結論



 本研究により、群馬県内各地に良好な里地・里山環境が残っていることが明らかになった。また県内各地において、ビオトープやため池・遊水池などにおいて里山の自然再生をはかる試みが実施・計画され、これらの試みは、かつての里山の自然環境を再生することを可能にするポテンシャルを有していることが明らかになった。今後は、当該地に関係する人々、すなわち学識者、行政関係者や企業はもちろんのこと、特に地域住民が事業に協働参加することが、自然再生を実現するための最も重要な要因となると考えられる。
 西榛名地域は、本研究で調査した里山の中でも最も植物種多様性が高かった。この高い植物種多様性は、当地域の多様な立地環境、およびこれらを利用あるいは形成している伝統的な山間地農耕によって実現されていると推察される。すなわち当地域においては、小規模な渓流や水路、ため池の整備、二次林の定期的な伐採と下草狩りといった、水田耕作、ミョウガ栽培、炭焼き、シイタケ栽培などの山間地農業のための中規模で定期的な人為的攪乱によって、多様な生育環境が長期にわたって維持されてきた。こうした多様な生育環境ごとに異なる植物が生育することによって、全体として非常に多くの在来植物が生育していることが、植物相調査によって示唆された。発芽実験の結果から、里山に生育する在来植物の発芽特性も多様であることが示された。全体的には、土壌シードバンクを形成することで中規模攪乱に対応し、個体群を維持していると推察される種が多く見られた(TYPE II-TYPE V)。その一方で、発芽時期をあえて選択せず、広範囲な温度条件=季節にわたって、土壌水分が十分にあれば速やかに発芽する種もみられた(TYPE I)。このような種は、水田や小規模渓流沿いなど、土壌水分が突発的に利用可能になるような立地に対応して生育しているものと推察される。林床に光が当たっている場所であることが大きな理由である。
 同じ西榛名地域内においても、最も植物種多様性が高く、かつ最も多くの絶滅危惧種・希少種が生育しているのは、小規模渓流沿いのコナラ林伐採地(CN・七曲川)であった。またコナラ二次林が成熟している地点(CN・夢の花園入り口)では、出現種数は比較的少ないものの、七曲川とは全く異なる、林床生植物が多数生育していた。以上のように当地域においては、二次林の管理によって引き起こされる遷移の停止や二次遷移の誘導が、林床の草本植物の種構成と多様性に大きく影響していることが明らかになった。
 大道峠地域では里山としての景観と植生は部分的に残っているが、すでに多くの田畑や二次林が利用されなくなりはじめていた。また農薬の使用による、植物種多様性の低下が起こっているとも推察された。これらの原因となっているのは、野生動物による農産物の食害、耕作面積が小さくて利潤をあげにくいこと、過疎化・高齢化などの理由で耕作をやめたり労力を省かざるを得ない家が増加していることといった、現代の農業が抱えている根本的な問題であった。しかし、当地域においては外来種が非常に少ないこと、また絶滅危惧種が確認されていることから、里山として保全する意義はいまだに非常に高いといえる。今後は「生物多様性国家戦略」「生物多様性基本法」といった法的根拠を足がかりとして、また農業そのものの存続の一環として、当地のような山間農業地域の保全を考えていく必要がある。
 板倉ウエットランドでは、長年にわたり大規模開発行為や水環境汚染が問題となってきたが、地域住民や行政機関の活動によって、一部ではあるが地域独自の植物相が保護・再生されつつあると考えられる。渡良瀬遊水地では、今までに絶滅危惧植物が49種も確認されていること、また本研究でも当地域内で、群馬県では絶滅とされているエキサイゼリとトチカガミの生育が確認されたことが、特に注目に値する。当地域には日本各地で失われつつある湿地が多く、また地域住民や行政機関の理解が比較的高いため、今後もこれら関係者の協働活動によって多くの湿生植物の生育が維持されることが期待される。その際に特に重要なのは、行人沼で見られたような水質改善のための対策実施と、渡良瀬遊水池において見られたような、ヨシなど勢力過大な植物の適切な時期における除去である。
 伊勢崎市やたっぽりでは、遊水池整備後において、かつての水田・畑地の植物相が再生できる可能性の一端が、本研究によって示唆された。すなわち、4種の絶滅危惧種の生育が確認できたこと、カワヂシャの発芽・生長特性の一部が解明されたことによって、種子からの個体群再生の可能性が出てきたこと、である。すでに群馬県によって、当地の表土の一部を別所に温存して遊水地整備後に再配置し、土壌シードバンクから植生を再生する計画が実施されつつある。今後の本格的な長期にわたる自然再生のためには、キシュウスズメノヒエなどの外来植物の駆除を行ったり、管理のための継続的モニタリングを行なう必要がある。これらを実施するためには、なんといっても地域住民の協働参加が必須である。すでに地域住民と行政機関が懇談会をもって、遊水池のあり方を協議する体制ができあがっているので、今後はさらに協働関係を深めることによって、遊水池整備後の管理・モニタリングの実施体制を構築していくことが重要である。
 アドバンテスト・ビオトープでは、生育する在来植物の種数は一時的な平衡状態になっているが、種構成が徐々に里山地域のものに近づきつつあることが明らかになった。特にミゾコウジュ、フジバカマ、ミコシガヤなど、板倉ウエットランドや周辺地域にも自生している絶滅危惧植物の継続的生育が確認されたことは、本ビオトープの植物相が周辺地域固有の植物相に近づいていることの確たる証拠であると言える。また本ビオトープと周辺地域の間に、生物の往来=ビオトープネットワークが形成されているとも考えられる。このため、今後は板倉・館林・明和にわたる広い地域との間において、動物の移動、およびそれに伴う在来植物の新たな移入が期待される。本ビオトープに生育するミゾコウジュとフジバカマの種子が発芽能力を有することが発芽実験によって示されたことから、この2種の絶滅危惧種が今後も継続的にビオトープ内で生育し、個体数が増加していくことが期待される。
 里山では古来より、伝統的農耕手法による定期的な中規模攪乱によって、一次遷移が停止したり二次遷移が誘導され、かつ多様な生育環境が形成されている。本研究では、こうした中規模な人為的攪乱が里山の高い植物種多様性を生み出していることが示唆された。日本に生育する約5000種の陸上植物のうち、実に約1000種が里山地域に生育していることから、里山の生物多様性の保全は、国ひいては世界の生物多様性の保全につながる重要課題であるといえる。しかるに高度経済成長期以降、里山で農業の担い手が減少して中規模攪乱も減少し、また大規模開発などで里山自体が失われることによって、多くの在来植物の生育地が減少し絶滅の危機が増大しているといえる。今後は、現存する里山地域の動植物の保全活動だけでなく、その存立条件たる社会的基盤を整備していくことが不可欠になってくるだろう。すなわち、地域の農林業と地域社会をどのようにして持続可能にするか、ひいては日本の農林業をいかにして再生するかが、企業、行政機関、政府に問われるだろう。
 ビオトープや遊水池・ため池などによる自然再生事業は、生物多様性の保全に新たな方向性をもたらす。絶滅危惧種など在来種が生育可能な場所を、それを破壊した人間の手で再生しようという試みは、やもすると単なる庭園を一過的に変造する自己満足にもなりかねない。持続的な真の自然再生を実現するためには、皮肉にも自然を破壊した時と同じように、人の手による継続的な関与=育成管理が必須であり、同時に到達目標、いわば「あるべき姿」を設定する必要がある。ここでいう「あるべき姿」とは、その地域特有の立地環境、またはかつてその地域の人間にとっては当たり前であった立地環境であり、それはまさしく里山そのものではないだろうか。
 人間は本来、自然環境と長期間向き合うことで、自然との協調の方策を編み出して生き永らえてきた。人間をつい最近まで包んでいた里山のような立地環境は、この協調の結果として自然と人間の間に生み出されたもののはずである。ならば現在も安定した状態で保たれている里山は、再生不可能な「手付かずの原自然」とは異なり、自然再生の到達目標として、また自然再生事業の遂行際して様々なヒントを得ることができる場所として、そして自然再生事業と同時進行の形で、動植物の生息域を保護・拡大することができる場所として重要であるといえる。



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