結 論

 

本研究によって、ダム建設に伴い自然環境や自然資源、自然観光資源が大きく損なわれることが明らかにされた。自然環境については、人為的攪乱がより多く起こった地域ほど、本来当該地では生育しない、外来植物種や攪乱地を好む植物種がより多く生育していた。また、自然資源や自然観光資源については、現在三波石峡のように一部において回復の兆しが見られるとはいえ、ダム建設によって失われるものの大きさは膨大なものであると言える。

これらの結果を踏まえれば、ダムは決して大量に建造するものなどではなく、建設地はもちろんその下流に至る広い地域を対象に、自然環境や社会環境への諸悪影響を十分に検討した上で、本当に必要なところに本当に必要な大きさのものを建造するに止める必要があると言える。当該地域の自然環境や社会環境の方がより重要である場合や、多額の税金を投じるだけの費用対効果が明確でないもの、別の手法が適用可能なものは、即時白紙撤回すべきである。

現在建設中の八ッ場ダムには、これら全てが当てはまる。このダムはすでに計画から数十年を経て3,000億円近い税金が投入されながら未だ完成を見ず、総工費4,000億円以上が完成に必要と推計されている。これだけあれば、ダム以外の様々な対策を実現できるのではないだろうか。

八ッ場ダムの利水、治水面でのメリットとしてあげられている事由の全ての根拠が極めて薄弱であることはすでに明らかにされている。利水に関しては、その最大の受水者である東京都の水道用水の動向は、1971年からずっと横這いないし漸減の傾向さえ見られ、人口の減少と省資源化に伴い、東京都を含めその他の利根川水系の大都市においてさえ、都市用水の需要は頭打ちになっていて、今日でさえ東京都には1日に約50万立方メートル以上の都市用水の余裕があると言われている。治水に関しては、八ッ場ダムは、八斗島における200年に1度の洪水流量22,000立方メートル/sのうち平均で600立方メートル/sの低減効果を見込んでいる。しかし、かつて洪水の元凶の代表例と位置づけられていたカスリーン台風時における吾妻川上流の洪水は、八斗島の洪水のピークに対してほとんど影響していないこと、カスリーン台風の際に八ッ場ダム建設予定地より上流でほとんど雨が降らなかった記録が残っていること、吾妻渓谷は狭窄部が続くところがあり自然の洪水調整作用を持っていることなどから、ダム以外の治水対策でも十分代用が可能と提案されている(戸叶 2001)。

またしばしばダム建設の根拠とされる、第二次世界大戦直後の台風直撃の際に関東平野で洪水が多発したことは、実際には戦時中の食糧難のため赤城山麓の開墾、エネルギー源のための木材の供出などで森林を乱伐され、森林が消えた山地の保水力が著しく衰退していたためだという見方もあり、森林が育成された今日において状況は全く異なっているとされる(八ッ場あしたの会・八ッ場ダムを考える会)。

加えて本研究により、八ッ場ダムのダム建設予定地は、すでに多くの外来種や攪乱地を好む種が生育しているとはいえ、絶滅危惧種をはじめ多くの在来植物が生育する、自然豊かな地域であることが改めて判明した。今後は、これらを犠牲にすることで、どれだけの損失を地域および広域の生態系が被ることになるのかを、さらに明確にする必要がある。

ダム建設推進をめざす者の中には、地球温暖化による渇水や洪水に警鐘を鳴らし、今後のダムの有効性を唱える者もいる(にっぽんダム物語 2006)。しかし、そもそも広範囲の森林を伐採し山をコンクリートで固めて自然環境を大きく喪失させるダムが地球温暖化を助長させることは明白であり、人間が自分たちの使用する水を確保するために、自然を破壊して地球温暖化を促進するなど矛盾も甚だしい。 

水力発電は一見CO2を放出していないように見えるため、クリーンエネルギーだという見方もあった。しかし、世界的には「ダムはクリーンエネルギーとは呼べない」と言うことがすでに常識になってきている。ダムによる水力発電自体がCO2を出さないといっても、ダムを建設する際に広大な森林を水没させてCO2の吸収源を減少させているからである(天野 2001)。

各種用水などの利水や渇水対策として、基本的に必要なダムも存在している。しかし、ダムを建設すれば、必ず地域生態系や地元住民の生活や文化・伝統、下流に至るまでの広域の自然環境が大きく損なわれるという認識を持つことは、さらに重要である。またダムは税金で造られるものであるのだから、国が抱える借金は膨大に膨れあがっている中では、費用対効果を十二分に検討する必要があることはもはや明白である。ダム以外の手法も視野に入れて、地球環境、地域環境、地域住民の生活に配慮した、政治的でなく真に国民の福祉のためになる河川整備が強く望まれる。



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