概 要

 

 日本列島は、本来自然の条件から豊かな生物相に恵まれ、古来より自然と調和する人間の活動が営まれてきた。しかし近年、生物多様性の喪失とそれに伴う生態系の変化が加速的に進行している。生物多様性は、システムの安定化を含む生態系のさまざまな機能を担い、それを通じてあらゆる「生態系サービス」の源泉となっている。そのため失われた生態系を修復して持続可能性を確保することは21世紀の人類の最優先課題であり、「生物多様性の保存と持続的な利用」「健全な生態系の維持」を目標として生態系修復の取り組みが開始されている。

 企業が取り組む生物多様性の保全活動として近年、地域の生態系や野生動植物の保全を目的とした自然再生事業のひとつであるビオトープの造成例が増えている。ビオトープづくりは、積極的・継続的な育成管理によって行われるもので、生物多様性の保全に新たな方向性をもたらすことが期待されている。

 そこで本研究では、ビオトープの育成管理において、外来植物種を抑制あるいは除去しつつ、在来植物種の増加を促進する方針を検討するために必要な生態学的知見を、環境情報として蓄積することを目的に、10年前に竣工したアドバンテスト・ビオトープ、昨年竣工したチノービオトープで現地調査を行った。また、地域の生態系の再生という機能を果たし始めているアドバンテスト・ビオトープについては、地域の絶滅危惧種の保護・増殖場所となる可能性を高めるために、群馬県内に生育する2種の国指定準絶滅危惧種(フジバカマとミゾコウジュ)の繁殖・栽培方法の検討を行った。

 アドバンテスト・ビオトープでの植物相調査により、在来種67種、外来種27種の計94種の生育と開花が確認された。2011年の調査で生育が初めて確認された種はなく、フジバカマ、ミゾコウジュ、ミコシガヤといった湿地生絶滅危惧種や、里山植物も多数継続して生育が確認された。これは外来種駆除を継続的に行った育成管理の成果といえる。

 発芽の培養温度(10/6℃〜30/15℃の5段階)依存性解析を行ったところ、本ビオトープに生育する絶滅危惧種のうちミゾコウジュの最終発芽率は、設定温度範囲内では30/15℃で最大となり、温度が低い区ほど低くなった。このためミゾコウジュの種子は翌年の夏までに大部分が発芽し、土壌シードバンクはほとんど形成しないものと推察される。フジバカマの種子は谷田川産のものとアドバンテスト・ビオトープ産のものを用いて実験を行ったが、両方とも発芽は温度依存性があまりないという結果となった。谷田川で採取した種子の最終発芽率は50%程度で、半数は未発芽であったことから、本種は土壌シードバンクを形成することで個体群を維持していると推察された。一方、アドバンテスト・ビオトープで採取した種子の最終発芽率は10%程度であったことから、本ビオトープ内に生育するフジバカマの種子は未成熟または不稔のものが多いと推察される。その原因は近親交雑あるいは花粉不足であると考えられる。

 フジバカマの自生地である谷田川、矢場川の土壌と本ビオトープのフジバカマ植栽地の土壌窒素・リン含量を分析した結果、3地点間で大きな差異は見られなかった。このことから、アドバンテスト・ビオトープ内の植栽地の土壌はフジバカマの生育に適していると考えられる。また、7月から10月にかけて生長解析を行った結果、フジバカマは主に夏期に生長していることが明らかとなった。今後は、フジバカマの主な生長期と考えられる7月以前に、1〜2回草刈りを行うことによって、良好な生長と増殖が見込まれる環境を継続的に確保する必要がある。

 本ビオトープ内の気温・地温調査から植物の環境緩和作用により、一日の温度差が、草丈の低い草地と草丈の高い草地に比べて林床が小さくなる傾向が示された。また林内の相対光量子密度は、樹木の生長に伴って2003年、2004年の調査と比較して低下していることも明らかになった。これらのことは、林内において外来植物が侵入しにくい環境がしだいに形成されていることを示唆するものである。

 チノービオトープでは植物相調査によって、在来種87種、外来種62種の計149種の生育が確認された。これらは主として湿地・水田雑草と畑地・道ばた雑草であった。出現植物の総種類に占める外来種の割合である帰化率は約42%であった。この値は、昨年の約29%よりも高く、アドバンテスト・ビオトープの竣工直後より高かったが、外来種の多くは園芸種であり、個体数自体は少なかった。外来種の少ない観音山の土壌を移植したことが原因であると考えられる。こうした良好な状態を維持するためにも、外来種の刈り取り・引き抜き駆除を行うこと、管理のための継続的モニタリングが今後も必要であると考えられる。

 本ビオトープ内の気温・地温調査から、コナラによって夏期の地温の高低差が小さくなることが示唆され、今後樹木の生長に伴って物理化学的環境が多様になることが期待される。今後は計測地点を増やして、継続した調査を行う必要がある。

 本研究により、適切に育成管理されている大型ビオトープは、絶滅危惧種の保護や生物多様性保全という機能を発揮できる可能性が高いことが明らかになった。これを実現するためには、地域特有の自然や立地環境の復元を目指した育成管理が必要不可欠である。チノービオトープにおいて外来種の個体数が少ないことから、ビオトープを造成するときには、移植する土壌にもともと外来種の少ない土壌を選ぶことが、その後の育成管理を手助けするものと考えられる。

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