人の力を借りた二次的自然としての植生管理が絶滅危惧種の保全と生物多様性の保全上不可欠であり、ビオトープの育成管理は、この役目を果たすことができると考えられる。

 また、水辺の生物多様性の衰退はあまりに急であり、治水や利水の計画の見直しや社会的な合意形成の成立などを待ってから回復を試みたのでは、手遅れになる恐れがある。移動分散能力のある動物は、再び環境条件が整ったとき、他の地域に残っていたものが再定着することも考えられる。しかし、固着性の生物である植物の場合には、地域的な絶滅からの回復を期待することは難しい。そこで植物に関しては地域的な絶滅を回避し、また再び環境条件を整備し終えた時の植物材料を確保するために、ある程度の数の個体を安全な場所で維持しておくことが必要である。それには、遺伝的な多様性を維持した個体群を適切な方法で存続させておかなくてはならない(鷲谷2002)。以上のことからビオトープは、絶滅危惧植物を保全することに適した場所であるといえる。ビオトープが絶滅危惧種の保護・増殖場所となる可能性を高めるためにも、種子の発芽特性や個体の生育条件などについて研究が必要であるといえる。

大型ビオトープの実例

アドバンテスト・ビオトープ

 群馬県邑楽群明和町、株式会社アドバンテスト群馬R&Dセンタ2号館敷地内(図1)に2001年4月に竣工したもので、面積が17,000mと民間企業所有としては国内最大級のビオトープである。本ビオトープの育成管理に対しては、竣工時から群馬大学社会情報学部環境化学研究室の石川真一教授が、生態学的学術調査に基づいたアドバイスを行っている。ビオトープの趣旨にそぐわない外来植物が確認された場合は、その除去・時期を検討しアドバンテスト社に提案してきた。アドバンテスト社はこれを基にしてビオトープの管理を行っている。

 これまでの調査結果から、本ビオトープには多くの外来植物の侵入と在来植物の定着が確認されている。在来種は2001年では25種であったが、年々増加し、2008年に最多の94種が確認され、昨年2010年には在来種54種、外来種22種の計76種が確認されている。外来種は、帰化率でみるとここ数年は、29%で推移して平衡を保っている。年によっては確認できなかった種もあるため全生育種を毎年確認できるわけではなく、また猛暑の影響などで確認できる種が少なくなる年はあるが、未確認種、新規確認種を含めて生育している在来植物種数は、近年継続的に動的平衡状態にあるものと考えられている(青木2011)。

 2003年度は主にセイタカアワダチソウ、ハルジオン、ヒメジョオン、ヒメムカシヨモギ、ノボロギク、ヒメモロコシ、コセンダングサ、アメリカセンダングサ、イトバギク、オオアレチノギクなどの外来植物を駆除している(星野2004)。また、シロツメクサが本ビオトープの中に、大きな土壌シードバンクを形成していることが示唆されており、アメリカフウロとオランダミミナグサは、土壌シードバンク・植生調査の双方で侵入が確認されている(狩谷2004)。一方、外来種駆除を継続的に行った結果、近年では湿地生絶滅危惧や里山植物の継続的生育が確認されている。すなわち本ビオトープにおいては、当初の設置目的の一つである「多様な生き物の生育空間の創出」がある程度実現し、地域の生態系の再生という機能を果たし始めているといえる。このため、本ビオトープが絶滅危惧種の保全場所となることが期待される。

 本ビオトープでは、国指定準絶滅危惧種のフジバカマ、ミゾコウジュの生育が2007年より(依田2007)継続的に確認されている。しかしこれら絶滅危惧種の生育・繁殖状況は年変動が大きく(高橋2009;江方2010;青木2011)、草刈り管理の徹底や種子の保存、栽培条件の解明などが課題となっている。フジバカマは近隣の谷田川に自生地があり(大森私信)、本ビオトープの個体群はそこからの種子の移入によるものと推察されている(高橋2009)。すなわち本ビオトープは、その地理的位置によって、周辺に生育する絶滅危惧種の保護・増殖場所という新たな機能を発揮できる可能性があると考えられる。

チノービオトープ

 群馬県藤岡市森、株式会社チノー藤岡事業所敷地内(図1)に造成されたビオトープで、2009年9月に造成開始、2010年10月に竣工したものである。正式名称はチノービオトープフォレストである。設計段階から群馬大学社会情報学部環境科学研究室の石川真一教授が、生態学的学術調査に基づいたアドバイスを行っている(鈴木2010)。

 造成にあたり、本ビオトープには高崎市石原町の「観音山」または「岩野谷丘陵」と呼ばれている丘陵地帯から樹木や土壌の移植を行った。チノービオトープに移植した観音山中腹の3地点(コナラ植林地2地点と、放置林1地点)の植物相調査によると、在来種が40種、外来種が1種の計41種の生育が確認された。また文献調査によって、20年以上前の観音山の植物相が明らかにされた。これらほとんどが、山野性植物または畑地性雑草であり外来種は生育するものの、個体数が非常に少なかった(鈴木2010)。2010年度の植物相調査では、在来種53種、外来種22種の計75種の生育が確認され、その多くが湿地・水田生雑草と畑地・道端雑草であった(青木2011)。

研究目的

 本研究では、大型ビオトープの育成管理において、外来植物種を抑制あるいは除去しつつ、在来植物種の増加を促進する方策を検討するために必要な生態学的知見を、環境情報として蓄積することを目標とした。またビオトープが地域の絶滅危惧種の保全場所となれるように、群馬県内に生育する2種の国指定準絶滅危惧種(フジバカマとミゾコウジュ)の繁殖・栽培方法の検討を行った。

 調査地は、過去の研究を引き継ぎ、株式会社アドバンテスト群馬R&Dセンタ2号館(群馬県邑楽郡明和町)敷地内に2001年4月に竣工した大型ビオトープ、および株式会社チノー藤岡事業所(群馬県藤岡市森)敷地内に2010年に竣工した大型ビオトープとした。これら調査地において植物相調査を行い、植物種の多様性の現状を解明した。また、物理化学的環境条件の多様性を評価するため、ビオトープ内数地点における気温と地温の季節的な変動、林内における相対光量子密度の空間分布、土壌含水率、および土壌窒素・リン含量の測定を行った。

 また、アドバンテスト・ビオトープでは、継続的に生育が確認されている国指定準絶滅危惧種のミゾコウジュ、フジバカマの保護・増殖場所という新たな機能を発揮できる可能性を高めるため、両種の発芽・栽培条件の解明を実験的に行った。フジバカマについては、谷田川、矢場川の自生地とビオトープ内移植地の土壌窒素・リン含量の比較も行った。

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