第一印象の研究

                             淡路 稔子

 人間の認知機構における、顔の認知はどのようになっているのだろうか。日常の生活の中で、人間は社会を形成して生活している。一人も人間を見ない、認識しない一日は、きわめて希有なことで、滅多にないことと言って良い。街に出れば、直接コミュニケーションを取らないとしても、人とすれ違わないことはないし、たとえ隔絶された車の中と言った場面を想定しても、フロント・サイドがガラスである限り対面走行する反対車線、あるいは右折では対向車のドライバー、もしくは左折においては横断歩道を渡る歩行者等を認識せざるを得ない。人間は見たくないものは見ないといった性質はあるものの、車を運転しているときには犯罪、もしくは自分の命にかかわるので、それだけはやめたほうがいいだろう。もし、リアル・タイムで人に会わないとしても、TVを始めとする視覚的メディアにはもちろん(TVは視覚的・聴覚的ではあるが)、人は登場するのである。
 人はいちいち通りを歩く人の顔は、気にしないものである。街を歩く人たちの衣装の特徴や、顔立ち、詳細に至るまで認識する為には、人間の脳では容量が小さい。人を一人見るだけでも膨大な情報量があるだろう。それがつぶさに人間の情報処理機構に引っかかるとしたら、とんでもないことであって、おそらく気が狂ってしまうだろう。だから人間には忘却という機能があり、見たくないものは見ない、認識しないという機能もあるのである。ただ、個別に、何か理由があって、一人の人と対面しなければならない場合はどうか。場面は仕事、就職試験時における面接など普段、そういった状況は多々ある。普段、初対面の人に会ったとして、第一印象はどのぐらいの価値を持つのか。第一印象は、その後の対面までに、どのような効果を持つのか。付随してくる情報で、その人に対する誤った印象が形成されないのか。第一印象で、複雑な人間の中身までを推測することはできるのか。メディアで流布される犯罪者の顔は凶悪に見えるのか、あるいは権威ある大学のは教授は、一見しただけで信用に値するのか。
 対人認知、印象形成過程においての、特に第一印象についてここでは取り上げるわけだが、これまでの研究の概略をふまえて、展開してみたいと思う。