2−2 ダムの概要

1,八ッ場(やんば)ダム
 八ッ場ダムは、現在、利根川水系の吾妻川中流に建設されている重力コンクリート式のダムであり、その目的は洪水調節、水道用水および工業用水の確保である。
 ダム本体は、右岸:群馬県吾妻郡長野原町大字川原湯字金花山、左岸:群馬県吾妻郡長野原町大字川原畑字八ッ場にあたる場所に造られる予定で、堤高:131.0m、堤頂長:336.0m、堤堆積:1,600,000立法メートルである。貯水池は、湛水面積:3.04I、常時満水位:標高583.0m、洪水期制限水位:標高555.2m、最低水位:標高536.3mで、総貯水量:107,500,000立法メートル、有効貯水量:90,000,000立法メートル、計画堆砂容量:17,500,000立法メートルとなっている(図2表1)。
 八ッ場ダムは、昭和22年に襲来したカスリーン台風 での洪水被害を踏まえ、昭和24年利根川改定改修計画の一環として計画されたものである。27年に予備調査が開始されたが、吾妻川の酸性水の水質改善の見通しがつかず、一時中断となった。しかし、昭和32年群馬県による吾妻川総合開発事業の計画に水質改善が位置づけられることになり、昭和38年に草津町馬場、湯川側水所の地点に中和工場を建設し、翌昭和39年1月より湯川、谷沢川に石灰質中和剤の連続投入が開始された。中和工場および品木ダムの完成により、吾妻川の酸性水質は改善されたため、河川水としての利用が可能となった。そこで、昭和39年度より予備調査を再開し、昭和42年度より八ッ場ダム調査出張所を開設し、実施計画調査を開始し昭和45年度には、建設に着手した。その後、八ッ場ダム建設事業は地元の方々との協議を行いながら、一歩一歩事業を進め、2011年にはダム完成の予定となっている(八ッ場ダム工事事務所 1999)。
 昭和40年4月の八ッ場ダムの工事実施基本計画は、昭和24年に策定された利根川改修改定計画を踏襲したものである。しかしその後、地域開発の進展により利根川流域の諸条件が著しく変化したため、その計画での安全度は低いものとなってしまった。そこで、昭和55年に利根川水系工事実施基本計画の大幅な改定が行われた。利根川の治水計画では、八斗島地点の基本高水ピーク流量を22,000立法メートル/sと算出し、そのうち6,000立法メートル/sを上流ダム群で調節し、同地点における計画高水流量を16,000立法メートル/sとした(図3)。八ッ場ダムでは、八斗島地点で最大1,490立法メートル/s、平均600立法メートル/sの軽減を行う。そのためにダムにおいて、洪水期(7月1日から10月5日)に6,500万立法メートルの調節容量を確保し、ダム下流における計画高水流量3,900立法メートル/sのうち2,400立法メートル/sの流量を調節し、ダム下流への放流量を1,500立法メートル/sに低減する。洪水調節計画では、ダム地点の流入量が400立法メートル/sを越えると洪水調節を開始し、流入量がピークに達するまでは一定率で放流し、ピーク以降は1,500立法メートル/sの一定量で放流する(図2)。
 また、八ッ場ダムは5年に1回程度発生する渇水に対処する計画として策定されている。八ッ場ダムによる新規開発水量は、非洪水期9,000万立法メートル、洪水期2,500万立法メートルの利水容量を使って、通年開発14.07立法メートル/s、農業用水の合理化による灌漑期における用水の確保と合わせて毎秒8.053立法メートル/sの計22.123立法メートル/sを開発する計画である。
 
 八ッ場ダム水没地域は、吾妻郡長野原町の東部に位置する(図4)。この地域は、関東平野の西北隅に位置し、北から西、南にかけて白根山、四阿山、浅間山、その他の県境の山々に囲まれている。人々の生活は、それらの山々から流れ出る渓流沿いか、山々の襞襞によって営まれている。住居は、河岸段丘や山間の僅かな平地に立てられ、耕作もその周囲に散在する。人々は古くからこの地に住み続けてきたが、周りをとりかこむ山々や吾妻渓谷によって、他の地域と隔絶されてきた。とりわけ河川を越えるには、困難を要したため、この地の文化は、上州よりも信州側のものとなっている。周囲から隔絶していたということは、今日の民俗の中にさまさまな古いものを伝承しているといえる。特に、言葉や年中行事・信仰のなかに残っている。こうした長野原町の民俗のうち、この町の文化圏の指標となる民俗としては、木造道祖神像、十日夜の案山子、鳥追い行事、ホウバイ、ケイヤク、雉子車、お茶講などがあげられる(長野原町誌編纂委員会 1987)。
 八ッ場ダムが建設されると、川原湯と川原畑は全て、横壁、林、長野原は一部が水没となり、3,160,000Fが水没する。八ッ場ダム建設は、このような民俗および歴史的遺産の犠牲のもとになりたつものである。とりわけ、全水没となる川原畑・川原湯地区では、このような文化を含む生活基盤ごと水没する。

 

2,下久保ダム
 下久保ダムは、利根川水系神流川に32年前に完成した重力コンクリート式のダムであり、洪水調節、工業用水・都市用水の確保、発電をその目的とする多目的ダムである。昭和22年のカスリーン台風および翌23年のアイオン台風による大きな洪水被害と夏季における利根川の水需要増加の対策とする利根川水系の水資源開発基本計画の一環として建設された。昭和34年より着工となり、昭和37年に建設省より水資源開発公団が事業を継承し、昭和43年に完成、翌44年1月より管理開始となった。
 ダム本体は、左岸:群馬県多野郡鬼石町大字保美濃山、右岸:埼玉県児玉郡神泉村大字矢納に位置し、堤高:129.0m(主ダム)・61.5m(補助ダム)、堤頂長:303.2m(主ダム)・295.0m(補助ダム)、堤堆積1,345,000立法メートルとなっている。貯水池は、左岸:群馬県多野郡鬼石町および万場町、右岸:埼玉県児玉郡神泉村および秩父郡吉田町にあたり、満水面積:3.27I、満水位:標高296.8m、総貯水量:130,000,000立法メートル、有効貯水量:120,000,000立法メートル、計画堆砂量:10,000,000立法メートルとなっている(図5表2)。
  昭和24年の利根川改修改訂計画では、烏川・神流川合流後の計画高水量を14,000立法メートル/sとする。そのために洪水期(7月1日〜9月30日)には、3,500万立法メートルの調節容量を確保し、ダム地点での計画高水量2,000立法メートル/sのうち1,500立法メートル/sの調節をし、500立法メートル/sを下流へと放流する計画である。洪水調節は、流入量が800立法メートル/sルに達するまでは、流入量と等しい量の流水を放流し、流入量が800立法メートル/sに達した後は洪水調節を開始し、2時間30分後に放流量が500立法メートル/sになるように時差的に放流量を減少させる。この状態で放流量を維持し、最大流入量に達した後2時間30分を経過したら流入量が800立法メートル/sに減少した時に放流量が800立法メートル/sになるように時差的に放流量を増加させ、その後は下流に支障を与えない程度を限度として放流を行い貯水位の低下に努める(図5)。
 また、利水として利根川沿岸の農業用水の確保および都市用水の供給を行っている。農業用水としては、10立法メートル/sを確保する他、利根川中流の栗橋地点における流量を上流ダム群(矢木沢、藤原、薗原、相俣)と併せて、140立法メートル/sに増やす。都市用水としては、東京都および埼玉県への水道用水と工業用水で合計16.0立法メートル/sを供給する。
 発電は、ダム直下の群馬県企業局下久保発電所において、最大15,000kw(最大取水12立法メートル/s)の発電を行い逆調整池(神水ダム)において調整放流を行う。

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