4,結果と考察

4−1 植生
 調査の結果、吾妻渓谷A1地点では木本27種・草本2種の計28種、A2地点では木本13種・草本3種の計16種、A3地点では木本1種・草本15種の計16種、A4地点では木本2種・草本9種の計11種、A5地点では木本11種・草本14種の計25種、A6地点では木本10種、 A7地点では木本18種・草本14種の計32種、の植物が出現し、A1からA7地点で木本53種・草本37種の合計90種を確認した。また、予備調査時のみの出現であるが、木本3種・草本2種の計5種が出現した。生活型は、木本では落葉低木と落葉高木がほとんどを占め、草本では全て多年生草本となっていた(表3表4)。
 三波石峡S1i地点では木本4種・草本2種の計6種、S1ii地点では木本13種・草本9種の計22種、S1iii地点では木本8種・草本11種の計19種、S2地点では木本14種・草本7種の計21種、の植物が出現し、S1・S2地点で木本30種・草本18種の合計48種を確認した。生活型は、木本では落葉低木と落葉高木が主体で、草本では3種のみが1年生草本で他は多年生草本となっていた。また、帰化植物であるシダレヤナギが出現した(表5表6)。
 下久保ダムSD1地点では、木本6種・草本34種の合計40種、SD2地点では木本2種・草本14種の合計16種、SD3地点では木本3種・草本26種の合計29種の植物が出現し、SD1からSD3地点で木本6種・草本38種の合計44種の植物を確認した。ここでは、草本が主体となっておりその内訳は、1年生草本が16種、2年生および多年生草本が22種であり1年生草本が42%を占めていた。また、オオオナモミやアメリカセンダングサをはじめとする合計11種の帰化植物が出現しており、すべての調査地に出現した植物の42%を占めていた。その調査地点ごとの帰化率(出現する植物の総種数に占める帰化植物の割合)は、SD1地点で22.5%、SD2地点で43.8%、SD3地点で30.8%であった(表7表8)。
  八ッ場ダム建設のおける自然(植生)への影響は、調査地A1からA5までの範囲のみに出現した植物(木本26種・草本13種)は全て水没し、ダムサイト建設予定地に生えていたイワタバコはコンクリートの下に消えることである。また、工事が行われた場所(A3地点)では、タケニグサなどの攪乱地を好む種が、ダム湖周辺には、新たに攪乱地を好む種や帰化植物が入ってくる。影響を受ける面積は、水没地3,160,000平方メートル、ダム建設に付帯する工事のため、帰化植物や攪乱地を好む植物が侵入してくる地域150,000平方メートルである。
 「八ッ場ダム建設事業」によると、陸上植物は昭和54年から調査が開始され、貯水池周辺の現地調査で135科1032種の陸上植物が確認されており、絶滅の危険があるとされる植物8科11種(文献調査も含めると27科52種)が確認され、リストアップされている。建設省は八ッ場ダムの建設にあたって、自然環境について1978年に建設省の内部基準に従った「環境影響評価」を行い、85年に環境アセスメントは終了しており、結論としてダム建設による影響は少ないという(樽谷 2000)。しかし、吾妻川の水質は、全窒素(0.2mg/l以下)と全リン(0.01mg/l以下)でダム湖としての水質の環境基準を上回っており、さらなる水質悪化も指摘されるなど、影響が少ないとは言えない。それにもかかわらず、八ッ場ダムのアセスメントの内容では、環境保全の為の具体的な措置が検討されていない。そのため、現行の環境影響評価法で判定するとダム建設が行えるとは言い難い。  

4−2 利水・治水
 利水という面で見てみると、八ッ場ダムは、都市用水の開発水量は通年で14立方メートル/sである。しかし、その最大の受水者である東京都の水道用水の動向は、1971年からずっと横這いが続き、最近は漸減の傾向さえ見られる。現在でも1日に50万立方メートル以上の余裕がある東京都は、新たな水源開発は不要である。また利根川水系のその他の県でも、水需要は近いうちに頭打ちとなる(嶋津 2000)。
 八ッ場ダムの夏期の利水容量は2500万立方メートルで、東京都や埼玉県などに対して新たに14.07立方メートル/sの都市用水を供給する。これは夏期は20日分の利水容量に相当し、渇水が続けば、すぐに底をついてしまうことになる(嶋津 2000)。さらに、八ッ場ダムは吾妻川中流域に位置しているので、上流から多量の栄養塩類が流れ込む。吾妻川の全窒素と全リンの量は、ダム湖としての環境基準(水道1〜3級)の3倍程度もあった。これほど栄養塩類が高いと、ダムをつくり、今までの流水をたまり水に変えると、藻類(植物プランクトン)の異常発生が必ず進行し、水質が悪化する(嶋津 2000)。水道水源として利用する場合には、藻類に起因してろ過閉塞や凝集阻害などの浄水処理障害が生じたり、2−MIBやジェオスミンなどによるカビ臭が発生したりすることもある。さらに、富栄養化に伴って発生するある種の藍藻類はミクロシスティンやアナトキシンなどの毒素を産生することが知られている(岡田 1999)。
 利根川水系の治水計画(図3)では、八ッ場ダムは、八斗島地点における200年に1度の洪水流量22000立方メートル/sのうち平均で600立方メートル/sの低減効果が見込まれている。しかしカスリーン台風時における吾妻川上流の洪水は、八斗島の洪水のピークに対してほとんど影響していない。また、吾妻渓谷は狭窄部が続くところがあり、自然の洪水調節作用をもっているため、吾妻川上流の洪水の影響は下流に対して小さなものになる(嶋津 2000)(図10図11)。

4−3 民俗・文化・産業
 下久保地域では、下久保ダム建設により田畑94ha(保美納山、坂原、矢納の全農地の62%)山林178haが水没した。地形条件から、土地利用上、水田はほとんどなく、古くから林業と山腹斜面に拓かれた小規模な耕地での農業に依存してきた。坂原集落では、昭和30年頃から40年頃にかけて、こんにゃくの生産が普及し、農家の8割がこんにゃくを作っていた。しかし、1967年の下久保ダム建設に伴う利用可能耕地の水没は、わずかな耕地に依存してきたこの地域の農業存続の基盤を失わせる結果となった。そして、衰退の一途をたどり、現在は1軒の兼業農家があるだけとなっている。相次ぐ農業の衰退で利用されなくなった耕地は植林によって山林化され、その結果、鬼石町は人工林率の著しく高い地域になった。(西野 1997)
 
 八ッ場ダム水没地域は、吾妻郡長野原町の東部に位置する(図1)。長野原町の民俗のうち、この町の文化圏の指標となる民俗は、木造道祖神像、十日夜の案山子、鳥追い行事、ホウバイ、ケイヤク、雉子車、お茶講などがあげられる(長野原町誌編纂委員会 1987)。
 八ッ場ダムが建設されると、川原湯と川原畑の全てと、横壁、林、長野原の一部の3,160,000平方メートルが水没する(図4)。被害を受ける文化・観光資源は以下の通りである。
川原畑の概観:川原に畑があるので川原畑の地名となったのではないかと言われる。吾妻渓谷の名勝があり、八ッ場のダムサイトもここに予定されている。石畑遺跡がある。百八灯の風習が残る三原三十四番札所第三十一番三ッ堂および石仏郡がある。諏訪神社境内には宝篋印塔がある。
川原湯の概観:川原に温泉が出るので川原湯の称となる。湯の歴史は古く、康平7年王臣浦康久なる者入湯(温泉誌)、建久4年源頼朝入湯、衣掛石の伝承もある。源泉摂氏73度、硫黄泉、無色透明無味で硫化水素臭がある。湯掛け祭りの奇祭がある。薬師堂、上湯原地区には不動堂がある。
横壁の概観:丸岩の北麓で円岩城の子孫が永住の里とされる。諏訪神社があり、大欅がそびえる。桐屋の三体堂には底なし柄杓の風習が残っている。三原三十四番札所の二十八番が小倉の勢至堂である。両墓制が残されている。
林の概観:日本武尊の統制の折の伝承に基づく王城山の麓で、王城山神社には神杉が残されている。修験者浦野村信の墓は「お塚」として村人の崇敬の地であり、イタヤカエデの大木がある。境内には、三原三十四番札所第三十二番林寺がある。下田には第三十三番下田堂、楡木には留寺三十四番滝沢観音がある。お塚、滝沢観音ともに石仏郡がある。
長野原の概観:明治二十二年長野原町の誕生と共に町役場がおかれ、以後、西吾妻の行政、交通、産業の中心となった。長野原の町並みの北方尾根に長野原城趾がある。東麓の諏訪神社は永禄の世の古戦場である。西麓の雲林寺には三原三十四番札所第一番作動観音が移されている。火打花の奥には長野氏館跡があり在原業平の子孫が居住したと伝えられている。貝瀬には、三原三十四番札所第二十七番つかま堂がある(長野原町誌編纂委員会 1987)。
 八ッ場ダム建設は、このような民俗および歴史的遺産の犠牲のもとになりたつものである。とりわけ、全水没となる川原畑・川原湯地区では、このような文化を含む生活基盤ごと水没する。移転地での文化・民俗の継承が課題となる。

4−4 地形・地質 
 吾妻川中上流域の吾妻渓谷から白砂川との合流点に至る約8km間は、地殻変動の激しい区間となっており、地滑り地形が多く見られる(図4)。現在はきわだつ動きを見せていないが、滑り面の潤滑油となる大量の地下水や表層水の浸透、長雨による地滑り土塊内への大量貯水などが、地滑りの引き金となりやすい。吾妻川の段丘面に厚くつもった大桑岩屑なだれ堆積物がしばしば地滑りを引き起こしており、高位段丘面に堆積したものの下底面はどこでも吾妻川にむかって傾いている。ダム湖に没するか大部分が浸かる段丘面では、この岩屑なだれの下底面が地滑り面に変様することは否定できない(中村 2001)。
 河川の地質的な働きは、浸食作用・運搬作用・堆積作用である。浸食作用は、豪雨や融雪が1つの要因となる。中流域にいくと運ばれるのがおもな作用になり、雪解けや大雨の後などの洪水時には土砂を運ぶのである。新たに堆積し、また削られて下流へ溜まるというのを繰り返しながら下流へ下流へと運ばれていくのである。川の上流にダムができると下流へ土砂が運ばれなくなる。そのため下流では今まで堆積物が溜まっていたところに土砂が供給されなくなったため今度は河床が削られ始めた。また、上流から砂が供給されないため海岸が浸食されるという問題も起きている(2001 赤羽)。

4−5 水質
 八ッ場ダム地域では、吾妻渓谷の景観を観光資源としており、特に水没予定となっている川原湯温泉では、旅館の窓または露天風呂から美しい渓谷を眺められることと、ひなびた温泉宿の雰囲気が呼びものとされてきた。しかしダムが建設されると、それらは最新建築の旅館とダム湖である人造湖に姿を変える。吾妻川は、pHをのぞけば水質汚濁にかかわる環境基準を満たしており、現在A類型に設定されている。しかし、上流にある観光施設やキャベツ畑等の影響で、吾妻川上流で全窒素は水道3級の基準値の約3倍、全リンでは水道3級の基準値をわずかだが上回る状態となっている(群馬県 2000)。それでも植物プランクトンが増殖していないのは、たびたびおこる洪水のためである(1976 長野原町誌編纂委員会)。つまりダム湖として水を溜めるようなれば、植物プランクトンの異常増殖が進行し、ダム湖は赤茶色や緑色の藻類に水面を覆われる可能性が高い(嶋津 2000)。 また、下久保ダム周辺の植物を見ると、半数が人里植物および攪乱地でも生育がみられる植物種であり、調査地点の帰化率の平均は、32.4%であった。 つまり、洪水期の川原湯温泉の移転地の窓から見えるものは、どこにでも見られる人里植物主体の植物群落と、はるか下のほうにわずかたまった水が、植物プランクトンの増殖で異様な色を呈した湖で、観光として価値の低いもの に変わる危険性がある(図12)。  八ッ場ダム建設は、自然環境(植生・地質)や社会環境にさまざまな影響を及ぼすが、その建設の目的である治水や利水において、効果があまり見込まれていない。ダムサイトを上流に移動した場合や規模を縮小した場合も、同様にその治水と利水効果は見込まれない。ダムサイトを吾妻川下流に移動した場合、 利水の効果は見込まれないが治水の効果は見込まれる。しかし、今の計画よりも多くの人々の生活地が水没することになるため、良い案だとは言えない。水道水源や景観として利用する場合、水質が改善されれば利用することができる。ダム湖が良好な水源となれば、自然湖沼と同じように景観要素やレクリエーションの場として、人々に憩いと安らぎを与えることになり、地元住民にとって利用価値のあるものになるであろう。

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