はじめに

 

生物多様性の危機と絶滅危惧種

 地球上には、熱帯、温帯、極地、沿岸・海洋域や山岳地帯など、多様な生態系が存在し、多種の生物が生存している。既知の総生物種数は175万種で、このうち哺乳類は約6,000種、鳥類は約1万種、昆虫は約100万種、維管束植物は28万種となっており、未確認の生物も含めた地球上の総種数は500万〜3,000万種と推定されている(IUCN 2010)。日本は島国であり、かつ地形が複雑に発達し、降雨量もかなり豊富なことから、5,500種を超える陸上植物が生育しており、世界でも有数の植物が豊富な地域として知られる。そのうち約3分の1の種が日本固有の植物である(植田 1993)。

 第二次世界大戦後、経済を復興させるために、政府は貿易の振興と国土の効率的利用を進めた。まず1950年の国土総合開発法によって、電源開発や多目的利用のダム建設を行ったが、これが自然破壊の始まりであった。1962年の全国総合開発計画や1972年の日本列島改造論によって各地で重化学工業などのコンビナートが建設された。その結果高度成長は達成したが、自然破壊はますます広がり、公害も各地で発生した。経済発展や人口増加とともに都市域が拡大することは、世界各国に見られる共通の現象である。日本でも、1960年代に全国の都市で人口の集中が始まり、大気汚染、河川や内湾の水質汚濁、宅地開発などによって都市の自然が減少、さらに都市域が拡大することで都市周辺の里地、農耕地、樹林地、海岸などの緑被地が少しずつ減少し郊外の自然も破壊されていった(松原 2006)。これらによって日本の固有の動植物の生息場所が失われ、急速に種の絶滅の危機が増していったと考えられる。

 生物種が多様であることを「生物多様性」と呼ぶ。生物多様性は、「生態系の多様性」、「種の多様性」、「遺伝子の多様性」の3つの定義で成り立っている。

 「生態系の多様性」は、地球上には自然林、里山林や人工林などの森林、湿原、河川、珊瑚礁など様々な環境があること。すべての生き物はこれら多様な環境に適応することで分化した。よって生態系の多様性は「種の多様性」の源であると言える。

 「種の多様性」は、現在科学的に解明されている生物種は約175万種で、未知のものを含めると3,000万種いるといわれている。この種の多さを指す。

 「遺伝子の多様性」は、様々な環境で生存するためには、乾燥に強い個体、暑さに強い個体、病気に強い個体など、様々な個性をもつ個体が存在する必要がある。そのため、同じ種であっても個体間で、また生息する地域によって体の形や行動などの遺伝的な特徴に少しずつ違いがあることを指す(COP10 HP 2010)。

 2010年に策定された「生物多様性国家戦略2010」では、日本の生物多様性が直面している危機として3つの要因が挙げられている。

 第一の危機は、「開発や乱獲による種の減少・絶滅、生息・生育地の減少」である。これは、観賞や商業目的の乱獲・過剰な採掘や開発によって生息環境を悪化・破壊するなどの人間活動によるものである(企業が取り組む生物多様性研究会 2010)。

 第二の危機は、「里地里山などにおける人間の働きかけの減少による生態系のバランスの崩れ」である。これは、里山などの自然環境と人為的な干渉の二つのバランスで成り立っていた環境において、人間の生活スタイルの変化からこれまで資源として使われていたものが放棄されるなどの人為的な干渉が減る、アンダーユース(利用不足)の状態になることでそのバランスが崩れ、環境が維持されなくなることである(田中 2009)。

 第三の危機は、「外来種による生態的かく乱」である。これは、人間活動によって持ち込まれた外来種が、地域在来の生き物に対する脅威となってしまっていることである。

 また、これら3つの危機に加え地球温暖化による影響も挙げられている。温暖化の進行により植物の開花・結実時期に変化が生じるだけでなく、その植物を主食としている昆虫や鳥類の繁殖時期に餌がなくなり個体数の減少につながる恐れがある(生物多様性国家戦略 2010 HP)。

 近年、国際自然保護連合(IUCN)を中心として、世界各国で「絶滅のおそれのある生物リスト」の作成が行われ、毎年改訂されている(IUCNホームページ参照)。

 このリストは「レッドリスト」と称されレッドリストに掲載された生物の分類・生態学的特徴と絶滅危険度の現状をとりまとめた刊行物は「レッドデータブック」と称されている。日本で最初のレッドデータブックは1989年に発行され、その後1997年に改訂された。さらに2000年には環境庁版のレッドデータブック(正式名称は、「改訂・日本の絶滅のおそれのある野生生物?レッドデータブック 植物?(維管束植物)」)が発行された(矢原 2003)。最新のレッドリストは2007年にとりまとめられている(植物レッドデータブック COMPLETEホームページ参照)。

 レッドリストでは、過去にわが国に生息したことが確認されており、飼育・栽培下を含め、わが国ではすでに絶滅したと考えられる種を「絶滅(EX:Extinct)」、過去にわが国で生息が確認されており、飼育、栽培下で存続しているが、わが国において野生ではすでに絶滅したと考えられる種を「野生絶滅(EW:Extinct in the Wild)」、ごく近い将来における野生での絶滅の危険性がきわめて高いものを「絶滅危惧IA類(CR:Critically Endangered)」IAほどではないが、近い将来における野生での絶滅の危険性が高いものを「絶滅危惧IB類(EN:Endangered)」、現在の状態をもたらした圧迫要因が引き続き作用する場合、近い将来「絶滅危惧I類」のランクに移行することが確実と考えられるものを「絶滅危惧II類(VU:Vulneatend)」、現時点での絶滅危険度は小さいが、生息条件の変化によっては「絶滅危惧」として上位ランクに移行する要因を有するものを「準絶滅危惧(NT:Near Threatened)」、環境条件の変化によって、容易に絶滅危惧のカテゴリーに移行しうる属性を有しているが、生息状況をはじめとして、ランクを判定するに足る情報が得られていない種を「情報不足(DD:Data Deficient)」と評価している。

 最新版の日本のレッドリストによると、絶滅とみなされた種数は33種、野生絶滅は8種、絶滅危惧IA類523種、絶滅危惧IB類491種、絶滅危惧II類676種、準絶滅危惧種255種、情報不足12種の計2018種の維管束植物が記載されている(松田 2008、植物レッドデータブック COMPLETEホームページ参照)。

 このような生物種の絶滅や生物多様性の損失は、人類が生きていくために必要な生態系の能力を劇的に損なうことでもある。「生態系」とは、ある空間(地域)に生きる全ての生物と、それらの生育にとって必須な環境の要素からなる複雑なシステムという意味である(鷲谷 2001)。どのような生物も、孤立しているものはなく、様々な無生物的な環境要素の影響を複合的に受けている。また、食う−食われるの関係をはじめ、種子植物とその花粉を媒介する動物との間に見られる共生関係、あるいは寄生や競争などの生物間相互作用を介して、他の種と関わりあっている。このような関係は生態系のなかで網の目のように複雑に絡まりあいながら広がっており、地球上ではほとんど全ての陸域と水域に、多数の種が相互に深い関係をもちながら生息しているのである。現在、地球環境保全の観点から多くの科学者によって危惧されている生物多様性の危機とは、特に種の多様性の急激な喪失、すなわち、多くの生物種が未だかつてないほどの速度で絶滅しつつある状況のことを指している。

 生態系の持つ様々な自然機能を、人類は長い期間享受している。それは、食料供給、水と空気の浄化、CO2の吸収とO2の供給などである。もし無制限にこれらを利用し続けたとしたら、容易にかつ永遠に消失してしまう恐れがある。また、生物多様性が乏しくなることによって、小さな環境の変化や病気・害虫などの外敵の侵入により、社会・政治・経済にも大きな影響を及ぼすこともある。19世紀のアイルランドでのジャガイモ飢饉や、数年前の日本でのコシヒカリを中心とした米の不作などがその例である。こうした事態へ対応するため、作物の遺伝子銀行の役割を野生生物に求める必要があり、そのためには作物のもととなる種(種群)と、それを支える生息・生育地が残っていなければならないのである(生物多様性政策研究会 2002)。

 

生物多様性保全政策と自然再生事業

 1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)において「気候変動に関する国際連合枠組条約」(気候変動枠組条約)と「生物の多様性に関する条約」(生物多様性条約)が採択された。生物多様性条約はその第六条で、それぞれの国が生物多様性の保全と持続可能な利用を目的とした「国家戦略」、つまり国をあげて取り組むための方針と計画を作ることを求めている(鷲谷 2003)。これを受けて、日本では1995年に「生物多様性国家戦略」が策定され閣議決定された。その後2007年11月には、「第三次生物多様性国家戦略」が閣議決定された。この第三次国家戦略は、具体的な取組みについて、目標や指標などもなるべく盛り込む形で行動計画とし、実行に向けた道筋が分かりやすくなるよう努めたこと、「100年計画」といった考え方に基づくエコロジカルな国土管理の長期的な目標像を示すとともに、地球規模の生物多様性との関係について記述を強めたこと、地方公共団体、企業、NGO、国民の参画の促進について記述したことなどが大きな特徴である。また、2010年3月には、「生物多様性国家戦略2010」が閣議決定された。これは、第三次国家戦略の内容を引き継ぎつつ、2020年までの短期目標や2050年までの中長期目標を設定されている(第3次生物多様性国家戦略 HP)。

 生物多様性国家戦略では、「自然再生事業は、人為的改変により損なわれる環境と同種のものをその近くに創出する代償措置としてではなく、過去に失われた自然を積極的に取り戻すことを通じて生態系の健全性を回復することを直接の目的として行う事業」とされている(亀澤 2003)。この考えのもと、ビオトープづくり、動植物やそれらの生活環境の保護、景観の回復事業などが行われている。

 

生物多様性条約とCOP10

 地球上の特定の生物種を保護する方策は、例えば絶滅の恐れのある野生動植物の国際取引を制限するワシントン条約や、湿地などを守るラムサール条約などがあった。だが、特定の地域や種の保全だけではもはや守りきれず、包括的な枠組みが必要であるという認識が世界に広がった。「生物の多様性に関する条約(生物多様性条約)」は、狭い範囲の保全ではなく、こうした認識から生まれたものである。生物多様性条約は大きく3つの目的がある。

1    地球上の多様な生物を、その生息環境とともに保全すること。

2    生物資源を持続可能であるように利用すること。

3    遺伝資源の利用から生ずる利益を、衡平かつ衡平に配分すること。

 この目的を達成するための一つに、遺伝子組み換え生物による生態系への影響を防ぐ「カルタヘナ議定書」が2000年に採択された。その後も条約加盟国はほぼ2年に1回「生物多様性条約締約国会議(COP)」を開き、生物多様性保全の包括的な枠組みづくりを議論している。2002年のCOP6では現在の生物多様性の損失速度を「2010年までに顕著に減らす」という「2010年目標」を掲げた(桑山 2009)。

 2010年10月18日から30日まで生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が名古屋で開催された。この会議において「名古屋議定書」と「愛知ターゲット」が採択された。

 「名古屋議定書」は、遺伝資源の利用で生じる利益を公平に分配することにより生物多様性の保全と生物の持続的な利用を促進することを目的としている。遺伝資源の原産国と利用国の対等な取引を定めているほか、不正利用の防止のために監視部署を設置することを定めている。

 「愛知ターゲット」は、「生物多様性保全に向け2020年までに健全な生態系の確保し、人間の豊かな生活が保証され貧困根絶につながるよう、生物多様性の損失を止めるための効果的な緊急行動を起こす。これらを確実にするため、生物多様性への圧力を減らし、生態系を回復させ、生物資源を持続的に利用するとともに遺伝資源の利用から生まれる利益を公正かつ衡平に配分し、十分な資金を提供する。」という全体目標の下20の個別目標で構成されている。20の個別目標には、保護区の導入や生物多様性の保全のための施策、資金確保が盛り込まれているが、議定書のような強い法的拘束力はない(読売新聞記事 2010)。

 

生物多様性保全・自然再生における民間企業の役割

 企業は、生物多様性と生態系が提供する自然からの恵みに依存していると同時に、何らかの影響を及ぼしている。たとえば、土地開発することによってその土地の自然を改変したり、地球温暖化をはじめとする気候変動の原因をつくったり、有害物質や農薬などの化学物質による汚染や外来種の持ち込みなどがある。しかも、企業は巨大な活動単位であり、影響も巨大であるので、生物多様性保全活動への企業の参画は重要である。しかし、「生物多様性」という言葉は専門的でわかりにくいということと、その保全に向けて何を行動すればよいのかわからないため、行動を起こすことができない企業が多くあるようだ。また、気候変動とは異なり産業ごと、企業ごとになすべきことは異なる。したがって、活動するにあたっては、まず自社の事業活動と生物多様性との関係性を把握するところからはじめる必要がある(企業が取り組む生物多様性研究会 2010)。

 2006年に開催された生物多様性条約締約国会議(COP8)において、生物多様性の保全には「企業の参画が必要」との決議がなされた。この決議を踏まえわが国においては、2007年に策定された「第3次生物多様性国家戦略」のなかに、企業の参画が明記された。この後、「生物多様性民間参画ガイドライン」の策定がなされた。このガイドラインには、生物多様性の説明や生態系への影響に関する項目が記載されており、企業が生物多様性の保全に取り組みやすいよう指針が盛り込まれている(環境省 2009)。

 以下に生物多様性に取り組む企業の例を挙げる。

 株式会社リコー(以下リコー)は、1936年に設立された電気機器のメーカーである。リコーは、1998年に生物多様性保全の取り組みを検討し始めた。その理由は、「地球環境の悪化がこのまま進めば人類社会の存続が難しくなり、そうなれば当然企業活動が成り立たなくなる。」という持続可能な発展の考えを早くも持っていた。このため、生物多様性に深い知識やノウハウをもつNGOや専門家などの識者と意見交換を行い、活動の内容について検討していった。

 1999年生物多様性が、本来豊かでありながら危機的な状況にある世界各地の森林を保全・回復していくことを目指す「リコー森林生態系プロジェクト」と、社員が地球市民の意識を持ち、主体的に社内外で生態系の保全活動を推進することを目的に「リコー環境ボランティアリーダー養成プログラム」を開始した。また国内外の生産工場や販売会社がそれぞれの地域で生物多様性の保全を積極的に行い、地域社会から信頼を得られる活動を環境行動計画の一環として進めており、世界各地域で顧客、NGO、行政機関などステークホルダーとの連携による生物多様性保全の環が拡がってきている。また、事業活動の中でも自然林を保護するため、2003年に“リコーグループ製品の原材料木材に関する規定”を定め「保護価値の高い森林」からの材料調達は行わないことにしている。「森林生態系プロジェクト」では、単に森林を再生するのではなく、森林の保全活動を進めることで、雇用拡大や収入向上など現地のコミュニティや住民にとって長期的な利益を生みだし、地域の発展を目指している。地域の事情や特性を考慮して、環境NGOと協働しながらロードマップを描き「開始→立上げ→協働→自立」のフェーズを設定し、フェーズごとに目標を設定して取り組んでいる。このプロジェクトは、ブラジル、ガーナ、マレーシア、中国、日本、フィリピン、ロシアで行われていて、どの地域でも啓発をうけて参画するようになった住民たちは、一時的な生活の糧を得ることより長期的に森林の恩恵を受けることを選ぶようになった。

 また、「リコー環境ボランティアリーダー養成プログラム」では、「リコー自然教室」を行っておりその活動の一環として港区立青山小学校にビオトープを造成した。その定点観測日記をホームページに掲載している(企業が取り組む生物多様性研究会 2010)。

 

自然再生事業としてのビオトープと管理方法

 自然保護運動の一環として自然環境復元運動が日本で注目を集め出したのは1980年代の後半である。最初は蛍の里の復活運動のようなささやかな行為に始まり、年を経るごとに復活の対象とする生物の種も、トンボ、カエル、チョウと多様化していった。それにともないそのような活動に参加する市民の層も次第に厚さを増してきた。このような動向の背景をなすのは、一般市民の環境、とりわけ身近な環境に対する危機意識の深まりであったと考えられる。直接人間とかかわりのある自然環境の再生運動が拡大し、地域の生態系そのものの復元を目的とした自然再生事業が盛んに行われるようになり、そのひとつにビオトープの構築がある(杉山 1995)。

 ビオトープ(biotope)はドイツ語の生き物を意味するBioと場所を意味するTopの合成語である(上赤 2001)。ビオトープという言葉も最近では普通に用いられるようになったが、本来は学術用語で「生物相で特徴づけられる野生動物の生活環境」ということである(杉山 1999)。つまり「特定の生物群集が存在できるような特定の環境条件を備えた均質的な、ある限られた空間」である。生息地(habitat)と類似した概念であるが、生息地が種あるいは個体群を主体として、その生育・生息に必要な環境条件を備えた空間を指すのに対し、ビオトープは生物群集を主体とする概念である(日本生態学会 2003)。

 ビオトープは元々「生態系」と同様の意味で使われていた。しかし今日では、行政や市民活動などのなかで一般用語として使われる事が多い。例えば、ドイツのバイエルン州では自然保護の観点から特に重要性が高く、保存を要する地域を指す用語となっている。日本では、環境修復やミチゲーション(mitigation、開発行為による自然環境への悪影響を軽減するために、開発の対象となる生態系の持つ機能を他の場所で代償する行為)で創造された空間や、都市域に創造された生物生息空間を指す用語として1990年代に入って盛んに用いられるようになった(日本生態学会 2003)。

 日本における最初のビオトープは、静岡大学の杉山恵一教授らによって平成4年に同大学構内に造成したビオトープとされている。このビオトープは「多様な生物の生活空間づくり」を目指したもので、約500m2の荒れ地に小川、池、丘、草地など環境要素を構築し、様々な生物を誘致している。2000年現在で約50種の植物、300種以上の昆虫、両生類などが活気ある生き物の世界をつくりだしている。これが今日のビオトープづくりの原点になっている(秋山 2000)。

 ビオトープは失われた身近な自然の復元、環境教育の場の提供、各地域における絶滅危惧種の系統維持など、生物多様性の保全において重要な役割を担うことが期待される(日本生態学会 2003)。現在、ビオトープという言葉が普及しその名を冠すものは多く存在するが、中には造園とはき違えているものもある。見かけのよい花を植栽したり、扱いやすいために外来種を持ち込むことによって、逆に生態系を破壊されてしまう危険性がある(上赤 2004)。また、設置=完成あるいは数年以内の短期間に見られる形態をもって完成とみなしていることも少なくない(近自然研究会 2004)。

 ビオトープは、土木工事上の竣工をもって完成というわけではなく、竣工が実質的なスタートとなる。その後の生物相の変遷を受け入れ、時には生物相管理を行いながら、周辺環境と融合した形態へとゆるやかに移行していくものである。そこで大切なことは作るときにその後の管理を考え、また管理しながら次なる事象をイメージしていくといったつながりである。それは、従来の公園や植物園のような「維持管理」ではなく、「見守り」、「育てる」という言わば「育成管理」という言葉がふさわしく、子育てと同様に「育てる」、「見守る」という姿勢で構築していくことが重要である(秋山 2000)。ビオトープの育成管理の目的は、その地域のできるだけ多くの生物種の生息が可能な環境を復元することにある(杉山 1999)。そのために育成管理方法として必要不可欠な事項の一つに、国外外来植物(本稿では以後「外来植物」と呼ぶ)の除去がある(杉山 1995)。

 外来植物は一般に繁殖能力が高く、周辺の在来植物の生育を阻み、衰退させてしまう恐れがある。さらには、生物多様性の低下や生態系の破壊を引き起こす危険性が高いとされている(日本生態学会 2003)。その対策として、2004年6月に日本において「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」が公布され、生態系等に関わる被害を及ぼす、あるいは及ぼす可能性がある外来生物を「特定外来生物」と指定し防除などの措置を講ずることを定めている(近自然研究会 2004)。しかし、すでに生態系に入り込んだ外来生物は、法律で規制したからといっていなくなるわけではない。ビオトープ創出においても、外来種を放置してしまえば外来種の植物園になりかねないのである(杉山 1995)。したがって、ビオトープの植物相をはじめとする生物多様性を高め、本来の目的に沿った構築を行うためには、勢力過大な外来植物の除去を継続的に進めていく必要がある。また、在来植物に関しては増殖を促進していくことが効果的である。しかし人間が無理に手を加えることでかえって生態系を破壊してしまう恐れもあるため、ビオトープ周辺から風や鳥によって運ばれてきて在来植物がビオトープに定着、増加していくよう手を添える程度が望ましい。

 

大型ビオトープの実例

・アドバンテスト・ビオトープ

 群馬県邑楽郡明和町、株式会社アドバンテスト群馬R&Dセンタ2号館敷地内に2001年4月に竣工したもので、面積が17,000m2と民間企業所有としては国内最大級のビオトープである。これまでの調査結果から、本ビオトープには、多くの外来植物の侵入と在来植物の定着が確認されている。在来種は2001年25種であったが、年々増加し2008年に、最多の94種が確認された。一方外来種は、帰化率でみるとここ数年は、29%で推移していて平衡を保っている。

 本ビオトープの育成管理に対しては、竣工時から群馬大学社会情報学部環境科学研究室の石川真一教授が、生態学的学術調査に基づいたアドバイスを行っている。ビオトープの趣旨にそぐわない外来植物が確認された場合は、その除去・時期を検討しアドバンテスト社に提案してきた。アドバンテスト社はこれを基にしてビオトープの管理を行っている。2003年度は主にセイタカアワダチソウ、ハルジオン、ヒメジョン、ヒメムカシヨモギ、ノボロギク、ヒメモロコシ、コセンダングサ、アメリカセンダングサ、イトバギク、オオアレチノギク等の外来植物の除去を実施している(星野 2004)。また、シロツメグサが本ビオトープの中に、大きな土壌シードバンク形成していることが示唆されており、アメリカフウロとオランダミミナグサは、土壌シードバンク・植生調査の相方で侵入が確認されている(狩谷 2004)。在来種では、2006年度に準絶滅危惧種のミゾコウジュ、絶滅危惧?類のフジバカマの生育が確認された(依田 2007)。

 

・チノー・ビオトープ

 群馬県藤岡市森、株式会社CHINO藤岡事業所敷地内に造成されたビオトープで、2009年9月に造成開始、2010年にほぼ竣工とされたものである。構築に先立ち群馬大学社会情報学部環境科学研究室の石川真一教授が、生態学的学術調査に基づいたアドバイスを行っている。本ビオトープの周辺にはJR高崎線、国道17号が走り、敷地内600m北側には烏川が、約1km西側には鏑川が流れている。

 造成にあたり、本ビオトープには高崎市石原町の「観音山」または「岩野谷丘陵」と呼ばれている丘陵地帯から樹木や土壌の移植を行った。2009年度の先行研究において観音山からチノー・ビオトープに移植をした観音山中腹の3地点(コナラ植林地2地点と、放置林1地点)の植物相調査によると、在来種が40種、外来種が1種の計41種の生育が確認された。これらのほとんどが、山野性植物または畑地性雑草であり外来種は生育するものの、個体数が非常に少なかった。また、文献調査の結果、当地においてはこの20年程度以内の間に、在来種100種、外来種6種の計106種が生育していた可能性があることが明らかになった。以上のことから、当地からコナラ・在来種および土壌をチノー・ビオトープに移植した際、比較的速やかに山野性植物群落が再生できることが期待されている(鈴木 2010)。

 またビオトープ敷地内にはかつての水田が埋まっており、この土を掘り起こし、ビオトープ内に小規模な水域を造成して土を撒きだし、「水生ビオトープ」を創出した。これらにより、観音山の土壌および水田の土壌に含まれる土壌シードバンクからの発芽が期待できる可能性があるとされている(鈴木 2010)。

 

・男井戸川調整池(通称・やたっぽり)

 群馬県・伊勢崎市により、洪水に備えるため、利根川の支流である男井戸川に造成中の遊水池である。2009年に県(河川管理者)としての技術的・行政的な検証を加えた最終的な利活用計画が確定した。これにより、本遊水池の一部を水生ビオトープとして整備することとなった。2011年3月完成予定で、現在造成中である。

 2008年度に群馬大学社会情報学部環境科学研究室で行われた現地調査により、遊水池予定地の一部に水を引いてつくられた湿地において、水田・湿地生在来種23種、畑地雑草14種、外来種18種が確認された。この中には直近の自生地から導入されたアサザをはじめ、オモダカ、カワジシャ、シャジクモの計4種の絶滅危惧種が含まれている(高橋 2009)。こうした保護の重要性が高い植物相を水生ビオトープ内に再生するため、群馬県中部県民局・伊勢崎土木事務所によって、当地の表土の一部を別所に温存して遊水池整備後に再配置し、土壌シードバンクから植生をビオトープ内に再生する計画が実施されている。

 

土壌シードバンクの活用

 ビオトープに出現する植物は、現在確認されている種や、今後周辺から移入してくるもの以外にも土の中で休眠している「土壌シードバンク」から出現する可能性もある。種子は、芽生えの生長に不適な時期を発芽することなくやり過ごす生態的特性(休眠発芽特性)をもっており、このような状態で休眠している土壌中の生存種子の集合体を「土壌シードバンク」と呼ぶ。種子の生理的特性は、それぞれの種の生育場所や生育季節によって様々である。そのため、土壌中には発芽せずに休眠状態の種子が多く含まれている(荒木ら 2003)。当該各地に原生生育する植物種について、ここの土壌シードバンク形成能力を発芽実験とともに解析することで、各植物種の持続可能性を予測することができる。これらの結果をもとにして、外来植物であれば駆除・防除方策を、在来種であれば育成方策を具体的に構築することが可能となる。

 

絶滅危惧種の育成方法の確立の必要性

 日本の中においても群馬県は、特段に多様な立地条件を有している。気候は県北部の日本海型から、県南部の太平洋型まで多様である。また標高10数mの低地から2,500mを超える高山まで変化に富んだ地形を有し、西部から北部にかけて上毛三山と呼ばれる妙義山・浅間山・赤城山がそびえる。水系では尾瀬や玉原湿原、覚満淵などの湿原や多くの湖沼・ため池、利根川や渡良瀬川などの河川に恵まれている。また県土の約3分の2を森林が占めている一方で、関東平野の北端である県南部は、豊富な水資源を活用して広大な水田・畑作地帯となっている。こうした群馬県の内包する多様な立地環境が、生物多様性の高い動植物が育まれてきた潜在的要因になっていると考えられている(大森 2008)。しかしながら、本県にもグローバル化の波は押し寄せ、開発や外来種、里山地域のアンダーユースによる生物、特に植物の絶滅という新型の環境問題がふりかかっている(高橋 2009)。

 このように地域の自然環境とそこに生育する生物、特に絶滅危惧種に対して、絶滅の危機が高まっている。こうした地域固有の自然・生物の存在状態は、多くの場合、農耕生活の長い歴史の結果として確立された自然と人間の良好な関係、言わば「共生関係」をもって存立してきた「里山」の状態であることが多い。この場合、従来の自然保護のように自然を人間の力の届かない状態に囲い込むことはむしろ逆効果であり、自然が自力再生できるように積極的に人間が助力する必要があるとされる(伊藤 2003)。例えば茨城県の霞ヶ浦で長年にわたって行われている、絶滅危惧植物種アサザの再生プロジェクト「アサザプロジェクト」においては、アサザの繁殖・栽培方法の研究と生育適地への移植活動が、大学研究者・地域住民・NPO・行政の協働体制によって積極的に行われている(飯島 2003)。すなわち、自然再生事業の一つであるビオトープの育成管理においても、ここが地域の絶滅危惧種の保全場所となれるように、当該種の繁殖・栽培方法の研究を進める必要があるといえる。

 

研究目的

 本研究では、大型ビオトープの育成管理において、外来植物種を抑制あるいは除去しつつ、在来植物種の増加を促進する方策を検討するために必要な生態学的知見を、環境情報として蓄積することを目的にした。特に大型ビオトープ地域の絶滅危惧植物種の保全場所となれるように、当該種の繁殖・栽培方法の検討を行うこととした。

 調査地は、過去の研究事例の多い、株式会社アドバンテスト群馬R&Dセンタ2号館(群馬県邑楽郡明和町)敷地内に2001年4月に竣工した面積約17,000mの大型ビオトープ、株式会社チノー藤岡事業所(群馬県藤岡市森)、敷地内に2010年に造成されたビオトープ、男井戸川に造成中の調節池(群馬県伊勢崎市豊城町)とし、これら調査地において植物相調査を行い植物種多様性の現状を解明した。また当該地およびその周辺での生育が確認されている2種の絶滅危惧植物種(フジバカマ、ミゾコウジュ)について、発芽実験による種子発芽の温度依存性の解析と、栽培実験による生長解析を行って、絶滅危惧植物の発芽・栽培方法の検討を行った。

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