結論

自然環境は永い年月を経て成熟してきたものであり、一度破壊されると、二度と同じ状態には戻らない場合が多い。その理由は、生物相が変成してしまい、また生物多様性が失われるからである。生物多様性の衰退は、私たちの生活域から原生的自然にいたるまで広く進行している。生物多様性を脅かす主要な要因は生息・生育場所の喪失、さらにそれが分断・孤立化することにある。森林、湿原、河川、沿岸生態系の喪失や分断化が進むことで、絶滅の淵に立たされる種は膨大な数に及んでいる。このため自然環境保全の重要性は高まっており、既存の生物相を維持し、生物多様性の高い生態系をできるだけ残していくことが至上課題となっている。生物多様性の保全の基本は、現場に生育する生物種を、できるだけが生息している現地で保全することである。なぜなら生物は、本来生育していた土地・生態系から移動すると遺伝的性質が変化し、生態的・進化的意義を失われるからである(上赤 2001、鷲谷 1999)。

 今回の調査対象の一つとしたアドバンテストビオトープは、その基本コンセプトとして、かつて関東平野にあった自然環境・生態系を復元することをめざしており、今までのところ、意図的人為的な生物種の導入をほとんど行わず、自然に在来生物種が移入・定着するように育成管理を行っている。このことは、上記の生物多様性保全の基本と合致しており、今後も同様の育成管理を、基本的には継続することが望ましいと考えられる。一方でこのビオトープでは、在来種の保全のために、外来種の駆除や水質の管理などの積極的管理が必要不可欠となっている。復元させた生育場所では、多くの場合、侵入種を選択的に排除するための積極的な管理を行う必要があるのだ(鷲谷 1999)。これらの2つの管理を同時に両立させるためには、従来の土木技術、造園技術に加えて、自然生態系に関する豊富な知識が必要となり、学術調査に基づいた育成管理が必要不可欠となる。(秋山 2000)

赤城山覚満淵は、上記のアドバンテストビオトープとは全く異なる管理方針にあり、その方針は、前回調査の行われた4年前から今日に至るまで、全く変わっていなかった。すなわち、自然と観光のバランスに重点をおいて管理しているとはいえ、利用優先の傾向が強く、自然環境保全に向けた具体的な取り組みはみあたらない。環境への配慮に欠けた木道の設置など短期的な利便性追求を制限し、自然環境利用の持続可能性を優先する必要がある。現在、覚満淵では高山植物の減少など多くの変化が起きているが、覚満淵に生育する生物の種数や個体数の増減に関して、管理者である群馬県は、これまでの調査研究結果も含め現状を把握していない。高山植物は高山という変動の大きな環境下に生育しているため、常に好適な環境にいるわけではなく、常に存亡の危機にあるともいえる。寒冷地では、植物の成長が遅いため、植生の破壊は早いが、回復は遅々としている。尾瀬の荒廃においても、保全活動があと5年遅れていたなら、回復不可能になっていたかもしれない。保全活動は遅れるほどに湿原の回復は遅くなり、膨大な労力と財源が必要になる(菊池 2005)。覚満淵の管理者である県は、環境保全対策の速やかな実行に迫られているといえる。まずは、学術的なモニタリングを実施することで、現状を把握に踏み出すことが環境保全への第一歩である。

高山植物を脅かす環境要因の中でも特に影響が大きいと考えられるのは、土壌の乾燥化である(工藤 2000)。今回調査地の一つとした玉原湿原も、依然としてこの状況が続いている。沼田市はこれを問題として継続的に理解しており、積極的対応を継続している。すなわち、東京農工大学・福嶋司教授ら専門家の継続的調査・研究結果をもとに、湿原保全に具体的な取り組みが続けられている。排水路に堰を設置したことや木道の設置場所を移動したことは、ハイイヌツゲの個体数・分布域が、前回調査から4年の間でも減少傾向が明らかになったほど、効果的対策であったいえる。

アドバンテストビオトープの育成管理開始から5年の歳月が経ち、ようやく一つの生態系として位置づけることが可能な程度には生長したと言える。沼田市が玉原湿原の乾燥化対策に乗り出してから10余年たった現在も、湿原の生態系は回復の途上にある。一度失われた自然を復元することは容易ではないといえる。

赤城山覚満淵も玉原湿原もアドバンテストビオトープも、見た目には比較的良い景観の、人間が利用を求めたくなる水辺生態系である。しかし、その推移は大きく異なることが、本研究で明らかにされた。この差異の最も大きな原因は、管理者の管理方針であるようだ。現代において土地は誰かの所有物であり、必ず管理者がいる。その意味で、もはや自然は独立であるものではなく、人間の方針ひとつで大きく変わってしまう可能性が高いといえる。特に、本質的に壊れやすい水辺生態系では、管理者は学術的な視点で現状を理解することから始めて、持続的利用という観点から管理方針を定める必要に迫られているといえる。


学術的な調査研究に基づく育成管理によって、更地からの自然再生をめざす事業であるビオトープ、専門家の継続的調査・研究結果をもとに、具体的な取り組みが継続されている玉原湿原。これらが将来、水辺生態系再生事業のモデルケースとなり、様々な自然生態系が保全されることが期待される。

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